(三章)夜の薔薇の庭園にて(1)

          ◆


 アサギと共に会場を出てから、すぐそこの薔薇園へと下りた。


 夜の王宮の庭園は、月明かりを眩しく映す仕様で素晴らしい。日中はよく色映えし、夜は月光で存在を主張する種類の薔薇も、とても美しかった。


 ここは王宮で、リリアにとって唯一のお気に入りでもある。


 お目付役として、会場横の通路からの段差にアサギが腰を落ち着けた。そんな中、リリアは溜め込んでいた妖力を解放して浮遊した。


 今夜もドレスの下には、もちろんズボンを履いている。


 リリアは形ばかりにドレスの尻部分を手で押さえると、真上から眺められる薔薇庭園の綺麗さを堪能した。


「姫様にも、そろそろ侍従となるお供狐が必要ですかねぇ」


 薔薇園の上を、ふわふわと飛ぶリリアを眺めながら、ふとアサギが言った。


 リリアは、月明かりの下で美しい薄金色の長い髪と、ふわふわとした獣耳を動かしてきょとんと彼を見つめ返した。


「なんのために付けるのよ。護衛がいらないのは、アサギもよく知ってるじゃない」

「暇潰しの相手にもなって、用件を言ってパシラせられて、時にはストレス発散にも律儀に付き合ってくれる、忠実でか弱くていじり甲斐もある、面白い下僕です」


 ……下僕って言い切った。


 真面目な顔で『グッ』と親指を立ててきたアサギを見て、リリアはちょっと間を置く。


「なんだか、可哀そうにしか聞こえないんだけど……」

「外へ好奇心が向く頃の仔狐ですから、唐突に行動されないかと心配なんですよ。別の土地まで散歩に行かれるのであれば、お供狐がいた方が、俺としても安心出来ます」


 遠くへの散歩――と、リリアは少し考えて首を捻る。


「そんなの、思ったこともないわ」


 時間が許される限り父のそばにいたい。それに人間界で他に行きたいところなんて、父のいるところ以外に、考えたこともなかった。


 薔薇園の上に浮いたまま、リリアは大きな金色の目を丸い月へ向けた。


 こうして令嬢としての自由を得るために、第二王子サイラスの婚約者になった。


 あの日、決めたことを屋敷の中に戻って父に知らされ、それでいい、とリリアも答えて了承した。


 伯爵令嬢リリアとして、父と一緒にここで生きるために必要な処置だった。……おかげで令嬢達から勝手に嫉妬されて、根拠もない嫌味や噂もされているけれど。


 でも、多くの人に奇異の目を向けられるのは、どちらであったとしても結局のところ、変わらないわけで。


 半分あやかしだけど、もう半分は人間の血が流れている。

 

 リリアだって、他の令嬢や人達と同じように生きているのだ。同じように物を考え、時には傷付く。


 ――でも、そう認められたいとは、もう望まない。


 だって十二歳の頃に、無理だと悟ったから。


「…………人間なんて嫌いよ。嫌い、大嫌い」


 嫌いだと口にすれば、自分から願い下げだと思って自己防衛すれば、心が軽くなると気付いてからずっと口癖だった。


 だから、もう胸はちっとも痛くない。そう自分に言い聞かせる。


 リリアは妖怪国からも見えるという、金色の輝きを放つ月を見上げた。


「ねぇ、アサギ。私もいつか、誰かと結婚しなければいけない?」


 人間界で暮らし続けるとしたら、他の令嬢と同じように、その必要はあるのだろうか。もちろん、結婚相手は、あの第二王子サイラスではない。


「養子縁組があるけど、血は絶えてしまうわけでしょう?」


 自由にしていいと、父のツヴァイツァーは言っていた。けれど家を継ぐとしたのなら、本当は婿を迎えた方がよかったりするのだろうか?


 するとアサギが、狐っぽい笑顔をにこっと浮かべて言う。


「結婚は、姫様の自由ですよ。望むようにレイド伯爵家を継いで、ゆくゆく養子を取って、次の伯爵を育てるのでも全然オーケーです。俺達の時間は、とても長いですからね。姫様が『守れ』というのなら、姫様が去った後も、妖怪国の領地の者達が引き続き守るでしょう」


 なるほど、未婚で爵位を継ぐのは問題ない、と。


 リリアが今一度思い返していると、アサギが軽く笑った。


「領主になったら、そもそも結婚の義務から外れます」

「えっ、そうなの?」

「姫様が継ぐとしたら、外から婿入りしてもらうしか、選択肢がなくなりますからね」

「あ、そうか」


 そうすると、とくに第二王子なんてもってのほかだ。王家を出て、伯爵一族に下るなんて、考えられないご身分の人である。他も同様だろう。


「先にも言いましたが、俺達の時間は長いんです。姫様は、望まれる方と沿い遂げればいいのだと思います。――俺も〝里の者達〟も反対しません、姫様にずっと付いていきます」


 穏やかに告げたアサギが、途端にパッとひょうきんな笑顔を作る。


「もしかしたら、旦那様のような人間と巡り会うかもしれませんし? そのままスピード結婚、なんていう可能性もありますよね」


 リリアは、ぐっと言葉を詰まらせた。やや動揺を見せたのち、どうにか持ち直して強気な態度で肩にかかった髪を払った。


「絶対にないわね。私、そんな子供みたいな夢なんて、見ないし」


 その露骨な強がりを見て、アサギが「え~」と眉を寄せた。


「でも姫様、ロマンチックな小説にドハマりしているじゃないですか。正統派騎士様が、最近のツボなんですよね?」

「うっ……そういえばアサギには、つい熱く語っちゃっていたんだっけ」


 心の声をぽろっと口にしたリリアは、そこでハッとする。


「ふ、ふん! いいのよ、どうせ似合わないって、自分でも分かっているんだから」


 物語に出てくる女の子は、みんな守られるような可愛らしい子達だ。


 まだ完璧にコントロールできてなくて、うっかりのレベルで雷撃を落とすような自分とは、真逆だと分かっている。


 そもそも、とリリアは宙に浮いたまま悔しそうに拳を作った。


 初めてお目にかけた絶世の美少年。なのに性格が最悪だった、あのクソ忌々しい第二王子サイラスと正反対の男であれば、どれも素敵に思えてもくるというもの。


「言っておくけど、物語としてちょっと面白そうだなって思って、読んでいるだけなんだからね。騎士様と運命的な恋に落ちてラブラブしたいなんて、私はぜんっぜん思ってないんだからね!」


 ぷいっとリリアがそっぽを向く。


 その様子を、段差の方からアサギがぼけーっと眺めつつ頷く。


「なるほど、なるほど。しかし先日も、『颯爽と連れ出す騎士様とか、最高にかっこいい』『現実に起こらないかしら』『きゃー』――とか言ってませんでしたっけ?」

「ちょッ、なんでそんなことまで知っているのよ!?」


 嘘でしょ、リリアは思わず目を剥いた。


「嘘じゃないですよ。蔵書室での叫び声が大き過ぎて、使用人一同バッチリ聞こえていました」

「うっそぉおおおお!? ちょ、その時、父様も菜園のところにいた日じゃないのっ」

「ああ、ちなみに旦那様は、そういうのもオーケーだそうです」

「いいの!?」

「姫様が幸せならそれでオーケー。ひとまず全力で応援するので、その際には『愛の逃避行』はせず、一番に相談して欲しいとおっしゃっていました」


 父様、よほどあの王子が嫌なのね……。


 リリアは、日頃から『クソ王子』とも呼んでいる父のツヴァイツァーを思い返した。社交の場で、娘の婚約者、として顔を合わせるのも嫌であるらしい。


『俺とオウカの可愛いリリアを、ヤローに渡すのは嫌だ……くっ、しかし、あと約一年、周りから『あ、第二王子殿下の義理の父になる人だ』なんて言われるのが、もっと嫌!』


 そう言っていたのを思い返すと、電撃恋愛でもして婚約者の位置からリリアを逃がしたい、という彼の気持ちもありありと分かった。


「まぁ、小説に出てくる騎士様みたいな、ああいう感じの人がいると素敵よね」


 外では澄ましているけれど、恋愛小説を楽しく読んでいるのは認める。


 リリアだって年頃の女の子だ。半分人間としての血が流れているせいか、他の令嬢と同じくらいには恋愛に興味があった。


 ……絶対に叶わないと分かっているから、興味がないふりをしてるけど。


 だって、負けたみたいで悔しいのだ。他の女の子達は、異性に好きになってもらえるけど、リリアは違う。


 自分のことを『好き』だと言ってくれる誰かが現れたのなら、リリアにとって一番の最高な贈りものだ。毎日がとても素敵になるだろう。


「剣一本ってところも男らしいし、軽々と抱き上げちゃうあたりもポイントよ」

「ははぁ、なるほど。姫様って、結局のところ強いオスが好きなのでは?」

「失礼しちゃうわね。別に、私より強くなくったっていいの。護衛してる騎士様とか、誠実で素敵な人だったら、貴族じゃなくても結婚しちゃうかも――」


 不意に、カサリと衣擦れの音が聞こえて、リリアは言葉を切った。


 殺気や敵意がなかったとはいえ、この距離まで気付けなかったのにも驚いた。


 リリアと同じくして、アサギも一体何者だろうかと反射的に振り返る。するとそこには、王族としての品溢れる正装に身を包んだサイラスがいた。

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