(六章)まさかの護衛騎士様と(2)

 恥ずかしいところを見られてしまったと、リリアはぐっと唇を噛み締めた。でも涙は止まってくれない。


 しかも相手は、小説の好みド真ん中の『騎士様』だと知られた人だ。


 もう色々と赤面が重なって、この際だと勢いでリリアは打ち明けた。


「仕方ないじゃない。父様と母様の恋を聞いて、憧れたの。物語のヒロインみたいに、誰かから愛されたら、どんなに素敵なのかしらって考えてしまったのよ」


 化け狸のカマルを見て、やっぱりとても羨ましくなった。リリアだって女の子で、そして年頃なのだ。


「恋をしてみたい、だなんて、バカにされるのは分かってるの」


 ぐしぐしと目元の涙をぬぐいながら、リリアは白状した。


 人前でこんなに泣くのは、十二歳の頃以来だ。しゃっくりは出るし、涙はぼろぼろこぼれてくるし、もう、自分が何を言っているのか分からなくなる。


「人間なんて大嫌いよ、嫌い――でも、父様は人間なの。大切な領民のみんなも、大好きな使用人のみんなも人間で、私、人を嫌いになんてなれないのだわ」


 いつの間にか憧れていた。絵本や小説みたいな、恋。


 いつか、どこからかやってきた〝誰か〟が、父や母のように、ここで一緒に生きていていいんだよと伝えるみたいに、好きです、お嫁にきませんか、とリリアに言ってくれるのを、幼い頃に夢みたのだ。


 涙を拭うコンラッドが、そうかと察したかのように神妙な表情を浮かべた。


「お嬢様は、恋の相手を人、と考えてくださっていたんですね」

「ぐすっ――悪い?」

「いいえ、全然悪くないです。だってお嬢様は、こんなにも可愛らしい令嬢じゃないですか」


 半分は、人の血が流れていることを言ってくれているのだろう。こんな人間も都会にいるんだなと、リリアは胸に込み上げる温かさに落ち着いてきた。


「ありがとう、騎士のコンラッド様」


 彼は小説の中の人物ではなくて、ここに生きている別人なのだ。ただただ尊敬と感謝を覚えたリリアは、そこでようやく目の前の人が『現実の人』になった。


 あとは自分でできるからと、ハンカチを借りて涙を拭う。


 落ち着くまで、コンラッドは待ってくれた。


「このハンカチ、洗って返しますね」

「いえ、いいんですよ。ハンカチというのは、女性に貸すために用意してあるようなものですから」


 ハンカチを手に取って、コンラッドがにこっと微笑みかけた。そう言いながら、軍服の胸ポケットにしまい直した。


 うわー、そういう台詞をさらりと言えるなんて本物の紳士だわ……リリアは、本の中でちらりと見掛けたことがある一文を思い出した。


「コンラッド様って、もしかして結構女性の扱いに長けている、とか……?」


 思わず疑問を口にしたら、彼が軽く苦笑した。


「年齢的なところもあるのかなと。僕も今年で、三十二歳ですからね」

「三十二!? えっ、もっと若いかと思ったわ」

「まぁ、よく言われます」


 少し和やかな空気が戻る。


 その時、様子を見ていたフィンが「はい!」と挙手した。


「どうしたの、フィン?」

「姫様。わたくし、さっき話を聞いていて少し思ったことがあるんですが、恋って人間界じゃないといけないんですか?」


 言いながら、フィンがこてんっと首を傾げる。


「妖怪国にも、いいオスがいっぱいいますよ」


 それを聞いたコンラッドが、「オスって……」と悩み込んだ表情で呟く。


「うーん、動物的な意見ですねぇ」

「騎士さん、わたくし、妖狐ですよ」


 指摘されたコンラッドが、今更ながら、そういえばと喋る狐としばし見つめ合う。


 リリアは少し考えた。それから、首を小さく横に振る。


「ううん、そんなことないわ。そうじゃなくったって構わないって、気付くべきだったわね」

「でしょー。姫様、美人なんだからモテますよ」


 フィンのお世辞を、リリアは困ったようにぎこちない笑顔でかわした。


 でも、彼の先程の言葉で元気が出たのも確かだ。礼を伝えて、その頭を撫でてやった。


「そうよね、当初の目標は父様とここで過ごすこと。爵位を継いで……そして、何もかも見届けたら妖怪国へ行くわ」


 そう口にした瞬間、コンラッドが弾かれたようにビクッとして「えっ」と大きな声を出した。


「どうしたの? コンラッド様」

「え、あの、その、お嬢様が学院に通っていらっしゃるのって……まさか、領地経営のための勉学の一環で……?」

「そうよ?」

「あの、それはちょっと……そして妖怪国に行かれるのも、少々、なんというか……」


 もごもごと、彼が何やら焦って呟いている。


 リリアは、狐耳ごと頭を傾けた。するとコンラッドが、ハッとして彼女の肩を掴んだ。


「お嬢様、できれば突拍子もない行動はしないで頂けると助かります」


 ぐいっと顔を近づけられて、そう言い聞かせられた。


 理想の騎士の顔が、すぐそこにあってリリアは少しドキドキする。でも現実の『別人』だと、もう分かっていたから信頼して尋ね返した。


「突拍子もない行動って?」

「令嬢達に何か言われても、堂々としていてください。だって、殿下に相応しいのは、あなたしか――」


 その時、不意にコンラッドがビクーッとした。


 かさり、と草を踏む足音がした。こんなに近付かれて気付かなかったなんてと、リリアは以前あった王宮の夜の舞踏会を思い出す。


 振り返ってみると、そこにはサイラスがいた。


「二人きりでいるという話を聞いてきたみたが、本当だったらしいな」


 サイラスが、社交辞令の笑みでも返すみたいに、唇の端を持ち上げる。


 なぜかすごく不機嫌そうだ。ドス黒いオーラを発しているように見えて、リリアはわけがわからず困惑した。その死角で、コンラッドが死にそうな青い顔をしている。


「で、殿下、僕は騒ぎがあったので手助けしただけです。誓って、何もしていません」


 主人に極寒の目を向けられ、コンラッドはだらだらと冷や汗を流した。リリアの肩からゆっくりと手を離しつつ、そう弁明したそばからフィンが、


「二人きりじゃないよー、狐もいるよー」


 と、これまた呑気に訂正する。


 サイラスを見ていたリリアは、ふと先程のアグスティーナの言葉を思い出した。


『殿下も困っているのよ』


 そんなの知ってる。嫌がれていたのに国の都合で見合いをさせられ、大喧嘩になった。けれど魔力に耐性があるからと、リリアが一時的な婚約者となった。


 ――社交義務の大きな免除。そして、リリアの自由のために。


 期限は十六歳まで。学院も、その頃には卒業している。


 サイラスの魔力が、それまでにコントロールできるようになっていると見越してのこともあったのだろう。今の状態なら、アグスティーナあたりはもう全然平気、と。


 だから、リリアの役目はほとんど終えたようなものなのだろう。


 婚約者でなくなったら、パートナーだからという理由で出席することだってなくなる。用がなければ王都にはこないから、顔を合わせることはほとんどないだろう。


 でも……喧嘩もできなくなるのかと思うと、なんだかしゅんっとした。


 コンラッドを立たせて、何やらぐちぐちと言っていたサイラスが、ふと大人しくし続けているリリアに気付いた。


「なんだ、電撃もしてこないのか?」


 尋ねられたリリアは、ふるふる、と首を振った。


 サイラスが妙な表情を浮かべた。普段なら何か言ってくるのにと、待っているみたいな間に感じた。


 リリアは、ふいっと視線をそらすと立ち上がった。さっき泣いたせいか、なんだか文句の一つも言う気になれない。どうせ喧嘩もしなくなるんだろう。


「それじゃ。――行くわよ、フィン」


 そのまま目も向けずにそっけなく答え、彼の横を通り過ぎた。


 関心さえ持たれなかったみたいな対応に、サイラスが呼び止めるのも忘れて、息を詰めてその後ろ姿を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る