魔術師の話(1)
外はすっかり暗くなっていた。マンションの最上階から見渡せる夜景は美しく、一面のガラス貼りには、ソファに座る自分の姿が映っている。
――またしても、泊まりである。
雪弥は、タオルを首から引っ掛けた状態でぼんやり座っていた。きちんと乾かせよと言って寄越されていたものの、もう十分に拭ったしいいだろうかと考える。
コンタクトは、部屋に上がってすぐに外していた。昨夜と同じく、宮橋が「似合わない」だの「違和感ありすぎる」だのと好き放題言ってきたからだ。
正直、あの人が分からない。
靴を脱ぐ前に、コンタクトを外すように命じられたのは初めてである。あの人には、堪えというものがないのだろうか?
「なんか、どっと疲れてしまった……机仕事は苦手なんだよなぁ」
つい、秘書のごとく兄の蒼慶(そうけい)の仕事もサポートしている、あのちょっと変な万能執事を思い出してしまう。
署で腹ごしらえをした後、宮橋のL事件捜査係の事務処理に付き合う事になった。彼が普段から決まった時間に仕事をしないせいで、すっかり溜まってしまっていたのだとか。
『チッ、小楠警部にそこまで手間をかけさせられないしな。今日でさくっと終わらせる事にした。ついでに君もいるしな――だから手伝え』
『えっ』
『君、まさか今の立場にいて、事務処理関係が一切ダメとかいうわけじゃないだろうな?』
――結果、始まってから散々ダメ出しをされた。
現場で動くタイプなので、不慣れなんですと答えて謝った。そもそも刑事仕事なんてやった事はないし、宮橋は一からの説明を面倒臭がってもいた。
そもそも、気になるのは、またしても借りたこのシャツだろうか。
雪弥は、そこで回想を終えてちらりと見下ろした。昨日のは文字のデザインがされていたが、本日のは、よく分からないへんてこな絵が描かれている。
「……なんだろ。子供の落書きみたいな……」
もしかして、これもまた、あの三鬼という同期の刑事仲間にも贈ったのだろうか?
その時、向こうの戸が開く音がした。目を向けてみると、同シリーズの絵がプリントされた大きめのシャツを着た宮橋が出てきた。
「君、覚えているかい? 明日は〝約束〟の三日目だ」
頭をタオルでちょっと拭った彼が、すぐに飽きたみたいに首に引っ掛けてキッチンへ進む。
雪弥は、思わずそのシャツの絵柄を目で追ってしまっていた。やや遅れて、問われた内容を理解し、視線をそらす。
「えっと、覚えていますよ。――彼女の事で、少し忘れていましたけど」
それは昨日、妙な骨とやらを返しに言った山でされた、宣戦予告の一件である。
実のところ、雪弥は少女の件もあって一時頭になかった。宮橋に再びマンション泊まりを提案された時に、それを思い出していた。
すると、冷蔵庫を開けた宮橋が、図星を突いてきた。
「嘘付け。朝にでも動きがあったら、勝手に動くつもりで外泊する予定だったんだろう」
「…………まぁ、その、そうですね」
雪弥は、見透かされていると分かって何も言い返せなくなった。
「そもそも、朝に襲来される可能性はない」
「あれ? そうなんですか?」
なぜ、分かるのだろう。雪弥がそう思って目を戻してみると、冷蔵庫の中を宮橋が探り出していた。
「鬼の出現にも条件がある。『怨鬼』の一族の【物語】から考えると、あとは潮の満ち引きから時刻を割り出せる」
「はぁ。また、【物語】ですか……」
「そもそもな、その時になって勝手に一人で動かれても困るぞ。君は今、僕の臨時の相棒で、それは君にとっては任務でもある。僕だって今回の一件には、一発ぶちこみたいくらいには切れているんだ。やられたら、その何倍でやり返すのが僕の性分だ」
つらつらと語られる声を聞きながら、雪弥は、宮橋と三鬼の電話のやりとりを思い出した。彼は三鬼を、ビルの上から逆さ吊りにした事があるのだとか。
……この人なら、やりかねないな。
そう思っていると、不意に小さな声が耳に入った。
「迷いがある中途半端なままで、君に普段の力が出せるとは思えないんだけどな」
ぽそりと宮橋が独り言を呟いた。
不思議に思って顔を上げれば、見つめ返した先で宮橋とパチリと目があった。濡れた髪先から雫をこぼした彼が、キッチンカウンターからビール缶を掲げて見せてくる。
「飲むか?」
「飲みます」
「君の、ビールに対する潔いところは嫌いじゃない」
頷き言った宮橋が、冷蔵庫の扉を閉める。
「その『怨鬼』の一族だが、相手は、見える領域の本物の『鬼』だ。必ず君のもとへ来るよ」
「宣戦布告した通り、決闘するためですか?」
いや、そんな生ぬるいものではない。
そもそも、決闘ってなんだ。雪弥は思った途端、なんだか可笑しくなった。いつの時代の表現だろうか。
「殺し合いでしたね」
そう自分から訂正した。手を見下ろして、あの時の事を思い返して続ける。
「僕の次に、『兄さん達を』と言っていた。だから、殺しますよ。連れてきた全員、始末します。僕が、先に相手を殺せばいい」
語りながら、その綺麗な顔に雰囲気と対象的な〝とても穏やかな〟微笑みが浮かんだ。
そうすれば問題は解決だ。悩まなくていい。アレは敵なのだ、つまりは自分が殺していいモノだ。
キッチンから出てきた宮橋が、「ふうん」と呟きを上げる。
「『とても殺したくてたまらない』という顔をしているな」
そう声を投げられた雪弥は、歩いて向かった来る彼を見て目元に微笑を浮かべた。
「それの何が可笑しいんですか? だって、殺していいんでしょう? アレらは、敵だ」
「へぇ。敵、ねぇ――それにしては君、とても〝愉しそう〟だね」
言われて、不意に我に返る。
――愉しそう?
意識して抑制した途端、喉が渇くような満たされなさを覚えた。殺したくてたまらないと指摘された先程の宮橋の言葉を、今になって正しく理解する。
『君に殺させないためさ』
出会い頭に宮橋に言われた事を、ふと思い出した。
あの時、自分は、オフィスにいる全員を殺す手順を考えていた。屋敷で異形になり果てたアリスを前にした時だって、殺したくてたまらなかった事を思い出す。
――だから、兄のそばにいられないのだ、と。
「僕は、おかしいんですかね」
視線を落とした雪弥は、ややあって〝人間の気配を察知〟して、近付いてくる宮橋に対してぽつりと問い掛けた。
「命は、とても大切だと知っているんです。でも、ふっとした時に、それを全て忘れている気がして。だから、僕は屋敷を」
出たんだったと続けようとした時、宮橋の声が重なった。
「まだうじうじしているのか、馬鹿者め」
大きくなった足音に気付いて目を向けてみると、ビール缶を両手に持った宮橋が、ずかずかと歩み寄ってくる姿があった。
彼の秀麗な眉は、不機嫌を示すように寄っている。
「馬鹿みたいにご飯を食べて、堂々とストラップを〝飼っている〟のも本来の君だろう。全く、シャワーを浴びても頭は冷えなかったみたいだな」
「えっと、頭を冷やすって……?」
「君が日中、揺らされて、また思考のループにはまっていたようだったから、わざわざ仕事を振って、先に風呂も貸してやったんだぞ」
テーブルにビール缶を置いた宮橋に、怒るようにそう言われた。
かと思った次の瞬間、胸倉を掴まれて視界が回った。
気付いた時には、上からこちらを覗き込んでいる宮橋がいた。その髪先から、滴り落ちた水滴が雪弥の頬にぽたりと落ちた。
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