(九章)大きな妖狐(姫様)VS大きな化け狸

 リリアは、金色の狐の姿で空を駆けるように飛び、領地の境を目指した。


 森の上空には、妖狐が数頭いた。


「あっ、え、姫様!?」

「マジかよ」


 何度も確認した彼らが、リリアが到着したのを見届け、どよめいた。


 リリアは、ずっと森の向こうの大地を見据えていた。バカデカい化け大狸が、何やら「出て来い」やら「こんちくしょーっ」やらと喚いて、地団太を踏んでいる。


 どしんっ、どしんっと大地が揺れていた。


 なんだか騒がしい巨大あやかしだ。


 確かに、姿は狸ではあるのだけれど、異国の服っぽい布を巻いている。茶色の紐で締められて、じゃかじゃか音を立てる鉄器と武器も持っていて、余計に煩い。


「あとは、私がやるわ」


 何アレ、と思いつつも、リリアは狐達に言った。


「しかし――」

「あなた達は、森の方で待機! もしも森に踏み込まれそうになった時は、全力で押し返すのが役目よ!」

「ひぇっ、りょ、了解です!」


 牙を剥かれ、有無を言わさず指示された狐達が、揃って右前足で敬礼を取った。


 リリアは大きな金色の尾を揺らすと、暴れているデカい狸の方へと向かった。


 すると大狸の方が、その姿に気付いた。アサギを連れたリリアが、近くの上空で立ち止まるなり、彼がくわっと目を見開いた。


「貴様が『リリア姫』かああああ!」


 唐突に、怒鳴ったその大きな声が、爆音となって空気を震わせた。


 とにかく煩い。リリアは、発声された余韻の風を感じながら、凛々しい狐の顔を顰めた。アサギは「うわー」と半笑いで言う。


「すんげぇ無駄な妖力込めてますね~。微塵にも感じてない姫様、さすがです」


 その後ろの方こうでは、森の上空に残っている狐達が「ひぇ」と声を上げてひっくり返っていた。


「この距離にいるんだから、聞こえてるわよ。私が『リリア』よ」

「ワシは大妖怪にして、ウゲン様に土地の一つを任された領地主、化け大狸の『タヌマヌシ』!」


 名乗った巨大な狸、タヌマヌシが迫力ある形相で睨み付けた。


 間違いない。彼が、カマルの結婚相手であるメイの父親だ。この大きさなら、確かにあの大きな岩のあやかしも、素手であっさり持ち上げられそうである。


 ひとまず、相手に敬意を払ってリリアは声をかけた。


「カマルから話は聞いてます。末の娘、メイさんの父親ですよね? この前の件は、無事にカマルとあなたの間で話の決着がついたかと。それなのに、どうしてウチに?」


 すると、不意にタヌマヌシが、いかつい目を「うっ」と潤ませた。


 リリアは、狐姿の凛々しい顔面がピキンと強張った。アサギが「うわぁ」とドン引き、後ろの森側で眺めていた狐達が「げぇ」「可愛くない……!」などなど騒ぎ出す。


「お、お前のせいで、出ていかれてしまったではないかあ!」


 突如、タヌマヌシが、ぶわっと涙を浮かべて雄叫びを上げた。


「たった一人の女の子だったんだぞ! 一番下のっ、唯一ワシのところに残っていた、可愛い可愛い末娘じゃ! それなのにどうしてくれる!? めっちゃ寂しいわいっ!」


 うおおおおんと、タヌマヌシが大泣きしながら叫んだ。


 ……うわぁ、くだらない。


 リリアは、その一千年越えの大妖怪の狸親父の主張を前に思った。かなり娘を溺愛していたのだろうか?


 だが、こちらとしても、本人に会ったらどうしても言っておきたいことがあった。


 そう思い出したリリアは、容赦という言葉など一文字も浮かばない態度で、クワッと目を見開いて牙をむき出しに怒鳴った。


「んなの知るかあぁ! そういえば思い出したけどっ、娘の結婚に反対して、好きになってくれた相手に意地悪な難題吹っ掛けるなんて、サイテーよっ!」

「なんだと!? ワシはな、絶対に無理だと思って、試練だと言い渡したんだ!」

「はああああああ!? だから、それがだめなんだってば!」


 ぎゃんぎゃん、二頭の大妖怪が歯をむき出しに主張し合う。


「だってメイちゃんがいなくなったら、ヤだ! ワシ、めっちゃ寂しい! そうしたら貴様らが、あのチビ狸に余計な狐知恵を貸しおってからに!」

「開き直るな! それから、見た目に全っ然合わない可愛い台詞も、やめろ!」


 リリアは、こいつムカツク!と全身で語って、ビシッと言い返した。


 そこで、こらえきれなくなったのか。森の方から半ばこちら側へと飛んできて、狐達が後ろからリリアへ声を投げた。


「ひ、姫様! 領地主になんて口の利き方を……!」

「そうですよ、もう少し穏便に――」

「格下は黙ってろ!」


 リリアが振り向きもせず吠えた途端、強い妖力に当てられた彼らが「はいいぃ!」と反射的に謝って小さくなった。


 持ち合わせている妖力は、今のところほぼ同等だ。


 アサギは、リリアとタヌマヌシの言い合いを、ニヤニヤと面白がって眺めていた。


「そもそも娘の結婚に協力したからって、八つ当たりのごとく向かってきたわけ? どんだけ小さいのよ!」

「小さいっていうな! ワシ、心はめっちゃデカいんじゃ!」


 ぎゃあぎゃあ言い合う二頭の妖力が、感情に煽られて大きくなっていく。


 ピシリッ、ピシリと、空気に亀裂音が混じり始めていた。大妖怪である化け大狸の影響を受けた紫色の妖力と、大妖怪の妖狐リリアの影響をまとった銀色の妖力が、大気を痛めながらぶつかっているためだ。


「カマルが可哀そうでしょう!? あーんなに小さな狸なのにッ」

「ワシだって可哀そうじゃぞ! 上の子はみーんなオスで、ようやく三十五番目に授かった娘が可愛くってたまらんのだ!」

「だーかーらー、娘の幸せ考えるんなら意地悪するなって話なの!」

「意地悪で結構! ワシは狐も化かした大狸ぞ!」


 頭上の空には、あっと言う間に禍々しい色をした雷雲が集まり、不自然にとぐろを巻いていた。一吠えごとに風が吹き荒れ、雷もがんがん落ち始める。


 タヌマヌシのたっぷりの妖力に反応して、地団太を踏むたび大地も揺れた。


 クワッとリリアが激昂を飛ばせば、容赦なく雷撃が走りまくった。


 尻尾に若干感電を喰らった狐が「あっちー!」と悲鳴を上げ、尻を押さえて後ろ足で空を走る。


「姫様! これ、領地上空でやったら、まずいやつですからね!?」

「ひぃええええ、大怪獣合戦みたくなってるうううう!」

「アサギ様なんとかして――っ!」

「ははは、うん、無理」

「もうヤだアサギ様ってS狐なんだもんんんんん!」


 うわーんと狐達が騒いでいる。


 ――だが、そんな小さなことなど知ったことではない、というのが大妖怪気質だ。


 タヌマヌシが、ふんっと大きな鼻息を上げて大地を踏みしめた。


「妻の目を盗んで、ようやくこっちにきたのだ! 鬱憤を晴らさせてくれるっ!」

「じゃあこっちは力づくで帰してくれるわ! ついでに、あんたの奥さんにも、チクる!」

「こ、こらっ、いい年頃の仔狐が『チクる』なんて言葉を使っちゃいけません! そ、そもそも妻に言うとは卑怯だぞっ、どのオスも妻にはめっぽう弱いんだ……」


 ごにょごにょ、と一瞬、タヌマヌシのテンションが下がる。


 直後、咆哮したリリアの雷撃と、一瞬にして戦闘モードに戻ったタヌマヌシの妖術が衝突していた。


 その衝撃でいよいよ風は吹き荒れ、バリリリィッと雷が走る。

 

 牙を剥いた大きな二頭の獣のさまは、人間にはまさに暴れ狂ったような〝怒り〟を体現しても見えた。互いが牙と爪をむき出しに、妖力もぶつけ合っての大喧嘩となった。


 その時だった。不意に狐姿のリリアの耳が、地上からの微かな物音を拾った。


 それは吹き荒れる風の合間に、混じった人の悲鳴だった。


 ……ん? 悲鳴?


 そちらに目を向けて、リリアは目を剥いた。


 そこには巨大な魔法陣があり、その陣の中には多くの人間が立っていたのだ。


「は――はあああああ!? なんで転移魔法が……っ!」


 しかも見る限り、全員が王都で見るような、綺麗な恰好をした貴族達だ。そこには、なぜか公爵令嬢アグスティーナ達の姿もあって、リリアは驚愕で絶句した。


 と、目が合った途端、彼女達が化けものでも見たような悲鳴を上げた。


 恐怖する表情だった。ああ、人以外を見る者の目だわ……だから私、できるだけ狐の姿になりたくなかったのだったと、今更のようにリリアは自覚する。

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