(六章)姫様、令嬢に突撃される

 学院で、リリアのそばをトコトコと歩くフィンの存在は目立った。


 彼は授業を受ける場所に入れば「ご迷惑はおかけしません」と賢く先に述べ、教授をポカンとさせた。


「いつも姫様――っと、わたくし達のリリアお嬢様が、大変お世話になっております。狐のフィンでございます。何卒、よろしくお願い致します」

「これは、親切にどうも……えっと、君用の椅子も用意した方がいいのかな」

「いえ、わたくしは床で結構です。どうぞ授業をお進めください」


 授業がされている間、フィンはふわふわの尻尾を揺らしながら、時折理解した様子で「なるほど」と呟いて首を傾げたり、物珍しそうに眺めていた。


 移動の時は、しっかり教育を受けた犬のようにリリアの一歩後ろを歩く。


 授業を受ける時は、ずっと静かに聞き入っていた。


 一見すると普通の〝狐〟なので、居合わせ生徒達はざわっとしていた。決してリリアの邪魔はしない。賢い狐である。


「昨日は狸で、今日は狐だ……」

「しかも、またお喋りができる動物だわ……」

「俺、さっきぶつかりそうになったのをよけたら『これはどーも』て言われた」


 遠目から眺めている年下の令息が、ドキドキした様子で胸を押さえていた。


 そんな間にも、昨日あった一件の余韻は確実にあった。これまでリリアを敵視していた同学年の一部の令嬢達の反応は、とくに厳しいものだった。


「狐の愛人探しかしらね?」

「なんて厭らしい人」


 学院に来てからずっと、わざと聞こえるようにされる陰口が、リリアの神経を逆撫でしっぱなしだった。


 その下りは、思わず聞き捨てならず腹が立った。


 愛人ってなんだ。そもそも結婚前提の話、というのが間違いである。


「くぅ……っ、好みがどうとかいう話より、愛人探しっていう一番嫌な感じに……!」

「姫様のこと、かなり嫌っているんですねー」


 フィンが「お察しします」と前足で、リリアのスカートをぽんぽんする。


「ここで真実を突き返せないのも、むかつく……!」

「言い返したいの、よく分かります。愛人ではなく未来の夫探し、が正確ですよね」

「だから、夫にしたい人の好みじゃないんだってばっ」


 これ以上ややこしくされたら困る。リリアは、フィンを掴まえて、いったん廊下の端で言葉早く、今に至るまでを説明した。


 聞き届けたフィンが、うーんと首を捻る。


「つまり、その『れんあいぼん』?で理想のオス像をお探しに?」


 あ、これ、全く理解されていないやつだ。


 リリアは察して、なんだかちょっとした敗北感を味わって沈黙した。なんだか随分と動物っぽいなと思っていると、姿に気付いた数人の令嬢が、わざと聞こえるようにこう言ってきた。


「相応しくないから、とっとと退いて欲しいですわよね」

「そうすればアグスティーナ様が、殿下のご婚約者になれますのに」


 強い言い方だった。


 リリアは、訝って目を向けた。これまでは無視してきたのだけれど、思わず視線を送ってみると、相手方も立ち止まって目を合わせてきた。


 そこには五人の令嬢達がいた。先頭には、誰よりも美しく着飾り、堂々とした様子がパッと目に付く美少女がいた。


 恐らく、彼女がグループのリーダーだろうか。


 ドレスや髪型も、これまでの令嬢と違ってゴージャス感に溢れていた。この年頃にしては肉付きもよく、自分の美しさが分かって最大限に着飾っているのが分かった。


 つい、リリアが見入ってしまっていると、その令嬢が非友好的に目を眇めた。


「こんなところに、許可もなくペットを連れるなんて」


 その喧嘩を売るような言い方に、リリアはカチーンときた。


「彼はペットではなく、私のお供です」

「それを、上の者にはきちんと挨拶を通してあるのかしら? あなたは第二王子殿下の婚約者でしょう。立場からも慎重に行動し、そういったことについてもご報告と許可を頂くべきですわ」

「陛下から、行動の自由はもらっています」


 そのための婚約だ。誰を、何を連れようと、リリアは許されている。


 そんなことを思っていると、色気もあるその美しい令嬢が「ハッ」と鼻で嗤った。けれどその仕草もまた、洗練された所作の一つのように美しい。


「あなたのそれは、ただの我儘ですわ」

「わ、わがまま、ですって?」


 ちょっと待って、それどういうこと?


 そんなこと言われる筋合いはない。まさかの言葉にリリアが「は?」と唖然としている間も、その美女は言ってくる。


「殿下の婚約を、半分あやかしで『魔力が強いから、強い子を産める』という理由だけで勝ち取ったあげく、好き放題やって学院にも〝人外〟を連れてくるなんて」


 非難たっぷりに言われて、生粋の人外派の貴族らかと気付いた。


 人外嫌いはいる。初めて第二王子と出会った時のことが思い出されて、むかむかしてきた。


 後ろの令嬢達は、黙らせられたと思ったのか優越感にひたった顔をしていた。あんた達はただの取り巻きで実力もないでしょ、とリリアは苛々と思う。


「あなたが粗相ある行動をするたび、迷惑をこうむるのは、殿下ですわ」


 その令嬢が、手を緩めずにたたみかけてくる。


「そんな方が婚約者だなんて、本当にサイラス殿下がお可哀そうですわ。殿下も、さぞ困ってらっしゃるでしょうね」


 お見合いでも、かなり嫌がっていたわよ。


 リリアは、ぎゅっと手を握った。彼にとっては、自分は、妻にだなんてとんでもないと思っている令嬢だ。


 そもそも私だって、好きで婚約しているわけじゃない。


 サイラスもそうだ。あの強い魔力の体質がなければ、あの頃、とっくに他の令嬢と婚約が決まって、リリアと知り合うこともなかっただろう。


「――少々、口が過ぎるようですな。誰に向かって、ものを言っているのか」


 じっと見据えていたフィンの狐目が、獰猛の冷たく光る。


 と、不意に彼が気付いて、ハタと我に返った目をリリアへ向けた。


「ちょ、待って、落ちいてください」


 フィンは狼狽えて言った。


 リリアの体から、パリパリッと不穏な音を立てて、放電が起こり始めていた。


 もともと完全にコントロールできていないうえ、ほんの少し前に放電期が終わったばかりだ。昨日、カマルに雷撃を落とした時のような惨状が予想された。


 ――それを阻止するため、忙しいアサギに代わって、フィンがいる。


 令嬢達が、危険であると察知したのか逃げ出した。先頭にいた美少女を呼んで、腕を取って引っ張る。

「アグスティーナ様っ、こちらへ」

「え、えぇ、分かっておりますわ」


 ぱたぱたと、彼女達の姿が向こうの生徒たちに紛れていく。なんだなんだと集まって観察していた令嬢令息達も、こちらを見てまずいと思ったのか、すぐ後退し始めた。


 逃げるくらいなら、しっかり最後まで相手しなさいよ。


 文句も言ったうえで、力でもぶつかってくるサイラスの方がマシだ。


 ――あいつに嫌味を言われる方が、何倍もいい。


 リリアはどうしてか、そんなことまで思ってしまった。サイラスと口喧嘩している時には感じなかった、強い苛立ちを覚えた。


「私だって、好きで、この位置にいるわけじゃないのに」


 令嬢の言葉を思い返すと、妖力の膨らみをこらえきれないくらいに、リリアはますます怒りが抑えられなくなるのを感じた。


 一つずつ口に出されていく小さな言葉で、バリバリッと放電が威力を増す。


「ひ、姫様っ、どうかお鎮まりを」


 フィンが、わたわたとリリアの周りを飛び跳ねる。


 その時、「こっちです!」という声と共に、バタバタとした足音が聞こえてきた。


 一瞬、防御態勢を整えるように強い魔力が動いたのを感じて、リリアは、不意にサイラスのことが脳裏を過ぎり、ハッと目を走らせてしまっていた。


 しかし、そこにいたのは学院でトップの魔力の持ち主である、あのサイラスではなく――。


「えっと……その、こんにちは」


 昨日、カマルが引っ張ってきた『騎士様』だった。

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