(九章)リリアの決断

「それ、どういうことですか? これまでのお話と、関係あります?」


 指摘してやると、アグスティーナが敵意剥き出しで「ふんっ」と鼻を鳴らしてきた。開き直った態度で、リリアの疑問など関係ないと言わんばかりに続ける。


「嫌よね、それだから田舎貴族って。お話しにも品を感じませんわ」

「はぁ?」

「レイド伯爵家は、温厚貴族としても知られていますけれど、平和に過ごせるならそれでいい、などと、本当は思っていないんでしょう? あなたの父親もよくやりますわ」


 リリアは、捲くし立てられた言葉に、ピキリと青筋を立てた。


 待って、一体どこでどうなって『父が悪い』になったのか?


 先日と違って、今のアグスティーナからは知性を感じなかった。ただただ、見ていて不愉快だ。貴族作法も教養も素晴らしい女性と聞いていたが、何か焦りでもあるのか……?


 いや、ただ単に、サイラスと婚約したいから、なのかもしれない。


 アグスティーナは、そこまで彼を慕っているのだろうか。幼少から噂になって期待していたところで、半妖令嬢の自分が登場して、プライドを傷付けられた?


 ――くだらない。


 そんな個人的な事情で、リリアはつっかかれていただけなのか。


 そう考えると、途端にバカバカしく思えてきてしまった。つまり自分は、彼女の個人的な都合やら我儘で、一方的な嫌なことを言われているのか。


 父のこともあって、カァッと頭に血が昇りかけた時だった。


「こうして殿下がお忙しくしていらっしゃるのも、あなたのせいでしょう」

「え……?」

「本来、ご婚約された時から、あのお方を支え、負担を軽減してあげる必要があったのではないのかしら? それなのに、しなかったがために、このざまです」


 強い非難を込めて、アグスティーナが『このざま』と吐き捨てた。


 私のせいで、サイラスは忙しい……?


 一体彼女は、何を言っているのだろう。リリアが茫然として見つめ返してしまうと、アグスティーナが美しい口元を歪めるようにして、くすりと笑った。


「婚約者であるあなたが〝人外〟のせいで、あのお方は、余計な説得にも走り回っていらっしゃるのよ。お可哀そうに」


 まるで自分に言い聞かせるみたいに、自信を貼り付かせてアグスティーナが言った。


「だから、この歳になっても、リリア様は彼の妃として、本格教育を受けるため王宮にお呼ばれすることもないんだわ」


 それは、リリアが『偽りの婚約者』であるせいだ。


 リリアは、自分の貴族作法がもともとちゃんとしており、基礎教養も高いことに気付けないでいた。混乱で頭の中もぐるぐるしていた。


 忙しそうにしていたサイラス。


 それは、私のせいなの? 私が彼を多忙にさせ、ずっと困らせていた……?


「あなた、本当に婚約者として居続けるつもり?」

「私は――」

「あなたは半妖なのよ。それで人と、ましてや王族に嫁入りできるとでも?」


 アグスティーナが、厳しい口調でたたみかけてきた。


 言葉を遮られた途端、これまで覚えていた嫌悪感が何倍にも増した。そして追ってかけられたその言葉は、リリアの胸にとくに深く突き刺さった。


 プツリ、と、何かが自分の中で切れる音を聞いた。


 それは、これまで我慢していたあらゆること。そして、今日に至るまで受けていた扱いに対して、とうとうリリアのプライドが切れる音でもあった。


 ――迷惑なら、はっきり言ってくれれば良かったじゃない。


 ぎり、とリリアは拳を作った。


 リリアは、ずっと迷惑していた。何かしらにつけ『第二王子の婚約者』と指を向けられ、そのせいで、いよいよ半妖令嬢としても注目の的に立てられてしまった。


 ――でも、それは、サイラスの方も同じだったんだ。


 これ以上、何も聞きたくない。


 もうよく分かった。リリアは、黙らせるようにアグスティーナを睨み付けた。威圧を受けた彼女が、後ろ令嬢達と揃って、ビクリとして黙り込む。


「『そこまでして結婚したい』ですって? ハッ、笑わせないで」


 リリアは、毅然とした態度で、胸に手を当てて述べた。


「この私を誰だと思っているの。大妖怪にして、美しく高貴な天狐の母様から産まれた『リリア・レイド』よ。私の伴侶については、私にも選ぶ権利があるわ」


 リリアは傲慢とも思える口調で、令嬢達にそう言い放った。


 まるで、たかが人間の王子なんてお呼びでない、と言わんばかりの言い方だった。


 口から覗いたやや目立つ犬歯、プラチナブロンドの髪と同じ色の大きな狐の耳。その全てが、今のリリアを美しく見せていて、アグスティーナ達は気圧されて言葉を失ってしまう。


 もう決めた、完全解消だ。


 今後は、もう婚約者だのなんだのという言い分で、煩わされたり悩まされたくない。


 リリアは、「あっ」と小さな戸惑いの声を上げたアグスティーナ達を振り返りもせず、一直線に空へと向かってその場から飛び出した。


 ぐんぐん空の高いところを目指して飛行する。


 あの日から続いていた婚約を、今、白紙にすべきだ。


 今日、すぐにでも、絶縁状という手紙で婚約破棄の提案を送る。そう決めたリリアは、人の声も聞こえなくなった空の高いところで、向こうに見える王宮を見た。


 婚約破棄について、父にお願いする? 陛下の許可を取る?


 そんなの知ったことではない。それくらい、王子の彼がなんとかするだろう。


「〝ペン〟と〝紙〟、〝置き台〟」


 リリアが口にすれば、ポンッとそれらが目の前に現われた。


 妖術というのは便利だ。化かしの能力ではあるが、小さいもの、軽いものであれば、こうして最低限の欲しい物を具現化することができる。


 空の上、リリアは憤りをぶつけるように手紙を書いた。



【婚約を続けるのは無理です。破棄してください。


 あなたは『最強の魔法使い』の称号を得て、誰にも負けず魔法使いのトップに居続けています。魔力もほぼコントロールしつつある今、もう、私というお飾りの婚約者は、必要ないかと思います。


 ですので、この婚約、破棄させてください……】



 なぜか、不意にぽろぽろと涙がこぼれた。


 呆気ない終わりだったなと思う。当初の考えでは、自分は、盛大に婚約破棄を叩き付けてやるのではなかったのか。


 それなのに今、リリアはサイラスに顔を合わせる勇気が出なかった。


 ずっと迷惑だったのは、彼の方だったのだ。


「うぅ、なんで涙が出てくるのよっ」


 思えばリリアは、どうやって直接、この手紙をサイラスに届ければいいのかも分からない。王宮の彼の部屋なんて、知るはずもなかった。


 そう思ったら、とても切ない気持ちで涙が増した。


「バカ王子。……父様にあの時言った謝罪の言葉で、私、完全に許しちゃったじゃない」


 本当は、令嬢達の嫌味と違っていることに気付いた時には、もう当時お互い子供だった時の、売り言葉に買い言葉の文句も許してしまっていた。


「考えてみたら、再会してから『人外』って口にしていたのは私の方で、……あいつは、その単語をもう口にしていないのよね」


 リリアは目尻に溜まった涙を、ぐしぐしと袖でこすって拭った。


 この手紙を、どうしようかと考える。必要のなくなった机とペンをポンッと消すと、結局は正攻法で行くことにして、いったん王都の郵便局へと降りた。


【王宮の第二王子殿下サイラスへ】


 そう一筆した手紙の封筒を、郵便の受け付けで預けた。受け付け員が、リリアと差出人名に忙しなく視線を往復させていた。


 王宮宛ての場合、別で王宮の方に窓口があったりするのかもしれない。


 でもしょうがないじゃない。そんなのも、知らないもの。


 リリアは、泣きあとをじっと見つめられているのに気づいて、「よろしく」と告げると、帰るべく再び空へと舞い上がって屋敷を目指した。

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