少女と鬼(2)

「…………これ、完全に鬼化しているんですか?」


 雪弥は、思わずそう口にしてしまった。


 少女の瞳は、金色の獣の目をしていた。開いた口からは犬牙が覗き、手の爪はすっかり長い。


「完全な鬼は、こんなものじゃないよ」

「でも――」

「昨夜見た時より、想定以上に鬼化に進んでいるのは確かだ」


 認めるように言いながら、宮橋が少女の前に膝をついて視線の高さを合わせる。


 昨日、戦闘をした時と違い、少女はひどくぼんやりとしていた。目の前にいる自分達さえ、よく認識出来ていないのだろうか?


「完全に人の部分が削られていなければ、人の世界に魂を引っ張り返す方法だってある」


 宮橋が、グッと拳を作り、またよく分からない事を言った。


 その時、ざぁっと風が吹き抜け、少女が不意にゆっくりと宮橋へ指を向けた。


「【精霊の取りかえ子】、残念ながら彼女は失われた。妾は、お前に会いに来た」


 その呼び掛けの言葉が、ぼんやりと水中にいるかのようにくぐもって、うまく認識ができない。


 雪弥は、訝って自分の耳を叩いた。よく分からない台詞だと思いながら目を向けてみると、宮橋が大きく目を見開いていた。


「……君は、少女の方じゃない。まさか〝母鬼そのもの〟か?」

「そう。妾が――【青桜の母鬼】である」


 ああ人の世は、なんと眩しいこと。


 少女が、牙の覗く唇を開閉して声を発する。

 彼女の長い爪を持った指先が、絶句している宮橋の頬にかかる髪に触れた。雪弥はこんなにも動じている彼を見るのは初めてで、どう反応していいのか分からない。


「母鬼そのものが、ただの人間の少女に、蘇るはずが」


 ようやくといった様子で、宮橋が言葉を紡いだ。


「もうこの少女はもたなかった。〝境界線の世界〟で、魂はあっさりと崩れていった」

「魂が? なぜ、こんなにも早く。君が出てきたということは、もう彼女は完全に消えて、輪廻さえも――」

「落ち着け、童よ。だから妾が、あまりにも哀れに思い、最後肉体をこっちの世界へと連れてきてやったのだ。そして、この世に生き、関われるお前に伝えるために」


 少女の体で〝鬼〟が言う。


 宮橋が、自分を落ち着けるように「ふぅ」と息を吐いて髪をかき上げた。なんて事をしてくれたんだと、吐息交じりに応える。


「魂がなければ、人は〝次の生〟を迎えられない」

「そう。それは本人が望んだ縁と運命であるのなら、許されること。しかし、そのルールを破った」

「それができるのは、よく〝見える〟魔術師のみ……魂を〝使いもの〟にしたのか? 業と罪の重さを分かっていながら、そいつは〝たかが人間の癖に〟人の来世を、物として、ここで消費したのか」


 宮橋が、確認するように低く問い掛けた。その声は、雪弥でもハッキりと分かるほど怒りに満ちていた。


 少女が答える意思を示して、ゆっくりと手を下ろす。


「そうだ。実に、奇妙な術だった。無数の運命を外し、縁を解き、そうしてこの娘はこの世の理(ことわり)から奪われた」

「だから、君みたいな大物が出てこられたわけか。ルールが破られたから、一時、世界も目をつぶった」

「左様。妾が、他の古き〝母鬼〟と違い、人の腹から生まれた鬼であったことも、あるのだろう」


 その時、雪弥は少女に目を向けられた。


「お前が〝変わった客人〟か。我らの領域の鬼共から、話は少し耳にした」


 雪弥は、なんと答えればいいのか分からなかった。一秒過ぎるごとに、そこにいる少女の体が、死んでいくことに気付いてもいたから。


 少女の赤い鬼の目が、じっと雪弥を見る。


「嘆くでない。そなたの知る人間の子と違い、彼女には、苦痛も恐怖もなかった」


 嘆くとは、なんだ。


 嘆きはもっとずっと重く、呼吸もできないほどに恨めしいものだった――気がする、と、視線を落として雪弥は思う。


 その様子を見た宮橋が、彼女へと目を戻しながら言った。


「そのかわり、彼女は生まれ直す機会も、永遠に失った」


 苛立った声だった。宮橋の言葉に、少女が細く長い息を吐いて同意する。胸に手を当て「左様」と残念そうに答えた。


「哀れや。この娘、ただの余興で使い捨てられた」

「どんな目的だったか、お前は知っているな?」

「落ち着け、現代の生粋の魔術師よ。きちんと、それを伝えにきたのだ」


 そこで、少女が宮橋と雪弥を見て、両手を少し広げてこう言った。


「彼らは、いい獲物として〝私〟を提供しようとしていたようだった。見えぬモノの領域に侵略し、こう口にしていた、『殺させてあげよう』と」


 似た台詞を、最近どこかで聞いた気がした。


 そう思って、ふと記憶を辿った拍子に浮かんだのは、高校生として潜入していた際、マンションの前で声を掛けてきて異形のモノと闘わせた男。


 ――先日、兄の屋敷にあった新聞で、偶然にも写真で顔を見た男『夜蜘羅(よるくら)』だった。


 すると、少女が真っすぐこちらを見た。


「それは、正しい。うまく隠れていたが、〝見えぬ領域の本物の鬼の目〟はごまかせない。そやつが、その魔術師の後ろにはいた」


 ぴたりと、長い爪の指を向けられてそう告げられた。


 だから一人の少女が行方不明になった。風間の店から特別な着物が盗み出され、そして宮橋が「有り得ない」と口にしていた鬼化が進み、――今、彼女は、肉体的にも死を迎えようとしている。


「なんで」


 何も関係がない、まだ中学二年生の一人の少女だ。


 それは、偶然にも宮橋の知る被害者の親族の一人だった。そして、たまたま雪弥もこのタイミングで来訪しただけである。


「『殺し足りないだろう』と、あの奇妙な気配がする人間は口にしていた。だから、その余興として、楽しい殺し合いという〝贈りもの〟にしようとした」


 そう言われた言葉が、不意に雪弥の胸に刺さった。


 殺し足りない、と口の中で彼女の言葉を繰り返した。そんなことない、とすぐに否定したかったのに、何故か言葉が出てこない。


 その時、宮橋の声が沈黙を破った。


「なるほど。よぉく分かったよ――とんでもない連中らしいな」


 低い声で言った宮橋が、今にも怒りで引き攣りそうに口角を引き上げる。


「そいつらは、よほど僕の癪に障る奴らであるらしいね。何がなんでも、殺人鬼に仕立て上げたいわけか?」


 その目は、珍しく殺気立っていた。


 雪弥は、沈黙が破られたと同時に、金縛りが解けて宮橋を見た。その普段らしくない彼に、またしても戸惑う。


「あの、宮橋さ――」

「【青桜の母鬼】。この僕が、保証してやろう。言っておくが、ここにいる彼が〝あちら側〟に堕ちる事はない」


 立ち上がった宮橋が、スーツのポケットに片手を突っ込んで言い放った。


 少女が、鬼の目で宮橋を見上げた。


「あれらは、それを望んでいるようだった」

「それこそ、知ったこっちゃないね。人の運命ってのは、縁で変わるもんだ。そして僕は、お節介を焼くと今、決めた」


 宮橋は、はっきりと彼女にそう答えた。

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