第39話 アイシュタルトのやるべきこと

 クリュスエント様はコーゼにいる。それは間違いないだろう。だが、誰もお顔を見ていないというのは、どういうことだろうか。


「アイシュタルトが聞きたかったのは、噂話の姫のことだったか」


「はい。色々とありがとうございました」


「その方が今どうしていらっしゃるかは、わからない。そもそも、コーゼの王宮に入られたということさえ、確実ではないんだ」


「わかっています。それでも、何もわからないままであったこれまでより、進展したように思います」


「その姫に、君は仕えていたのかな?」


「な! 何故……」


「その言葉遣い、その姿勢、その名前。全てが君を城の関係者だと物語っている。その方の無事を本当に知りたいのであれば、コーゼへ行くしかない」


 コーゼへ行く。国を出る困難さは、私自身が身に染みている。旅商人のように、簡単に移動はできないのだ。


「ですが、他国へ行くというのは、普通の人間からすれば、簡単なことではありません」


「そうだろうね」


「それならば……」


「今はね」


「今は?」


「君も知っているだろう?」


 先程までよりも、更に小声でロイドが話しだした。


「何を」


 ロイドの声につられるように、私の声も小さくなる。


「コーゼは近いうちに、カミュートに戦争を仕掛けてくる。私も昔馴染みの旅商人と話をしたが、これはもう、紛れもない事実だ。コーゼの戦準備を鑑みれば、これまでにない規模の戦いとなるはずだ」


 ステフも同様のことを言っていたな。旅商人の間では、もはや噂ではなく真実なのか。


「戦が始まれば、国境はまるでないものの様に扱われるだろう。攻め入る側と守る側、時にそれが入れ替わることもある」


「それはっ……」


「城の関係者には考えられないことかな? それとも、禁止されていたかな?」


 国境を無断で越える、そのようなこと許されるわけがない。

 ただ、攻め入る側の軍勢に紛れ、他国に入る。そのような者たちがいることも、事実だ。


「許されないことです」


「確かに。だが、噂話の姫の無事を、確認したいのではないのか? 姫の無事など、コーゼの王宮に行かねばわかるまい。コーゼ出身の私ですらわからないことが、どうしてカミュートにいてわかる?」


 ロイドの言葉が、私の心に波紋を作るように広がっていく。


「国境を無断で越えることが、許されないことであることは誰もが知っている。それでも、それをしなければ手に入らないものもあるということだ」


「手に、入らない……」


「あぁ。いくら戦争が始まったからといって、王族の姫が王宮から出てくることなど、ないだろう。門番すらその姿を一度しか見たことのない方だ。コーゼの都、その真ん中にある王宮へと、入っていくしかないのだよ」


「コーゼの、真ん中」


「アイシュタルト、戦の最中であれば、そこへ辿り着くことができるかもしれない。君はその機を掴まなければならない」


 『その機を掴む』ロイドのその言葉が、私の記憶に深く刻みついた気がした。


「どうして、そのようなことまで私に、教えてくださるのか」


「フッ。ルーイのせいだろうな」


 ロイドが小さく笑いながら、ルーイの方へ視線を向ける。


「ルーイの?」


「私が元旅商人だなんて、一体どこで聞きつけてきたのか。彼は突然店にやってきて、話を聞かせて欲しいと、そう言った。最初は当然断ったさ。もう一年も前の話、見ず知らずの人物にしてやる義務はないからね」


「はい」


「それなのに、彼はめげずに3日間居座り続けた。居座って、その間中ただ働きして、私以上に働いてくれるから、常連客に怒られたよ。それで、話を聞くことにした」


 ルーイがそんなことまで。ただただ、私のため、それだけだ。


「私は、ルーイの思いにほだされたんだろうな。昔から、他人の真剣な想いには弱い」


 そう言って、遠くを見つめるロイドは奥さんのことを思っているのだろうか。

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