少女と鬼(3)
少女(おに)には、彼の考えているところが分かったらしい。じっくりと〝鬼の目〟で見つめた後、宮橋にこう言った。
「放っておいても、人は自分の運命を進む。それなのに、わざわざ手を引いてやるつもりだ、と?」
「遠回りするよりもいいさ、人間の生は短い。雪弥君は、だから大丈夫だよ」
何が、『だから』だと言うのか。
聞きながら頭の中に浮かんだのは、家族のことだった。そして自分は、あの普通の家族の中で、唯一異質なのだと、あの地下での一件が雪弥の中に蘇った。
「大丈夫では、ないんですよ」
雪弥は、気付いた時には一歩後退していた。
何も〝大丈夫〟なものか。人を撃った兄は、とても何かを思っていた顔をしていた。でもそれを、自分はした事があったか?
――またしても途端に、色々とよく分からなくなる。
でも、妙だ、とは感じた。比べてみても、こんな自分がそばにいてはいけないと思えるくらいには、兄達と自分が違っていることは感じられた。
「あなたは、僕を知らないんだ。僕は――」
「君は〝エージェント〟という職業を必要とした。そして、君を引き入れた上司、それを認めて託した父親達の判断も正しい」
唐突に、ぐいっと襟を掴まれた。
目の前に、怒った宮橋の綺麗な顔が迫って、雪弥は目を丸くした。正直言うと、彼の心から怒って苛々している表情を、正面から見たのは初めてで少し驚いた。
「君は困惑しているな」
「困惑、ですか……?」
「そうさ、人間だからそれは当然さ。それでいて、君にとっては〝それが正常〟だからこそ、君は君のままで、自ら加減を学んでいかなければならないんだ」
やや乱暴に離した宮橋が、続いて雪弥から少女へと目を向ける。
「その奇妙な術を使ったのは、一体何者だ? 現存している生粋の魔術師は、僕だけのはずだ。魔術師は中立である事を定められている。だから君は、ここで僕を待っていたんだろう?」
「術印を刻む際に〝見えた〟苗字は、『門舞(かどまい)』。実に、奇妙な術を持つ異国交じりの血筋のモノだった」
「ふうん、門舞、ね……こちらの業界でも聞いたことがない一族だが、彼もまた〝渡ってきた古き一族〟、といったところか」
「我らとも関わりのある〝表十三家〟よりは、新しいだろう」
少女が、言いながら木に深くもたれかかった。その顔には、とても穏やかな微笑みが浮かんでいた。
それを見て、雪弥はどこかで聞いた『表十三家』という言葉を忘れた。宮橋も、奇妙なものを見るような目をしている。
「なんで微笑むんだ」
「安心したのだ。妾も〝母親〟だからの。こうして縁あった〝子〟らが、この娘の消滅を無駄にせず進んでくれる。それも、よい」
すぅ、と彼女が次第に目を閉じていく。
あ、と思って、雪弥は咄嗟に手を伸ばしていた。――でも、間に合わなかった。
「さらばだ、この〝現(うつつ)の世〟を生きる、数奇な子らよ」
その言葉を紡いだ少女の姿が、一陣の強い風を巻き起こすと同時に、着物と一緒にざぁっと崩れて消えていった。
まるで着物の花柄が、そのまま形になったみたいだった。
伸ばした雪弥の手に触れたのは、吹雪いて崩れていった大量の美しい花弁のようなモノが起こした風だった。それはあの着物と同じく、ぼんやりと発光しているような、優美な色の花を思わせた。
「完全に〝消費〟されたか……。ただの少女が、完全な鬼を、この世に具現化できるはずもないんだ」
吹き起こった風に前髪がばさばさと揺れ、宮橋が目元を顰めながらそう言った。
少女の形が、完全に失われると同時に、強い風はやんだ。
ふと雪弥、はらはらと降ってくる花弁に気付いて掌を差し出した。受け取ろうとするものの、感触もなく、手を擦りぬけていく。
「宮橋さん、コレはなんですか?」
雪弥が呟くように問うと、宮橋が同じくソレに目を留めた。
「――幻さ。ただの、まぼろし。触れられず、匂いもなく、存在していない物」
「まぼろし……僕には、そこにあるように見えます」
「見えるモノと、見えないモノの境界の片鱗とも言える。君は、本来の目を通して見られる」
「本来の目、って?」
何度試しても掴む事が出来ない美しい花弁から、雪弥は宮橋へと視線を移した。
「〝犬の目〟さ」
まるで言葉遊びだ。
そう思って見つめ返していると、宮橋が「行くよ」と踵を返した。雪弥は「あっ、待ってください」と慌てて後に続く。
「雪弥君、僕はこれから署に向かう。この件に関しては、L事件捜査係として警部に報告する必要がある。――口裏を合わせてもらうためにもね」
「はぁ、僕は別に構いませんが……」
答えながら、チラリと後ろを見てしまう。しかし、そこにはもう、あの美しい幻のような花弁はなかった。
目を戻せば、表情を戻して淡々としている宮橋の横顔があった。けれど気のせいか、前を見据える眼差しには、ふつふつと込み上げる激情を抑えているような印象もあった。
一人の少女が、死んでしまったのか。
あの日の、大学生の彼らと同じように。
思い返して、知らず知らず手に拳を作った。先程の、命をなんだと思っているんだという風に怒っていた宮橋の気持ちが、少し分かるような気がした。
「また、僕は助けられなかったんですか」
青いスポーツカーが停まっている場所へ出た時、開けた眩しさにくらりとした。けれど目を閉じる事を忘れて、雪弥はそう呟いていた。
――なぜか、そう声に出したら、途端に心の奥底がグツグツとした。
「助ける、か」
宮橋が小さな声で口にして、それからこう言った。
「君のせいじゃないさ。それもまた、連中が与えようとしていたものだと思うと、僕はますます腹が立つわけだが」
独り言のように続けた宮橋が、そこでよしと口にして振り返った。
直後、ガツンと雪弥は頭に拳骨を落とされた。何か直前まで、とても嫌などろどろとした何かを考えていたか、自分の記憶ではない遠い過去でも思い出していたような気がしたけれど、全部、見事に頭の中から吹き飛んだ。
「いきなり何をするんですか。びっくりしましたよ」
痛くはなかったものの、衝撃がした頭を撫でながら雪弥は目を丸くした。
すると宮橋が、綺麗な顔を不良じみた様子で歪める。
「チィッ、このド級の石頭め」
「あ、宮橋さん。今ので手を痛めませんでしたか? 大丈夫ですか?」
「やめろ、僕の手をみようとするな。余計イラッとするわ」
取られた手をすぐに奪い返し、宮橋が目の前にある雪弥の頭を見下ろして、すかさず手刀を落とした。
「ひどい、まさかの二回目……」
「君、そういうのは女子に無暗にやらんようにな。誤解されるぞ」
一言、先輩としてアドハイスをし、宮橋がスポーツカーへと向かう。
「小楠警部に会うついでだ。さっきの強盗犯の件についても話しておこうと思う。まぁ、国のエージェントが関わっているとなれば、小楠警部も向こうの指示で隠す事なると思うが」
「まぁ、そうなるかと思います」
「君はその間、食堂でメシでも食っていればいい。馬鹿三鬼と藤堂も戻るだろうからな、奴らにしばし押し付ける事にする」
「それ、本人を前にして言ってちゃっていいんですか?」
「先に宣言してやっているんだ。有り難く思え」
宮橋が偉そうに述べる。早く乗れと促された雪弥は、不思議な人だと首を捻りつつも、先程と同じくスポツーカーの助手席に乗り込んだ。
その後、向かったN県警にて、宮橋が言っていた通り三鬼達コンビと鉢合わせた。そして宣言通り、雪弥は彼らへ押し付けられてしまった。
その際、案の定、宮橋と三鬼は廊下のド真ん中で口喧嘩した。
その間にも、竹内やら中田やらといった、彼らの同僚刑事らが加わっていき――結局、総勢十人の刑事に囲まれた状態で、雪弥はごはんをする事になったのだった。
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