少女と鬼(1)

 折り返し確認の電話があったのは、逮捕劇があった現場を離れ出して数分だった。宮橋がタイミング良く赤信号でそれに応える。


「武器は一切使っていない。〝素手〟だ」


 電話の向こうから『素手だけ!?』『まさかの!?』という上司の叫びが上がったが、宮橋はそっけなく伝えるなり電話を切った。


 信号が青に変わった。他の車と同じように、再び青いスポーツカーが動き出す。


「犯行から数時間後の逮捕は喜ばしいが、小楠(おぐし)警部は頭が痛そうでもあったな」

「はぁ。なんか、すみません……」


 雪弥は、小楠警部という人物を思いながら、宮橋に謝った。車に乗り込むまでの間も、彼が何度か電話に対応していたのを思い返した。


 出る直前に合流したパトカーの警察官にも、「一体何が……?」という顔をされた。どうやら車かバイクでも投げて止める、という方法は取らなくて正解だったらしいが、もう少し加減すべきだったようだ。


「問題ない。民間人を巻き込んでいないんだから、上出来だ。車に乗っていた金と武器の銃も回収できたようだし。僕もつい先日、白バイを一台大破させた」


 自分の車を海に落としたとは聞いたが、警察のバイクも大破って……一体何があったんだろうな。


 とは思ったもの、雪弥は遠慮して聞かずにいた。


 唐突な応援要請だったが、事件は解決した。それについては宮橋本人も「予定より時間はくわなかった」「よくやった」と雪弥に言っていた。


 ――とはいえ彼の機嫌は、やや悪い。


 原因は、彼の青いスポーツカーを、雪弥が傷付けてしまったせいだ。


 持ち上げようとして、すみません。つい、一番近くにいい大きさの投げられるやつがあるな、と思ってしまったんです……。


 雪弥は、あれから反省中だった。思い返せば、初めて車に乗せてもらった時から、散々「車を傷付けるな」というような事を言われていた気がする。それが、うっかり頭の中から飛んでしまっていたのだ。


 夜狐からは、急ぎ手配の方をしてみますと返答をもらっていた。他の一桁エージェントと違って、雪弥はあまりこういったプライベートな指示はほとんどない。


 ――国家特殊機動部隊暗殺機構。


 そこから、各一桁エージェントに一部隊ずつ分与えられてもいる。


 監視代わりでもあるので、存分に使えとも許可されているけれど。雪弥の性格からすると、いや仕事じゃないのに頼むのも……という感じはあった。


 でも時間の都合を考えれば有り難いので、今回は、なんだかなぁとちょっと申し訳なさを覚えつつも、車探しを頼んでいた。


「問題は、行方不明扱いになっている〝ナナミ〟だな」


 そんな声が耳に入ってきて、雪弥は個人的な思案を止めた。一瞬、すぐには特定の人物像に結びつかなかった。


「あのツノがはえた女の子ですか」


 少し遅れて口にすれば、宮橋が「そうだ」と答えてくる。やや個人的な苛立ちは減退したのか、続いて彼は丁寧にクラッチを操作していた。


「三鬼の代わりに見付けてやるつもりだったが、――行方不明のままになるんだろうな」


 後半、ぽつりと呟かれた。


 雪弥はそれが、表上では行方不明で〝終わる〟のだと気付いた。そういえば以前、彼はナナミを『帰してやれないかもしれない』とも口にしていた。


 その言葉の意味が、今になってずしんっときた。


 先日の潜入先で死んだ、大学生の事が不意に雪弥の脳裏を過ぎっていったのだ。わけも分からぬまま、彼は死んでいった。


 ――一度、その薬を飲んでしまったら、元には戻れない。


 その前の日、同じ薬を服用した事でバケモノになってしまった大学生。特殊機関に回収された彼もまた、研究施設内で死亡が確認された。


「……鬼になったら、鬼として生きる事はできないんですか」


 小さな雪弥の問いが、ぽつりと車内に上がった。


 宮橋が、その横顔にチラリと視線を向けた。そして前へと目を戻しながら答える。


「人は、強い想いもなく〝怨みの鬼〟になるまい」

「何か、方法は」

「ない」


 スパッと宮橋が回答し、ハンドルを回した。


 青いスポーツカーが、信号から曲がって都心の道を進む。細い脇道へ一旦入ると、そちらを抜けて反対側の道路へ出た。


「僕も、そうであったらいいとは思う。でも、人は、その者が生きる領分でしか生きられないんだ」


 住宅街へと車を進めた宮橋が、やがてそう言った。


 領分、と雪弥は彼の言葉を口の中で反芻した。一瞬頭を過ぎっていったのは、自分がいる特殊機関のこと。そして、兄のいる蒼緋蔵家だった。


「通常であれば、まだ完全には人としての存在を食われていないはずなんだ」


 入り組んだ道へと車を進ませながら、続けて宮橋がそう言ってきた。


 それは、まるで願うような口調にも聞こえた。


 でも彼は、もとより助からないことを予期しているみたいだった。雪弥はここにきて、これまであった彼の独白のような台詞が思い返された。


 気付けば車は、一軒家も多い住宅街を進んでいた。


 次第に道幅は狭くなり、隣合う家同士の狭い塀の間を行く。


 やがて雑草が茂った民家に辿り着いた。駐車場のアスファルトはひび割れ、囲う壁も劣化がひどく目立った。


「空き家みたいですね」


 雪弥は、停車したスポーツカーから下車したところで、少女が向かう先だというその場所を観察して述べた。都心の住宅街にしては、浮くような古い物件だ。


「取り壊せなかったんだろう。よくある話だ」


 さらっと言うに留めた宮橋が、人の気配がない家を眺めながら車のドアを閉める。


「ちょうどいい。そうでなければ、出現した彼女に血を奪わる可能性が高い」


 と、動き出してすぐ、宮橋が立ち止まる。


「どうかしたんですか?」


 気付いて雪弥は尋ねた。

 すると家を眺めている宮橋が、その形のいい目を少し細めた。


「ああ、実に嫌なタイミングだ。何もかも計算されているようで、虫唾が走る」


 生ぬるい風が、一つ吹き抜けた。それは雪弥のブラックスーツと髪。そして日差しの下で同じく透き通るような色合いを見せる宮橋の栗色の髪と、明るい上質なスーツの裾をはためかせていった。


 その風が通り抜けたのち、宮橋が再び言葉を発した。


「彼女が、出た。いや気配が薄いから気付かなかっただけで、もうすでに出ていたのか」


 独り言のように続けた彼の目が、思案げに落ちる。やっぱり長い睫毛の下にある目は、ガラス玉みたいで――。


「行こう、雪弥君。彼女を迎えに」

「はい」


 歩き出した宮橋の背を、雪弥は追った。

 


 人が住まなくなって、一体どのくらい経っているのか。朽ちた庭の脇を進んだ宮橋が、ふと家の裏手部分に出たところで足を止めた。


 そこには、大きな一本の朽ちた木があった。


 いや、ぎりぎり生命をたもっている老樹、というべきだろうか。いくばくかの花を実らせ、こうして毎年枝先に遠慮がちに葉を付ける程度に。


 その大きな木に寄り沿うようにして、一人の少女がぺたりと座り込んでいた。


 薄い普段着の上から、ぼんやりと光っているようにも見える不思議な美しい着物を羽織っている。それが足元には広がっていて、目を閉じている彼女の頭には、長く白い角が二本生えていた。


「君が〝ナナミ〟だね?」


 宮橋が声を掛ける。


 すると少女が、その瞼を震わせて、ゆっくりと目を開いた。


 一緒に覗き込んでいた雪弥は、その目を見てハッとした。――その瞳は〝獣〟で、柘榴のように赤く、金色の虹彩を帯びていた。

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