鬼と獣(1)

 空を見ながら雪弥は口を開く。


「僕は、宮橋さんが考えている事が、いまいちよく分からないんです」


 何が、と宮橋が目を向けないまま、独り言みたいな声量で尋ね返してくる。


 怒っている感じはしない。答えないぞ、という普段の『いちいち質問してくるな』みたいな姿勢でもない事を確認してから、雪弥は続ける。


「あの鬼男の言い方からして、殺し合いです。そして場を用意したという宮橋さんの言い分を思い返すと、戦闘を見越しているのも分かる――でも、あなたは、そういうのが嫌いなんでしょう?」


 雪弥は、彼が『殺し』というキーワードに敏感であるのを考え、後半を言い直した。


 二呼吸分ほど、どこか考えるような間があった。ややあってから、本当にやれやれと言わんばかりの様子で、宮橋が小さな息を鼻からもらした。


「僕は中立の立場だけどね。せめて、味方ではありたいと思っているよ」


 味方、と、雪弥は口の中で繰り返す。


 それは誰の味方なのだろうか。刑事として守っている人々の事か。それとも彼が大切にもしているらしい同期の刑事達や、同僚や後輩や――そして〝人〟か。


「君ってやつは、ほんと、鈍い子だね」


 そんな声が聞こえて、雪弥は思案をやめた。目を戻してみると、なんだか苦笑を浮かべている宮橋がいた。


「まっ、君の言う通り、僕はどんな理由であれ人を殺す行為を嫌悪している」


 そう言った宮橋が、よいしょと立ち上がった。強く吹きぬけている風に身体が持って行かれないよう、アーム部分の機器の突起に手を置いて身を支えた。


「じゃあ、なぜ僕に付いてきたんです?」


 嫌悪するのなら、見ない方がいい。

 雪弥は、そんな言葉を続けないまま、宮橋を見上げて尋ねた。彼は、それなのに自分に考えさせろと言い、舞台だと言って一番の特等席を陣取ったのだ。


「ふむ。君にしては、まぁまぁいい質問だ」

「『君にしては』って評価が、すでに辛辣すぎる……」

「僕はね、これでも君を気に入っているんだよ。それは、たった少し話しただけの三鬼も、藤堂も。そして食堂で一緒になった連中だって一緒さ」


 それは一体どういう事なのか。

 そんな雪弥の疑問でも察したみたいに、またタイミングよく宮橋が視線を返してきた。


「人間ってのはね。どんなであれ、根っこの部分まで〝嘘を付けない〟ものなのさ」


 宮橋の形のいい口元に、不意に勝ち気な笑みが浮かぶ。


「――それを人は、素直なバカ、と言ったりする」


 ニュアンスが、先日『猫」と名乗った少女にどことなく似ている。


 が、言葉がひっどい。

 雪弥は、そこに隠されている意図やら思いやらを考える間もなく、勘繰りさえも放棄して脱力してしまった。


「素直なバカって……僕は、そのどちらでもないかと」

「自分でそう名乗るやつも少ない」


 がっくり項垂れた雪弥の横で、ふふんと宮橋はどこか満足げだ。


「僕は〝殺しを否定する者〟だよ、雪弥君」


 唐突に宮橋が、凛、とした声で言い放った。


 今更何を、と言いかけて、頭を上げた雪弥はハタと気付く。向こうを真っ直ぐ見据えた宮橋は、微塵の尻込みも見せずにニヤッとした。


「だが、相手は人間ではない」


 宮橋が、ハッキリとそう述べた。


 いつの間に現われたのか。積まれたコンテナの前に、黒い〝もや〟のようなものが蠢き、そこから次から次へと出てくる者達の姿があった。


 ――〝鬼〟がいた。

 それは、まさにそう表現する方が相応しい。


「なんだ、あれ」


 呟いた雪弥の気配が、すぅっと警戒を帯びて次第に引き締まる。


「だから言ったろう、〝鬼だ〟と」


 一人、毅然と顎を上げた宮橋がそう答えた。


 周りの気温よりも高い温度をまとっているというのか、身体から立ち昇る異様な湯気。正気ではない呻り声を上げる鬼の形相と、額についたコブのような突起。


 身にまとっているのは、古風な武道着のようなものだ。太い首、弾けんばかりに膨れた筋肉、巻かれたベルト装備には鉄製の鈍器や己がある。


 まさに表現するならば、鬼の大群。


「いや、いつの時代の話だよ」


 いつか見た絵から出てきたような光景に、雪弥は頭がついていかず、くらくらした。


 ――一瞬、頭を過ぎったのは〝戦乱〟だ。


 蒼緋蔵邸で見た、あの古い文献の絵やらを見た影響だろうか。けれど近代的な背景との組み合わせに違和感があるのに、雪弥はこの光景を、ずっと前に見た事があるような錯覚に襲われてもいた。


 いや、そんなはずはない。

 そうなのだけれど、でも、どうしてこんなに既視感があるのか――。


 その時、向こうから〝唯一言葉が発せる鬼〟と目が合った。続いて雪弥は、彼が怒号を上げるのを聞いた。


「約束通り殺しに参ったぞ! 蒼緋蔵家の番犬候補よ!」


 自我も失ったような大男達の先頭に、一回り大きな、以前山で怨鬼一族だと名乗ったあの大男の姿があった。


 彼が、この特攻と殲滅部隊のリーダー。

 見据える雪弥の蒼い目が、殺気を帯びて冷やかに光をまとう。


『約束通り、来た! 我は怨鬼の部隊長なり!』


 一瞬、覚えのない記憶の声が重なって、脳がぐらりと揺れた気がした。


 そうだ。アレ以外に、話せるまともなモノなどいなかった。来るたびにそうだった。何代目になろうと変わらない一つの事。それが、彼らの一族だった。


 ――蒼緋蔵の本家に、青い目を持った男児が一人、生まれるようになったのと、同じ。


「これも、宿命なのかねぇ」


 ふと、そんな呑気な美しい男の声が耳に入って、雪弥はハタと我に返った。


 今、何を考えていた……?

 でも、すぐにまた分からなくなる。けれど鬼の大軍の中、あの大男の呼び名が怨鬼であるのは悟っていた。


 宮橋が、そこで高みの見物から雪弥へと目を移した。


「彼らの一族は、現代に存在している鬼の集団の代表なのさ。生まれながらに鬼、一族の者が死して鬼になるのも多々――これで分かったかい?」


 人ではない、と彼が先程言った事への問い掛けか。


 そう言われたとしても、否定する言葉は出てこない。肌で感じるのは、異常な〝異質さ〟だ。おおよそ同じ人であると言い切れない、死人か地獄を彷徨う悪鬼のような感覚。


 雪弥は先程、宮橋が〝残念ながら〟と表現した理由が、分かった気がした。


「これで、僕がいようと君は迷わないだろう」

「――そう、ですね」


 実のところ、少し宮橋がいるのがやりづらいと感じていた。彼は『刑事』で、雪弥とは生きる世界がだいぶ違っている。それは、過ごしたこの数日で分かっていた。


「僕は、いちおう宮橋さんの護衛です。何かあったら」

「そこでまた悩むわけか? おいおい勘弁してくれよ、雪弥君。僕は今回、特別なサポーターだ。こう見えても現代に残された生粋の、一流魔術師なんだぜ」


 柄にもなく、やや品もない感じで言ってのけて、宮橋が強気に笑って見せる。


「残念ながら、ただの人間に〝魔術師〟を継承された僕を〝視る〟事はできない。見えもせず、認識もできないのに殺す事はできないってわけだ」

「はぁ……。つまり『気にせずヤれ』というわけですか?」

「そういう事だ。難しく考えるな。それに僕だって、身の安全のための予防線はきちんと仕込んでもあるさ」


 それなりに考えて付いてきている。そう伝えられた事を察した雪弥は、小さく息をつくと、携帯電話を取り出して宮橋に手渡した。


「『白豆』を預かっていてもらえますか? 携帯電話はどうでもいいんですが、白豆に傷や血汚れが付くのは、可哀そうなので」

「あー、うん、まぁ、構わないよ。いやー、しっかり『飼い主』やってるんだなー。感心、感心」


 宮橋が、どうしてかここにきてほぼ棒読みで言った。

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