クリエイターズ・ギルト
柏沢蒼海
名も無き傭兵のプロローグ
気が付くと、目の前が真っ暗だった。
それに身体が動かない。
――あれ、オレは何してたんだっけ?
ぼんやりとした意識の中でなんとか記憶をたぐり寄せる。
脳裏に浮かんだのは駅のホーム。
着込んだ防寒具が機能しないような、刺すような寒さを覚えている。
12月の東京、年末――
――そう、オレはたしか……
大型同人イベントのために、電車に乗ろうとしていた。
地元から新幹線で5時間。予約していたカプセルホテルで夜を過ごし、おそらく同じ目的地に向かうだろう集団と共に最寄り駅へと向かう。
大量の印刷用紙を入れた封筒がバックパックにあるのを確認し、数分後にやってくるだろう電車を待っていた。
このイベントには大手出版社の編集部が参加しており、原稿の持ち込みを受け付けていた。その出張編集部に対し、オレは最高傑作を用意したのだった。
――まだ、完結してないけどな。
頑張って書いた企画書、序盤と前半のオチくらいまで書き進めた原稿。
年末のコンクリートジャングルを歩き抜くために、軽食や温かい紅茶を入れた水筒もバックパックに入れている。
自分の都合で休憩や体温調整が難しいのが冬の東京である。豪雪地帯の出身であったとしても、そこは厳しい環境だ。
地方は車社会。飲食や休憩を車内で済ませられるが、都心はそういうわけにもいかない。
寒空の下、吹き抜ける冷風に凍えながら電車を待っていた。
乗るべき電車が来るまで、あと少し。
アナウンス放送が流れ、やっとか……と安堵した矢先だった。
携帯端末が騒々しく鳴り出す。
その音には耳に覚えがある――――緊急警報のアラート!
即座に画面を見ると『大地震の恐れあり』という通知が出ているのを認識した途端、突き上げるような揺れがやってくる。
転ばないように膝をつき、周囲を見回す。ほとんどの人が立っていることもできない状態だった。
その揺れ方は尋常ではない。
陰謀論のように囁かれ続けてきた首都直下地震。それが起きていると確信した。
揺れはどんどん強まり、上体を起こしているのさえ大変になる。
地面に手をつきながら頭上を見た。
頭上でミシミシと音が鳴った気がした。
それと同時に、上から何かが落ちてくる。すぐ目の前に落ちたのは照明の一部……だと思われる。
ここにいたら危ない――
そう思ったから、改札までも戻ろうと考えた。
しかし、多くの人々が同じことを考えていたようだ。
這いながら改札の方に向かう集団、それによって混雑している。あのままでは揺れが収まってもパニックに巻き込まれて身動きが取れなくなるだろう。
こういう時は、電車の中にいた方が安全だと聞いたことがある。
改札へ向かおうとする群衆から離れるように、誰もいない階段を手すりにしがみつくようにして上がっていく。
そして、反対側のホームに辿り着いた。
そこには止まったままになっている電車がある。回送の電車だった。
運が良いことに、ドアは開きっぱなしである。
その電車に乗り込もうとして――――何かが落ちてきたことだけは覚えている。
なんだったかまではわからない。
今、身動きが取れないのは……もしかして、生き埋めになったからだろうか?
東京の駅のほとんどは耐震工事が済んでいるはずだ。
だから、崩落はあり得ない……と思いたい。
――ならば……どうして?
本来ならパニックになってしまう場面なのだろうが、オレは何故か冷静だった。
周辺の情報を少しでも得るべく、耳を澄ますことにした。
すると、微かにだが人の声がする。それは悲鳴とか、叫び声とか、そういったもののように聞こえる気がする。
きっと、凄惨な状態になっているのかもしれない。
あれだけ強くて、長い揺れは初めてだった。震度7……8以上はあるんじゃないだろうか。
そんな揺れの中で多人数が動けば、接触程度で済むわけがない。転倒して頭を打ち付けたり、線路に落ちたりすることもあるかもしれない。
死体を見て、悲鳴や絶叫が上がる。
そんなイメージが漠然と思い浮かんだ。
――じゃあ、揺れは収まったのか?
生き埋めになったら、数日間は抜け出せない。
最悪、1ヶ月以上このままかもしれない……そんなことになれば、間違いなく死ぬだろう。
喉の渇き、空腹、糞尿を垂れ流しながら絶望の表情で息絶える自分――そんな姿を想像してしまい、吐き気が押し寄せてくる。
――落ち着け、まだ死ぬと決まったわけじゃない。
深呼吸して、冷静さを取り戻そうと試みる。
外界の熱っぽい空気に、思わず咳き込みそうになった。
――あれ、呼吸出来てる……?
口元のマスクを唇と顎の動きでなんとかずらし、匂いを嗅ぐ。
湿った埃と何かの焼けるような匂い、それに濃厚な……形容しがたい臭気も感じる。
もしかすると、混乱の最中で火事が起きたのかもしれない。
そうだったとしたら、ここにいるのはマズい。
――今すぐ、どうにかしないといけない!!
全身に力を入れ、動かせる場所が無いかを確認する。
指先から足首まで、至る所の空間を探る。
すると、頭と胸の辺りに空間があるようだった。
なんとか腕を引き込み、胸元の空間に自由な腕を持ってくる。
痛みや違和感は無い、暗くてわからないが怪我をしているようには思えなかった。
――頼むぜ、ここから出してくれよ……!
胸の上にあるものを押す。
その冷たい感触、ザラザラとした手触り、平面のそれはおそらく鉄板だろう。
1人の力で押しのけるのは難しい。少しでもずらすことができれば、抜け出すことも難しくないはず――
精一杯の力を入れると、平面の物体はゆっくりと動き始めた。
僅かだが、光が差し込んでくる。
――よし、このまま……!
頭を出せるくらいの隙間が出来る。
身体を起こしつつ、鉄板を押しやるように動かした。
すると、上半身を覆っている瓦礫があっさりと崩れていく。
そのまま這い出すようにして、オレは瓦礫の山から脱出することができた。
どうやら、大小様々なコンクリート片の中に埋もれていたらしい。
小さな鉄板のようなものが蓋をするような形で、覆い被さっていたようだ。
ともかく、抜け出せて幸運だった。
一息ついて、周囲を見回す。
すぐに避難をしなければならないが、現状把握が優先だ。
だが、明らかに違和感があった。
オレは都心の大きい駅のホームにいたはずだ。それなのに、あるべきものが見当たらない。
それに、ここは駅のホームではなかった。
線路も、案内板も、改札や別のホームに向かう階段すらも見当たらない。
オレはいつの間にか、街中――広場のような場所にいた。
立ち上がって、自分の状態を確認。
怪我は無し、痛む所も無い。バックパックの中身は無事――もちろん、原稿も大丈夫だ。
遠くで火の手が上がっている。
その方向から人々が逃げてくるようだった。
なんとなく、爆発音のようなものが聞こえてくる。
火災現場でおきるバックドラフト……とかいう現象のヤツだろうか。
かつてないほどの震災、地震が日常である日の本の民である我々でもパニックになるのは当然だ。
――って、オレも避難しなくちゃ……!
バックパックから水の入ったペットボトルを取り出し、軽く給水。
服に付いた埃やコンクリートの粉末を手で払い、移動を開始。
人の流れに加わろうと、大通りへと向かう。
こちらに向かってくる人々の表情は必死の形相だった。
避難は冷静に、かつ慎重に――我先に助かろうと脱兎の如く逃げるのは、パニックになっていれば仕方無いのかもしれない。
しかし、オレはそうではない。
様々なサバイバル本や政府発行の避難マニュアルを熟読し、創作で使えるネタにするべく大体のネタを把握しているのだ。
理想の主人公像を描くには、そうしたタフネスを描くために必要な知識や要素を網羅しなければならない。
主人公が主人公たるメンタリティ、それをご都合主義で済まさないためのインプットは重要だ。
――それにしても、まるで何かから逃げてるように見えるな……?
避難民の向こう、黒煙と火柱の中に影が見えた気がした。
微かに、地響きが伝わってくる。
そして、黒煙の向こうから何かが現れた。
それは……オレにとって見覚えのあるものだ。
――あれは、まさか……でも、どうして!?
オレの原稿の中に登場する敵[クリーナー]、宇宙から飛来した敵性地球外生命体だ。地球人類はクリーナーと戦い、緊迫した情勢の影響で軍事企業が政府より権力を持つ世界……となれば、あとは――
すぐ頭上から熱波が降りてくる。
咄嗟に姿勢を低くすると、噴射音のようなものが聞こえた。
次の瞬間、大きな衝撃がやってくる。
顔を上げると、そこには大きな人型――ロボットが降下してきた。
それはまさしく、オレの作品に登場するメカ[コアド・シリーズ]の量産機。
右手に持つ火器――ライト・マシンガンを迫ってくるクリーナーに向けて発砲。
ドラム缶サイズの空薬莢が火器から排出されるのを見て、オレは興奮を抑えられない。
――すげぇっ!!
どんな徳を積めば、自分が書いている作品世界の夢を見られるのだろうか。
目の前で戦う自作メカの姿に、オレはすっかり見入っていた。
4本脚でドコドコと歩くクリーナーが爆散、人々を追い立てていた敵の姿が順番に消えていく。
「いいぞ、やれェー!」
火の手が上がり、黒煙が空を覆い隠す。
そんな空に、青白いスラスター炎を伸ばしながら戦う人型メカ――量産型コアド「リトルベア」が敵を屠っていく……と思った矢先のことだった。
上昇した機体をいくつもの光条が飛んでいく。
機体のあちこちで爆発が起き、黒煙とスパークを発しながら「リトルベア」が落ちてきた。
――ふざけるな!!
被弾した「リトルベア」はすぐ近くに墜落。数回跳ねるように滑ってから、新しい瓦礫の山を築き上げた。
「――冗談じゃねぇッ!! メカデザインに4万も払ったんだぞ! もっと活躍しろよっ!!」
設定はモリモリ、デザイン案だって3つも出してもらった。
練りに練り、凝りに凝った機体。技術系譜や世界観の象徴たる量産機の無様な姿に、怒りが湧き上がってくる。
どこのヘボパイロットが乗ったら、あんなやられ方をするのだろうか。訓練教官の顔を見てみたいものだ。
仰向けに倒れたままの機体、それに近付く。
すると、胴体の上部にあるハッチが開いた。そこからパイロットスーツを着た男が這い出てきた。
「おい! そこのザコパイロット!」
オレは怒りのまま、大声で叫んだ。
だが、パイロットの方はこちらに見向きもせずに駆け出す。
「てめぇ! 逃げンじゃねー!!」
追い掛けようと1歩踏み出した瞬間、何かに吹き飛ばされた。
その衝撃で頭がくらくらする。
地面に手をつき、状況を確認。
どうやら、何かが飛んできたらしい。
――何か? これは、どう考えても攻撃だろ。
舞い上がった土煙が収まると、そこには人が倒れていた。
何人も、ぐったりして動かない。
これは……そう、気を失っているだけだ。きっとそうだ。
近寄ろうとすると、何かに突き飛ばされる。
それは人だった。
さっきまで遠方に見えていた避難民、クリーナーに追われている人々だ。
誰1人として、倒れている人のことなど気にも留めない。
踏み越え、蹴飛ばし、その上に倒れ込む――まるでそこに人がいないとでも言うかのようだ。
避難民の流れに巻き込まれないように後退る。人々の足下から視線が外せない。
足蹴にされる人達、その中に混じる小さな人影。子供のようだった。
少女が、こちらに手を伸ばしていた。
ツインテールの髪型をした、可愛らしい洋服を着た女の子。その青色の瞳がオレを捉えている。
次の瞬間、少女の手を誰かが踏みつけた。
いや、それは意図的じゃないのかもしれない。
オレはただ、少女が逃げ惑う人々によって足蹴にされるのを見ているしかなかった。
彼女が何か悪いことをしただろうか?
10代前半くらいの少女が冒す罪はなんだろう、お菓子や夕飯をつまみ食いするくらい?
ちょっと大人ぶって、同年代や年下の男子をからかっていたかもしれない。
あんな可愛い女の子が、手を伸ばしていた。その表情を、オレはちゃんと見ていなかった。
おそらく、助けを求めていたはずだ。
他の誰でもない、オレに――?
どうして誰も、倒れている人を助けようとしないのだろうか。
どうしてそんなに、自分の命が大事に思えるのだろうか。
何のために、生き延びたいと思うのだろうか。
わからない、わからないことだらけだ。
目の前の惨状、迫り来る死。
自分の頭の中にあったメカや敵が登場する光景、それはどう考えても夢に違いない。
現実のオレは、新幹線の座席かカプセルホテルで寝ているかもしれない。
それなのに、まるで現実のように生々しくて――辛くて、苦しい。
避難民の波が過ぎ、無数の足跡にスタンプされた人々の身体が横たわっていた。
さっきとは違い、明らかに死んだとわかる人もいる。
あの少女は、こちらを向いたまま……痙攣していた。
オレは思わず、少女に駆け寄っていた。
即座に脈と呼吸を確認――まだ、息がある。
あらぬ方向に曲がった腕や足、泥と血だらけの身体。
虚ろな眼は、きっと何も捉えてはいない。
――クソ、なんだってんだよ。
他の人は、とてもじゃないが助けられそうもない。
探せば、きっと助けられる人もいる。それは間違いない。
だが、オレは医療知識があるわけでもないし、専門家じゃない。
応急処置でさえ、今の状態でやれるかわからなかった。
――それに、時間も無さそうだ。
爆発と轟音が迫ってくる。
まだ敵は残っているし、ここはヤツらの進路上だ。
このままでは、4メートル級の巨体に踏みつぶされておしまいだ。
2メートル以下の人間から、機械生命体に踏まれることに変わっただけでしかない。
オレだけでも逃げられるかもしれない。
今すぐ目の前の少女のことなんか忘れて、背を向けてしまえばいい。
だが、手を伸ばしてきた彼女の姿が瞼の裏に焼き付いたようにフラッシュバックしてしまう。
声も、名前も、何も知らないただの他人――それでも、オレは……
――助けたい。
クリーナーと戦うには武器が必要だ。
とにかくデカくて、強い武器が……!
すぐ目の前に仰向けで倒れたままのコアド「リトルベア」――
そのコクピットハッチは解放されたままだ。
――ええい、なるようになれ!
バックパックを放り投げ、滑り込むようにコクピットに乗り込む。
固い感触のシートに背中を預け、シートベルトを着用。自分で考えた通りの6点ハーネスベルト、イメージに忠実なところがありがたい。
薄暗いコクピット、淡い光を放っているいくつものコンソールディスプレイ。
イラストレーターにあれこれ注文をつけて描かせたコクピットのデザインそのままだ。
自分が思い描いていた通りのコクピットレイアウト、一目でその機能を把握する。
即座にタッチパネル式のディスプレイを操作、表記は英語――簡単な英語くらいは使えるつもりだ。
即座に上体を起こし、機体の状態を確認。
脚、左腕、背中のスラスターが損傷して使い物にならないようだった。
おまけに頭部に被弾しているせいで、メインモニターには何も映っていない。
――ホント、乗ってるヤツはどんだけヘボだったんだ!?
頭上から狙撃用のスコープを引き出し、コンソールディスプレイを操作してガンカメラの映像を直接転送。
――これくらい、元IT業界人なら朝飯前だぜ!
操縦桿に付いているスティックに親指を乗せ、動かして照準を操作。
だが、思ったように動かない。
「――瓦礫に左腕が巻き込まれてるのか?」
ステータスが表示されているディスプレイに触れ、詳細情報を展開。
想定した通り、腕部は瓦礫に埋まっているせいでシャーシが損傷している。そのせいで胴体を回頭させることができそうになかった。
使い物にならないなら、外すだけだ。
コアド・シリーズは腕や脚を換装することが前提で構築されたメカである。
だから、外すのも、付けるのも、自由自在だ。
操作を入力し、コマンドを実行。
接続軸を外すための炸薬が弾けた音と共に、ステータスの表示から左腕が消えた。
――これならやれる!
照準も自由、回頭も可能。
スコープに表示された照準と残弾、迫り来る巨躯にロックオン用のアイコンが重なった。
緑色の四角形、敵を示すアイコン表示に照準のクロスヘアを合わせる。
――舐めるなよ、1日4時間みっちり
4本脚で歩きながら迫ってくるクリーナー、その赤色に光るセンサー部に向けて――トリガーを引く。
発射炎、反動、減少する残弾数。
そして、照準越しに爆発が見えた。
木っ端微塵に吹き飛ぶクリーナー、ぞろぞろとやってくる敵に続けて撃ち込む。
命中、命中、命中……迫ってくる敵を次々と撃破。
すると、黒煙を裂くように光弾が飛来。
コクピットが激しく揺れ、警報と警告表示で視界と聴覚が塞がれる。
――クソっ、負けてたまるかよ!
適当にトリガーを引いて、まだ捕捉できてない敵に撃ち込む。
このまま攻撃を受け続ければ機体が耐えられない。先制攻撃あるのみだ。
だが、途中でそれもできなくなる。
スコープに表示されていた残弾数が――0になっていた。
――畜生、ここまでか。
やれることは全部やった。
あとは、逃げるだけだ。
コクピットハッチを開放、なんとかコクピットから抜け出す。
上体を起こしたままの機体、その胴体からゆっくりと降りる。
ようやく、地面に足をつけた。
生きた心地がしなかった――が、まだ終わっていない。
――今すぐ、逃げないと……!
倒れたままの少女の元へ駆け寄る。
だが、4本脚の化け物はすぐそこまで迫っていた。
――もっと、弾節約すれば良かったな……!
目前までやってきたクリーナーの迫力に、オレは尻餅をつく。
頭では逃げなければいけないとわかっているのに、身体が言うことを聞かない。
死が迫っている。
せっかく抗ったというのに、オレはもう――死を受け入れようとしていた。
大したこともできない30年だった。
友達、恋人、仕事や趣味で張り合う相手もいない。
いつも何かに憤って、八つ当たりするように作品をこしらえて、完結まで辿り着けずに放り投げる。
オレはいつも中途半端――いつまで経っても半人前、もしかしたら半人前以下かもしれない。
職場も、家族も、オレを頼ってくれる人は誰1人としていなかった。
もちろん、期待してくれるわけもない。
必要とされない人間、そんなヤツが死んだとしても……誰も悲しまないはずだ。
未来も、存在価値も、金すら無い人間を活かす理由があるだろうか?
だから、オレは――――
突然、爆発と衝撃がやってきた。
けたたましい砲声、爆音。
思わず閉じていた瞼を開けると、頭上から次々と砲弾やミサイルが撃ち込まれているのが見えた。
そして、悠然と舞い降りる機影――人型兵器[コアド]の勇姿。
10メートルの巨躯が、こちらを向いた。
頭部の光学センサーがチカチカと動いているのが見える。
『――そこの民間人、動けるか』
拡声器で発せられた声に、オレはハッとした。
見覚えのある機体構成、左肩に描かれた天使のレンブレム――そして、某有名男性声優と同じ声色。
作品世界最強の傭兵、主人公のライバルとなるエースパイロットだった。
「たすけてくれ……」
ライバルキャラは人情味のある、気さくな性格。
なら、民間人を助けてくれるはず――
「重傷の女の子がいるんだ! 早く搬送しないと!」
オレの声が届いているかわからない。
しばしの沈黙の後、ようやく反応が返ってきた。
『……悪いが、敵の掃討が終わっていない。それにその子はもう助からないかもしれない』
「――ふざけんなッ!!」
『助けるかどうかは、こちらで判断することじゃない。早く逃げるんだ』
そう言うと、こちらに背を向けてスラスターを噴射。
青白い炎を瞬かせて上昇、どこかに去って行った。
――クソ、どうなってるんだ?
まだ書けてはいないが、主人公と一緒に民間人を救出するエピソードがある。
諦めかけた主人公を叱咤するシーンも用意していたりするのに、あんな態度を取るわけがない。
きっと何かの間違いだ。
すぐ近くで呻き声がする。その声の主は少女だ。
バックパックを回収し、中から水の入ったペットボトルを取り出す。
「大丈夫……か?」
虚ろな眼が、オレを捉えている。
弱り切った表情、震える唇が何かを伝えようとしているが何も伝わってこない。
――どうすればいい、どうすれば……?
「水、飲むか?」
少女が小さく頷く。
彼女の口元にペットボトルを近付け、ゆっくりと水を飲ませる。
その後に、自分が口を付けたものであることを思い出してしまい、申し訳なくなった。
――こんなダサい男と間接キスなんて、嫌がるだろうな……
このまま、ここで助けがくるまで待つしかないのだろうか。
ふと、バックパックに入れた封筒に目が行った。
この後の展開を、ゆっくりと思い出す。
戦場になった都市、そこで放棄された機体に乗って戦った主人公はそのまま傭兵として戦いに身を投じる。
序盤でクリーナーに攻撃された都市は、そのまま放棄されて難民が近くの町に押し寄せる――というエピソードを書いていた。
つまり、ここにいても助けは来ない。
バックパックには軽食と飲み物がある。
オレ1人なら、少なくとも餓死は免れることができるだろう。
――だが、その先はどうする?
これが覚めない夢で、オレが勝手に描いた終わりの無い戦争が続く作品世界だとしたら……生きる手段が必要になる。
財布に入っている日本円がこの世界で使えるわけがないし、働いて稼ぐ必要もある。
オレにどんな仕事ができるだろう?
家事全般が出来ても、大した収入にはならないし――
少女が瞼を閉じ、身体から力が抜けていく。
まさか、死んでしまったのかと脈や呼吸を確認するが――まだ、大丈夫のようだ。
――この子を見捨てるか?
オレ1人でも生きていけるかわからない。
それでも、見捨てる理由にはなりはしない。
今を乗り切り、収入を得たとしても――ここで見捨てたら、絶対に後悔するはずだ。
ダメで元々、オレの人生なんて上手くいった試しが無い。
ならば、賭けてみるしかない。
中破したコアドに乗り込んだように、とにかく抗ってみるだけだ。
この子だって、オレだって、どのように転ぶかわからない。
もし、少女に助かる見込みがあるなら――行動するべきだろう。
ゆっくりと少女を抱きかかえる。
人を担ぐ経験なんてあるわけがない。できるとしたら「お姫様だっこ」くらいだろう。
即席の担架やキャリアーなんかを用意した方が良いのはわかっている。
だが、今のオレにはこれしかできない。
できることをやろう。
それが、オレの身の丈に合った生き方だった。
もし、彼女が元気になったら……身の丈以上のことをやってみるのもいいかもしれない。
金を稼ぐ方法は思いつかない。
でも、無いわけじゃない。
機械生命体[クリーナー]との戦いはまだまだ続く。
そして、パイロットは常に不足している。
傭兵として登録すれば、最低限生活できるだけの環境と資産を得ることができたはずだ。オレが実戦で戦い抜けるかはわからないが、コアドを操縦することはできる。
――まずは、1歩から。
生き抜く。
それがどんなに大変でも、やるだけやってみるしかない。
今のオレは、それが精一杯だった。
クリエイターズ・ギルト 柏沢蒼海 @bluesphere
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