八章 リリアは、今だけの婚約者で

             ◆


 その後日から、リリアは学院通いを再開した。


 もちろん、サイラスに負けてなどやるものか、という思いである。


 彼がわざわざ家に来たのも、実のところ、やはり婚約者としての立場から仕方なく――そして『休んだからまた見舞いに来てやったぞ』と、上から目線で言いたかったこともあったのでは?とあとで思い至った。


 サイラスなら、やりかねない。


 というわけでリリアは、遅れた分の勉強も空き時間にしっかりやった。あと数ヶ月の授業に関しては、新規で学ぶのは少ないので助かる。


 父は、サイラスの訪問があってからしばらく、なんだか様子がおかしかった。使用人達は揃って生温かい目だし、それをアサギに尋ねても教えてくれない。


「また魔法で相殺されたって愚痴ったのに、なんで生温かい目なの?」


 学院へくることを再開して、八日目。


 その間に二回、サイラスと遭遇して相変わらずのように衝突した。数少ない父の出席した社交の場でも、またアサギの同伴を言われて……。


 でも、あの時はいつもと違っていた。


『まぁまぁ、落ち着いてください二人とも』


 ……彼の護衛騎士、コンラッドがいたのである。


 仲裁に入られて、言い合いも早々に終わった。いつもいなかったじゃないと問えば、普段から離していたんだとサイラスは不満げに愚痴った。


『俺、あんたみたいな人間は好きですよ~。初めまして、伯爵家の執事アサギです』

『おい、なんだそれは。俺の時と随分違うな?』

『えぇと、はい、初めましてアサギ殿。僕はコンラッドと申します。これからも付き合いがあるかと思いますので、どうぞよろしくお願い致します』

『あ~、なるほど、なるほど。どうですかねぇ。まっ、よろしく』


 のらりくらりと化かすみたいに、アサギはどちらともつかない感じで言って、コンラッドと握手を交わしていた。


「なんかコンラッド様がいると、やりづらいのよね……」


 回想して、リリアは呟いた。


 小説のヒーローとして想像していた顔と性格のせいなのか。それとも、泣くのを見られたうえ、兄のように心を救ってくれた人、のせいなのだろうか?


 でも、考えてもどっちか分からない。普通に話せるようになったのは、リリアがコンラッドを、もう小説のヒーローと同じだと重ねなくなったからだ。


 学院の一角を歩いていたリリアは、本を抱えたままふわりと浮かんだ。


 ここからだと、飛んで授業本館の建物を飛び越え、反対側にある敷地内の図書館へ寄った方が近い。


 次に入っている最後の講義まで、時間があるので次の本でも選ぼうかしら。


 そんなことを考えながら飛んでいた。上から、ふと図書館の前で、何やら言い合っている令息達の姿が目に留まった。


「何かしら?」


 リリアはふわふわと寄って行きながら、つい声をかける。


「ごめんください、どうかしたんですか?」

「うわっ――あ、なんだ殿下のご婚約者様の……」


 振り返った少年が、もごもごと確認の言葉を口の中に落とす。相手の眼鏡をかけた小柄な少年も、目をパチパチとしてリリアを見ていた。


「近くで見てみると、ほんとに空を飛んでいる……」

「飛べるわよ。それがなんなの」


 眼鏡の彼もまた、年下の学年であるようだ。バッジを見て判断したリリアは、ふわりと降り立ちながら怪訝そうにチラリと顔を顰める。


 いや、普通は浮遊できない。


 図書館を出入りして居合わせた数人の生徒達が、同じことを言いたいような表情をした。


 やや遅れて、リリアに声を掛けられた二人の少年が、上の身分の者へ対する礼を取った。


「その、すみません。殿下のご婚約者様へご挨拶が遅れまし――」

「そんなかたっ苦しいのは、なくていいわよ」

「えぇぇ、でも」

「眼鏡君も、でもとかなんとか言わない。ここは『学び処』なんでしょ」


 学院の理念では、授業を受けるのに、出身や家のことが阻害になってはいけない、となっている。学ぶ生徒は、家柄などで優遇や贔屓などもされない。


 それにリリアは、こうやって婚約者として上の立場の人、みたいな扱いをされるのも慣れなかった。


 別に、婚約者であることを利用して、偉ぶりたいだとか全く思わない。


 リリアは今更のように少し気が引けた。どうやら人外に嫌悪感は持っていないらしいが、相手は授業で少なからず見知ってる教授らとは違う。


「眼鏡って、結構ひどい……」


 華奢な少年が、思い返す顔でぽつりと呟いた。


「俺、この流れだと、ノッポって言われそうだな……」


 思わず同意して口にした隣の少年が、「あ」と唐突に声を上げた。


 その時、リリアは声をかけた目的を思い出した。思い至った様子の彼よりも、先に言う。


「それで、何を揉めていたの?」

「いえ、別にそこまで言い合っていたわけでもないのですが……俺ら、今期で学院に入ったばかりなんで、図書委員会としてへますることも多いんです」

「ふうん。『へま』……何かうっかりやらかしちゃったの?」


 リリアは、獣耳ごと小首を傾げた。腕の中の本を、ぎゅっと抱え直したのに気付いた眼鏡の少年が、あっと目を向ける。


「それ、僕らで返しておきましょうか? 図書委員会の仕事なので」

「え、いいの? ありがとう」


 なんだ、話してみると結構普通っぽい。


 リリアは、そんなことを思いながら本を手渡した。彼が「お礼言われた……」と、困惑しつつも緊張気味に手を伸ばして受け取る。


 同じく意外だという目をした少年が、見届けたところで、ハタとして切り出した。


「実は授業の参考資料の一部は、こっちから集められて使われるんですよ。それを、身分があまり高くない者が集められた図書委員会で、また片付けるわけです」

「身分が高くない? 同じ〝生徒〟なのに、何を言っているのよ」

「あ、いや、まぁ、そういう空気なんですよ」


 学院に文句でも言ってやると言わんばかりに、目をつり上げたリリアに気付いて、少年が慌ててそうフォローを入れた。


「そのおかげで、貴族の家から推薦があった者達も、おおっぴらにはされていませんが、学院に通うことが出来ます。俺と彼は、寄付の方で援助頂いて入学したタイプです」


 自分と眼鏡の少年を指して、彼がそう言った。


「そういうわけで、恩返しもあって図書委員会として少し労力しているんですが、これから入っている分のを届け忘れていたんです。先輩方もいない中で、しっかり気を引きしめてやらないといけないと話していたのに、最後の最後でやっちまった、という感じです」


 彼が軽く肩をすくめてみせる。同じくすっかり忘れていたらしい眼鏡君が、腕に抱えた本をぎゅっとして「お前、開き直るなよ……」と胃がキリキリした表情を浮かべた。


 リリアは、ふうんと少し考える。


「それ、何番棟?」

「三番棟のところです。教授室の前に置く予定だったんですが、集めるのもこれからなので、多分、もう間に合わないかなって」


 言いながら、彼が思案気な眼差しを図書館の方へ向ける。


 集める作業を思ったのか、眼鏡の方が一層悩み込んだ顔をした。


「じゃあ、私がついでに持って行ってあげるわよ」


 その提案が出された瞬間、二人の少年が揃って「え」とリリアを見た。


 しばし間があった。待っても返事がくる様子がない。時間がないと言っていたのに何を固まっているのだろうと、リリアはチラリと眉を寄せる。


「だから、私がその箱を飛んで持って行くわよ」

「え、あの、伯爵令嬢でもある、あなたが……?」

「さっきからどうしたの? ほら、三人でやった方が、早く集められるでしょ」

「えっ、あの、しかしッ」

「何よ眼鏡君、私だって図書館は通い慣れてる。復習でも毎回使ってるし、配置はバッチリ頭に入ってる。高い位置にあるのは私が取ってあげるから、時間短縮にもなるでしょ」


 ほらほら、と言いながら、リリアは浮いたまま二人の背を図書館へと向けて、ぐいぐい押した。

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