鬼と獣(2)
宮橋が、ポケットにしっかり『白豆』をしまうのを、雪弥は見届けた。ネクタイをシャツの中に一部しまい、スーツの袖口もしっかりと絞め直す。
標的を見据え、冷静に支度する雪弥の隣から、宮橋が奥の黒い何かを眺めやって言う。
「それにしても、面白い。一体何かと思ったら、あれは〝蜘蛛の糸〟か」
「蜘蛛?」
「ふふん、あの魔術師風情が風間(かざま)の店の奥に入れたカラクリが、少し分かった。あの蜘蛛の糸は、自由にどこにでも繋がれて、そして気付かれない類の能力を固有に宿しているらしいな。僕くらい目が良くないと、なかなか〝見えづらい〟」
不思議な能力、という事だろうか?
雪弥は、そういえば夜蜘羅(よるくら)と初めて遭遇した際、夜狐達でさえ察知していなかった事を思い出した。
よくよく考え直してみれば、それは〝異様な状況〟である。
「蜘蛛の糸、ですか……」
「覚えおくといいよ。今は多様でも、いずれ君に必要な情報の一つになるだろう」
その時、黒いモノが消えた。
ぞろぞろと場を埋め尽くし、向かってくるのは鬼の大群だ。その先頭に立った怨鬼が、一度彼らの足を自分の後ろで止めさせた。
「それじゃあ、行きます」
そろそろか、と察して雪弥は言った。
「ああ、行ってくるといい。ただ、これだけ言っておく」
一歩踏み出して飛び出そうとしたところで、雪弥は、自分のスーツの裾を掴んできた宮橋を振り返った。
活き活きとした彼の明るいブラウンの目が、雪弥の鈍く光る青い目と合うと、強気に笑んだ。
「〝周りの事情も環境も関係ない。君が、どうしたいのか〟だ」
それは相談役としての、最後の宮橋なりの『答え』の形のように思えた。
「それ、アドバイスだったりしますか?」
思わず尋ね返してみると、彼が答えないまま、にっこりと笑って手を離した。
やっぱり、その読めない笑顔は兄を思わせた。雪弥は兄のそれを前にした時のように、条件反射でぞぞーっとしてしまう。
「さて」
笑み一つで雪弥を黙らせる事に成功した宮橋が、手を打った。
「雪弥君、派手な〝化け物退治〟といこうじゃないか。僕が許可する。この一帯は〝無音状態〟だ――存分に暴れまくれ」
雪弥は、小さく溜息を吐いた。
「言われなくとも」
そうしないと、あなたにも被害が行くでしょうに、と思いながら雪弥は飛び降りた。
その時、怨鬼が叫んだ。
「さぁ殺せ! 狩りの時間だ!」
直後、最後の箍が外れたかのように、鬼共が雄叫びを上げて一斉に武器を持ち、雪弥へと向かい出した。
まるで獣の咆哮なようだ。
下へと落下していきながら、雪弥はその光景を見て思った。叫びは言葉の羅列として、耳に聞こえても来ない。
人、ではないのか。
もはや自我は、ないのか。
怨みに、鬼。己の感情に呑まれて人を捨て、なんらかの形で〝人〟を〝失ったモノ〟。それほどまでにして、自分を抑えきれなかった者も中にはあるのだろうか。
――今となっては、いや、そもそも雪弥には知った事でもないのだけれど。
『バケモノ退治と行こうじゃないか』
風を切る音がする耳元で、先程の宮橋の声が蘇った。
不思議と、その言葉が親しみ慣れた語彙のように、聴覚に沁みた。
――兄を、そして家族を守る。
不意に、カチリ、と頭の思考が切り替わるのを感じた。
殺せ。害になるモノ、要らぬ存在、全てを〝殺せ〟。獰猛な激情が込み上げた直後、雪弥は飛んできた鈍器を足場に、空中で軌道を変えて前方に飛び出していた。
ドゥッ、と鳴った鈍い音の一瞬後には、一人の鬼の首が胴を離れていた。
雪弥の伸びいた長い爪が、日差しを受けて血飛沫の中で凶器に煌めく。
「さすがは番犬候補! 話に聞いていた通りの爪(ぶき)よ!」
大将の怨鬼が、腕を組んで堂々と構えた姿勢でアッパレと叫ぶ。
番犬候補とはなんだ、次期副当主と、何故みんなしてさせたがるのか。今、そんなのはどうでもいい。
斬りごたえのある肉感が、冷めや指先から伝わってくる。次々に襲いかかってきた鬼の、腕を引き千切り、眼球ごと顔を手刀で貫通させ、その腹部の臓腑を容赦なく引き裂いて切断した中で、雪弥はそう思った。
振り降ろされた大きな己を、込み上げる不快感のまま、拳で打って粉砕した。
「ここにいるのが、殲滅部隊の〝全員か〟」
雪弥は、光る青い目で向こうの怨鬼を見据えて、声を響かせた。この中でまともに話せるのは彼しかいない。
「怪力も、その細い身で我と互角か。なんとも良き好敵手か」
怨鬼が、隠せない鬼の闘気を滲ませて、赤く光る目でニィッと笑った。
「そうとも。命を受け、我が一族が持つ兵を全員連れてきた。たった一人に対してこのような待遇は、初めてである。光栄に思うがいい」
つまり負けたとしても恥ではない、と彼は言いたいようだ。
――初めて?
雪弥は、覚えた違和感に思考がぐらついた。殺意に淀んだ目で標的の肉塊を見て、思う。とても不快だ、と。
この場に溢れたモノらからも、独特の覚えがある気配を感じるが、あの大男からは特にとても厭な気配を感じていた。殺したくて、殺したくて、たまらなくなる。
――愚かな鬼の大将よ。一人、前門で迎え討ってやったのを、忘れたか。
ぐるるる……と憎悪に嗤う獣の呻きを聞いた気がした。噛み砕いた感触、血の味、殲滅した後の荒れ果てた大地のイメージが脳裏を過ぎる。
――あれは〝私〟だったのか。それとも〝獣〟の方だったのか。
ああ、今は、どちらでも構わない。
雪弥は翻った一瞬後、周囲の鬼共をバラバラにしていた。ふわりと舞うように、そのまま手を真っ赤に染めた血を外へと振り払う。
殺さなければならない。殺していい。目の前の鬱陶しい雑魚を片付けねば、あの大将は出てこないのだから。嗚呼、殺してやった――とても心穏やかな気分がした。
ぐらりと揺れていた脳が、元に戻る感覚。
「ならば、好都合」
短い思考を終えた雪弥は、そう物憂げに口にした直後、不意に凍える青い目で怨鬼をロックオンした。
強烈な殺気に、飛びかかった鬼が唐突に嘔吐した。目も向けないまま、雪弥は〝反射的に〟その垂れた頭(こうべ)を処刑のごとく〝斬り落とした〟。
「全員ここで殺して、一人も兄さんのところへは行かせない」
この三日間、思い返すたびに不快だった。それをここで片付ける。
雪弥は、宣言すると一気に突き進んだ。首を、胸を、胴を、腕ごと切断して斬り落としていきながら、喚く鬼共の間を行く。
身軽な動きをした鬼が、高く飛んで頭上から雪弥に迫った。
――その次の瞬間、血の雨が降り注いだ。
一瞬にして、爪でバラバラに切り裂かれた残骸が、ぼとぼとと鬼共や地上に落ちる。雄叫びを上げる鬼が、雪弥が通り過ぎた直後には生きたまま四肢をもがれ、身体の一部を弾けさせていた。
「……お前、本当にただの〝候補の一人〟なのか?」
怨鬼が、初めてやや緊張した様子で喉仏を上下した。しかし、そこに恐怖はなく、
「なんと。なんと、面白い事か」
同じく殺戮を愉しむ怨鬼が、自分の横から向かおうとした部下の鬼を、うっかり素手で掴んで潰しながらそう言った。
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