ある女の手紙

空野宇夜

漂流物

海の岸辺に流れ着いたあのガラスのビンを拾ってくれてありがとう。そのビンの内容物のこの手紙は、拾ってくれたあなたへ向けたもの。


まずは、私を、あなたに知ってもらいたい。


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「あたし、綺麗?」


私は初めましてと言うよりこの台詞を言うことの方が多くなった。理由としては新型コロナウイルスが世界じゅうに広まって日本でもマスクをすることが当たり前になったからかな?私のマスクをつけたときの顔の印象とつけなかったときの印象が全然違うから口裂け女に似てると思って面白半分でこんな台詞を言い始めたんだよ、たぶん。でも最近は初めて会う人はあんまりいないから挨拶代わりに使ってる。


教室のドアを開け、いつものように教室を見回す。学校の教室といえばどんな風景を思い浮かべる?木の床、鉄と木でできた机や椅子、教卓に黒板、それに窓。大体みんなこんな感じじゃないかな。この教室もその典型と言ってもいいと思う。木の床に鉄と木でできた机や椅子、教卓と前後に二つある黒板、それに東に向いている窓。


窓から朝日が差し込んでいて、宙を舞う埃が神秘的な雰囲気を演出していた。そんな雰囲気に浸る間も無く、私はやけに明るい友達に話しかけに行った。


「あたし、綺麗?」


目元をニヤつかせ、私が言った。


「おはよー。アンタ、それ飽きないね~。もう何年言ってんのそれ?」


机に座り足を組んでいる彼女は今日も慣れた目つきでこう言った。

彼女は中学が同じでそれなりに仲がいい友達だった。それどころか小学校まで一緒だった。


「んー、コロナが始まってからだから…もう二年とちょっとじゃない?」


コロナが日本に来てからすぐ休校になっちゃってこれを言い始めたのは六月くらいだったから正確には二年と三、四ヶ月くらい経ってるはず。


「へぇ~、もうそんなに経つんだ。なんか感慨深いねぇ。アンタのタラコを拝みたいわ~」


彼女の言うタラコは私の唇のことでこれは毎回ちょっとイラッとくる。それになにが感慨深いのか私にはわからないから皮肉の意を込めて私は言った。


「どうもありがとう。それはともかく、そろそろHRの時間だし授業の準備を済ませてくる」


と言ったふうに私の一日はいつものように始まった。

高校生活は忙しい、けど今までに感じたことのないくらい早く日々が過ぎていくと感じてる。授業に着いていくために塾に行くようになったし、バイトも始めて使えるお金も増えた。つい先日入学したと思ったらもう秋。こんなことを考えてるときってなんか虚しくなるんだよね、うだうだしてると高校なんてすぐ終わっちゃいそうで。


でも、家はいつも寂しい。朝起きたら親はいない。夜、私が寝た後にいつも帰ってきてるっぽいし。一人っ子だからずっと家に一人。自分のいる場所だけ電気をつけたダイニングで周囲の暗さを気にしながら食べる晩ごはんはいつも美味しくなかった。


授業は教師の当たり外れが大きい。嫌いな先生の教科ほど頑張れないものはないくらい。逆に面白かったりする先生の授業はすんなりと頭に入ってくるし時間があっという間に過ぎるほど楽しい。


まあ、なんといっても一番楽しいのは休み時間だね。友達とただ、他愛もない話をするだけで楽しくて、時間が溶けに溶けてゆく。


そんなことはさておき放課後、塾からの帰り道を歩いているときだった。夜も更け、街灯の灯りを頼りに私は歩いた。突然、私の右から声がして心の中で跳ね上がるくらいビックリした。


「君、最近何か溜め込んでる?」


見ると街灯の下にフードを被った男が立っている。目元はフードの影に隠れてて見えない。


「い、いえ…何にも…」


私は怖くなって逃げ出した。けど、逃げていく道の街灯の下に必ずあの男がいた。何度も曲がったのにその先にいる。そんなことを繰り返していたら男がとうとう目の前に立ちはだかって行く手を遮った。


「どこへ行く。でも、もう君は僕から逃げきれない」


「ヒィッ」


声も出せず、地面に尻餅をついてしまった。男はそんなことはお構いなしに私を見下ろして喋り続けた。


「君の顔、かなり辛そうだった。キツイ生活を送っているのか?」


私は逃げられないから口を開くしかなかった。でも、いざ喋ってみると私の声は想像以上に弱々しかった。


「そ、そんなこと…ありません…」


そこに男は食い気味に口を挟んできた。


「そんなことない。君の顔、辛そうだった」


私は思わずちょっとだけキレた。


「それは全部あなたのせいよ!全部!全部…」


「それは、済まない。でもその前は違った。そうだろう?」


……確かに違った。帰ろうとしてはいるものの、家では一人。学校でもアイツにタラコってイジられるし、それ以外にも…。こんなの嫌だな…。私は気付くと黙り込んでいた。


「図星なんだね。ではそれを良くする方法を教えてあげよう。」


と言って男は手を差し出した。この手を掴んだらどうなるのかな?私は私が思っている以上に深刻な状態だったのか気付いたらもうその手を掴んでいた。ゆっくり立ち上がって私は男に引き寄せられた。


「少しだけ…目を瞑ってて。」


そう言われたから素直にしたがった。それから少したった。


「もう…目を開けていいよ。」


恐る恐る目を開けた。すると突然押し倒され、顔を掴まれた。男は何か持っていた。

私のマスクを剥ぎ取ってそれを私の口に引っ掛けた。それで引っ張ろうとしてる。私は必死に抵抗した。足をジタバタさせたり、男の背中を思いっきり叩いたり、もがいたけどどうにもならない。


「もう少しだから大人しくしててね。」


なんて男は言っている。次の瞬間私の左の頬にとてつもない痛みが走り、生暖かい液体が流れ出た。そして男は笑い出した。


「アッハハ…ハハハハハ!やった…やったぞ!」


痛みがするところをそっと触ってみると歯肉の感触がした。悲鳴を上げようにも痛みで顎があまり動かない。だけどあの男は今、私のことを見ていない。その隙をついて私は急いで家に駆け込んだ。


口の中が妙に涼しい。少しの好奇心で洗面台へ向かい、鏡を見た。


「口が…裂け…てる?」


私の右頬が不気味に口角を上げるようにして裂かれていた。なんかもう全てがどうでも良くなって笑うしか無かった。いつものように親は家に居なくてこの醜態を晒すことはなかった。その日は止血をしただけでベッドに行ってしまった。


私は二重にマスクをして学校へ行った。もうどうしようもないからとりあえずいつも机に座っているであろうあの人を昼休みに呼び出した。


「あたし、綺麗?」


こんなことを言っている私はもう狂っていた。これから起こすことを想像するだけで堪え切れない笑みが溢れ出てくる。


「なに?目が笑ってるよ?」


彼女は少し笑いながら言った。だから私はマスクを外しながらこう言った。


「フ…フフフ…これでも?」


彼女は口を手で押さえて驚き、恐怖した。


「きゃああああああ」


そこから先、色々あったけどよく覚えてない。


あれから五日たった。私のことを相手にしてくれる人はもういなくなってしまった。


つまらない。


私からなにか大事なものが失われてしまったのだろうか。


わからない…ぜんぜんわからない。


しかし相変わらず日差しは気持ちがいい。私は大きく伸びた。


ふと、私は地面を眺めていた。周囲をぐるりと見回してみた。


何回も何回も見直した。


私はもう何も信じたくなかった。


何度地面を凝視したって、そこに私の影は映っていなかった。


これが、今の私。私は影を失くしてしまった。信じられる?私はまだ信じられないよ。


影を失くしたせいかもわかんないけど私の相手をしてくれる人がふるいにかけられた砂のように少なくなっていった。もう、私は幽霊と言ってもいいような存在なのかも。でも、まだ私は幽霊ならすり抜けてしまうモノや道具などに触れたり動かしたりすることができる。側から見れば『ポルターガイスト』なんて言われてしまいそうだよ。


私は今、私がいるという証拠を残したい、いや私がいるってことを知ってもらいたい。だから、あなたへ向けた手紙、というかほぼ日記のようなものだけど、私が今、ここにいるってことを書いている。独りの私を、私の失ってしまった何かを、あなたに、埋めてほしい。


そうだね、あなたは私に手紙を送れないよね。なぜって、私には住所もないんだから。つまりはさ、私と直接会って欲しい。もう孤独は嫌だ。もし、ここまであなたが読んでくれてるのなら、私を助けて。


あなたを、葛西臨海公園で待ってるから。

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