(九章)まさかのタヌキ(2)

「はい。あっ、でも、服を着ているとか、着ていないとか……? 知らせてくれた狐によると、領地の境界線である森の外に出現して、真っすぐこちらに向かっているそうです」

「はああああ!?」


 なんでまた、とリリアはあんぐりと口を開けてしまった。


 実際に目にしたわけではないメイドも、よく分からない事態なのだという表情で、続けた。


「村長達と旦那様に関しては、森の方へは向かわないよう、数匹の妖狐が止めてくれているようです。どうしたら良いのかと、彼らはアサギ様にも対応を求めています」

「分かりました。姫様と一緒に、すぐに向かいます」


 答えたアサギが、途端に黒狐の姿へと転じた。リリアと共に屋敷から飛び出すと、猛スピートで飛行する。


 屋敷から少しのところの畑群のそばに、ツヴァイツァーの姿はあった。


「ああ、リリア! アサギも来てくれたのか」

「そりゃ駆け付けますよ。あなたの代になってから、初めて級の緊急事態です」


 アサギが、言いながらいったん人型へと戻って着地する。


「ここまでくると、抑えられている妖力も感じられますね」

「そうね、今までのあやかしとは格が違うのは、なんとなく分かるわ」


 森の向こう、獣らしき頭が覗いているのを、リリアは真っすぐ目に留めて言った。けれど、浮いて同じ目線の高さになっている父へ、すぐに目を戻した。


「父様、すごく困ってる顔してるわね。もしカマルが言っていた娘さんの父狸だったら、ごめんなさい。大丈夫よ、だから落ち着いて」


 リリアは、父の眉間に出来ている皺を、指でぐりぐりとやってほぐした。


 母のオウカ姫と同じ仕草だった。アサギが、しみじみと思って見つめている中、ツヴァイツァーもやや緊張がほぐれたように少しだけ笑う。


「リリア、ありがとう。俺は大丈夫なんだが、まぁ、どうしたものかと思って」

「私が行くわ。だから、大丈夫よ」

「えっ、リリアが行くのかい?」


 先にかけられた言葉の意味に気付いて、ツヴァイツァーが目を丸くした。集まっている村長らも、同じような反応を見せた。


「お、お嬢様が行くんですか?」

「しかし先程、我々もちらりと森の向こうに頭を見ました」

「とんでもない大きさですよ」


 すると、彼らの足元にいた狐達も、「ええぇ」と途端に騒がしくした。


「姫様、結界を見張っている者より、あれは大妖怪の化け大狸〝タヌマヌシ〟であると確認が取れました」

「タヌマヌシは、ここにいる数百年クラスの我々より、妖力が高い大妖怪ですよ」

「そうです、あれは一千年以上は生きている――ひぇっ」


 リリアは、騒ぐ狐達をキッと睨んで黙らせた。


 これでまた父が心配したりしたら、どうしてくれるのか。それに村長や村人達の不安も、増すだろう。


「あんな小さなカマルに、ひっどい賭けを持ちかけてきたんだもの。この来訪だって、しょうもない理由な気がする」

「俺の可愛いリリア、『しょうもない』って……」


 その感想は、いささかどうなものか。


 口にしたツヴァイツァーだけでなく、アサギや村の人々、そして狐達も思ったような表情を浮かべた。


 リリアは、「いいこと」と気丈に言い放った。


「ここいる妖狐の中で、今、一番強いのは私よ。母様に、父様のそばを任されているの――だから、私が行く」


 ゆらり、とリリアの妖力が上がる。


 プラチナブロンドの髪が、風もないのにふわりと揺れた。ぱちぱちっと放電が始まり、その金色の瞳が、妖狐本来の淡く澄んだ金色の光を宿す。


 普段、人の姿で押さえてある分の妖力が、解放され出しているのだ。


 狐達が、あわあわとして一斉に耳を垂れさせた。妖力で威圧を受けている彼らを前に、アサギが「ひゅー」と口笛を吹く。


「さすが姫様、力技で僕狐しもべぎつねを黙らせましたね。いけそうですか?」

「当然よ。狐の姿なら、狸に爪や牙で負けない。そして、もっと速く飛べるわ」


 言いながら、妖力の光をまとったリリアの姿が変化し始めた。それはあっという間に大きさを増して、金色の毛並みを波打たせた一頭の狐となった。


 長く大きな尾。立派な太さを持った四肢。


 やってやるわとやる気を起こした顔付きは、まさに獰猛な大型の獣そのものだ。


 馬と比べても一回り大きかった。一歩を踏み締めた迫力に、リリアの狐姿など滅多にお目にかけない村長らが「おぉ」と声をもらした。


「ほんと大きくなっていくなぁ。どんどん、大人に近づいていく気がするよ」


 ただ一人、ツヴァイツァーだけが、のほほんと娘の成長を噛み締めていた。


 父を見下ろすなんて、ちょっと恥ずかしい。遅れてちらりと頬を染めた狐のリリアに、アサギが小さく息をもらして、自分も狐姿となった。


「まっ、大妖怪にとっては、このサイズも〝仔〟ですからね。オウカ姫と比べれば、全然顔も幼いですし」


 二本の優雅な尾を持った、立派な黒狐。しかし金色の毛並みを持ったリリアの妖狐姿と並ぶと、そんなアサギの方が子に見えるほど大きさは違っていた。


 黒狐になったアサギへ、ツヴァイツァーが目を向けた。


「アサギ、リリアのことは任せたよ。どうか無茶はさせないで」

「勿論ですよ。姫様は、我々にとってかけがえのない〝姫〟ですから」


 その間にも、リリアは頼もしく空へと駆け出していた。


「大丈夫よ父様、私、結構強いんだから」


 その声が降り注いだ直後、金色の妖狐がぐんっと速さを増して、一気に空の向こうに遠くなる。黒狐アサギが「ったく、あの仔狐は!」と言いながら、あとに続いた。

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