(九章)まさかのタヌキ(1)

             ◆


 ――手紙を送った日の翌日。


 リリアは、またしても先日を彷彿とさせる感じで、自室のベッドに転がっていた。朝食が終わったあとで、父に休むことを伝えていったん戻ったのだ。


「はぁ……なんか、色々終わったんだなぁって思ったら、やる気が出ないわ……」


 もう、全部しなくていいんだ。婚約者として何かを言われて我慢することも、パートナー参加の招待状の一部に、渋々参加しておくかということも、考えなくていい――。


 一気にたくさんの義務から解放された感じで、ぼーっとした。


「今日、朝に一個だけ授業が入ってたけど、また無断欠席だわ」


 ぼんやりと口にしたら、すぐそばから返事があった。


「いいじゃないですか。それが許されるんですから」


 そう言ったのは、レイド伯爵家の執事アサギだ。休んだリリアが、ほんの少しだけしか飲まなかった紅茶を片付けている。


「とはいえ、まさかこのタイミングで、婚約破棄の手紙を送り付けるとは思いませんでした。旦那様、これ知ったら卒倒しそうじゃないですか?」

「それくらいなら、もう当事者の自分達で決められるわ。あと数ヵ月で、どっちも十六歳になるし。だから、まずあいつに送ったの」


 手紙を送り付けた件に関しては、まだ父には話していなかった。迷惑はかけたくない。正式に婚約破棄が決まったら、領主を継ぐ相談をしたいと思っている。


 リリアは、結婚をしないだろう。


 しばらくは、婚約だの結婚だのは考えないつもりでいた。


 公爵令嬢アグスティーナの言葉で、改めて目が醒める思いがした。半分あやかしの血が流れている自分を受け入れて、夫婦となって子を残してもいいと思う人なんて――。


「つまるところ、あとは、あの王子の対応待ちってことですよね」

「ポンッとやってくれると思うわよ。今じゃ立派に決定権も発言権もある立場みたいだし」

「あ~、それはどうですかね~」


 どこか面白げに、アサギは棒読みで言った。


 リリアは、そんな適当な相槌にむきになって言い返した。


「私が婚約者で、ずっと迷惑していただろうしっ」


 いつもハッキリと言うくせに、本当に困らされていた『婚約』という核心部分を黙られていたことには、なんだか腹が立っていた。


「嫌なら嫌って、なんでそういう時だけハッキリ言わないわけ? 私達、思ったことは即、言い合って発散していた仲だったと思うんだけど!」

「ははは、そう聞くと『喧嘩友達』っぽい感じですね」

「別に友達じゃないわよ、言うなら『好敵手』じゃない?」

「つまり姫様は、隠し事をされていたのが、お気に召さなかったわけですね」

「……まぁ、そうかもしれない」


 婚約自体嫌がっていたから、別に相談されるような仲でもなかった、ということなんだろうけど。


 リリアは、なんとなくまたしゅんっとしてしまった。もそもそと起き上がると、ベッドの上で足を抱き寄せて、ぎゅっとする。


「授業がない、なんて、初めて父様に嘘ついちゃったな」


 ぽつりと、思ったことを呟いた。


 昨日、食事の席で、何かあったのかと尋ねられた。ずっと腹のあたりがムカムカしていたので、婚約者候補のアグスティーナの件を、少しだけ愚痴ってしまった。


 その際に、なんとなく察されたような顔をしていた。


 もしかしたら、今日のがズル休みだと気付かれている可能性もある。


 先程父のツヴァイツァーに、気晴らしに村長らとの畑の状態観察を、一緒にしに行かないかと誘われた。断ったら、どこか気遣う笑顔で「気が向いたら飛んでおいで」とも言われていた。


「気晴らしに、何かしますか?」


 タイミング良く、アサギがそんなことを言ってきた。


 リリアが見つめ返すと、彼はにっこりと笑う。


「領地の空を飛んで、ぐるっと散策してくるのも、面白そうですよ」

「うーん、でもなぁ……ほんとに、今はそんな気分でもなくって」


 その時、リリアの声は、勢いよく開かれた扉の音に遮られた。


「お嬢様大変です!」

「うわあぁぁ!?」


 唐突なことで、直前まで警戒心ゼロだったリリアは、思いっきり叫んでしまった。


 飛び込んできたのはメイドだった。彼女は、ベッドから少し浮いたリリアを見て、遅れて「あ」と口元に手をやる。


「すみません。急ぎだったもので、つい」

「あ、いや、いいんだけど」


 放電せずに済んで良かった。そうドキドキしながら思ったリリアは、ハッとした。


「えっ、まさか、父様に知られたりしたの? あいつから、もう返事が!?」

「なんのことですか?」

「まぁ姫様のことはお気になさらず」


 メイドに飛んで迫ったリリアを、ぐいーっと横によけてアサギが問う。


「それで? こんなに慌てて、何があったんですか?」

「あっ、そうです! 出たんですよっ、今度はおっきな方の狸が!」

「たぬき?」


 リリアは、きょとんとした。すぐにピンと来なかった様子で、アサギも「はて」と首を傾げる。


「あのカマルさんの話に出ていた、化け大狸の父親かと! 本当にとてつもなく大きいそうで、恐らくはそうではないか、という推測が出ています!」


 焦って早口で言ったメイドが、手を動かして巨大さも伝えてくる。


 以前、化け狸のカマルに協力した一件で、プロポーズした相手が、大妖怪の化け大狸〝タヌマヌシ〟の娘なのだとは聞いていた。


 あの大きな岩のあやかしを、素手で運んで置いた張本人だ。


 思い出したリリアは、緊急事態だと分かって浮いて部屋を飛び出す。


「それって、まんま大きな狸なの?」


 リリアは信じられない思いで、アサギの後ろから追ってくるメイドに尋ねた。

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