魔術師の話(2)
「いいか、君は何もおかしくはない。その魂が、この時代と世界に一致しないだけさ」
上にいる宮橋が、青い目を丸くしている雪弥へ、しっかり言い聞かせるように言ってきた。
一致していない、なんて言われてもよく分からない。それがおかしい事なのでは、とか、それは先程の自分の正当性を主張出来るようなものではない、だとか……色々と思うものの、結局は〝理解できなくて〟言葉が出てこなかった。
すると、沈黙を見て取って宮橋が、追ってこう言った。
「番犬と聞いても、君がまるで聞こえていなかったみたいにピンとこないのは、君に、それを受け入れて、理解するだけの準備ができていないせいだ」
胸倉を少し持ち上げられて、ソファから頭が浮く。
怒っているのだろうか。眼前から睨みつけられた雪弥は、今にも鼻先が触れそうな彼に、ひとまず降参の形で両手を上げてみせた。
「いいか。中立の立場にいる魔術師として、今の君に言えるギリギリの範囲で教えてやる。蒼緋蔵家は、大昔、領地と一族を守る【番犬】と呼ばれているモノがいた」
「えっと、兄からは聞いています。確か、代々弟がなっていたとか、なんとか……」
「それよりも、ずっと前の話さ」
宮橋は、一度しか言わないぞと凄んで続ける。
「若き当主と、その妹である巫女は、家族のように信頼して【番犬】に寄り沿った。だが一族は、一時、〝若き彼らの死をもって〟終わりかけた。それを終わらせなかったのが【番犬】の存在だった」
それを聞いて、不意に胸の奥でずくずくと何かが渦巻いた。
終わりかけたのではない。終わらせようとした者達がいたのだと、なぜか雪弥はそんな事を感じた。頭の中で、警鐘のようなものが鳴るような眩暈を覚える。
――ああ、ひさらぎ。
意味のない独白か、それとも自分が無意識に口にした言葉なのか。ぐわんぐわんと頭痛でもしているみたいで、よく分からなくなる。
けれどハッキリと感じていたのは、強い殺意だった。
雪弥は手で顔を押さえ、鈍く揺らめく蒼い目で宮橋を見た。自分の上にいるその〝人間〟を、今すぐ引き裂いてしまいたい衝動にかられていた。
「その敬意を払う意味もあって【番犬】の名が役職名に加わった。そしてざっくり言うと、先々代々からずっと、そして君の中にも共に戦い続けてきたその血が流れている」
一方的に話した彼が、挑発するように雪弥を引き寄せて睨み付ける。
「君は、人間をどうしたい。さぁ、僕に言え」
「……殺したい」
雪弥は、殺気の底にある言葉に気付かされて口にした。
「殺したくてたまらない」
「どうしてだ」
「――憎い」
そう言葉が出たところで、宮橋が胸倉を離した。
そのままソファに頭が沈んだ。意外な言葉が口から出た拍子だったので、雪弥は茫然としてしまっていた。
こちらを見下ろしている宮橋は、もう怒ったような表情もしていなかった。
「雪弥君、覚えておくといい。それが全ての始まりにして、スタート地点だ。でも憎悪しているのは君じゃなくて、君の血と魂だ。――そして奥底には、他にもあるだろう?」
宮橋は教師のように言いながら、雪弥の胸を指先でトントンとする。
彼がそうだというのなら、そうなのだろう。これまでの事が思い出された雪弥は、促されるがままじっくりと自分の胸を思った。
「『信じたかった』……」
ふと、ぽつりと唇からこぼれ落ちた言葉が、ストンと胸に落ちてきた。
途端に、込み上げていた殺気も静まり返った。どうしてか、それが波のように引くと同時に、胸が締め付けられるような感じがした。
「本来、そうはしはないはずのモノが、初めて和解の努力をして歩み寄ろうとした。その中で〝絶望〟したのだから、憎しみも当然なんだよ」
言いながら宮橋が上から退き、隣に腰掛けた。小さく鼻息をもらすと、喋り通したのが疲れたと言わんばかりに缶ビールを手に取る。
「始まりの頃は、長い年月の遠く向こうの話だ。戦乱時代を闘い生き抜いてきた一族、それを守るためにあった【番犬】。――そして、戦士部隊を率いて当主を支え続けた【副当主】」
雪弥は、高い天井を見ながら聞いていた。でも宮橋の話は、そこでぷつりと終わってしまう。
どこからか、チクタクと秒針が時を刻む音がした。冷房がかかっているのに、黙り込むとこんなに静かな空間なのかと思う。
「副当主と番犬は、別だったりするんですか」
やや間を置いたのち、ビールを数口飲んだ宮橋に尋ねた。
「どうしてそう思う?」
「なんとなく、宮橋さんの話し方にそう感じたんです」
「さぁ、どうかな。僕が教えられるまは、今はここまでだよ」
なんだか中途半端で腑に落ちない。けれど不思議と少しすっきりした感じはあって、雪弥はひょいと起き上がった。
すると、見つめ返した拍子に、宮橋に缶ビールを手渡された。
「色々と教えても、正しく理解してもらわなければ意味がない。それは実感を伴う〝理解〟という意味合いで、だ」
「はぁ、まるで『悟り』みたいに言いますね……僕の血は、一族の人間としてその絶望を知っている、と?」
缶ビールを受け取った雪弥は、ざっくり解釈しつつ確認する。
「まぁ、そうともいう」
「つまり僕が、蒼緋蔵家の人間で、それでいて戦士部隊を任せられていた副当主の素質があった、という感じなんですかね」
「一族の中で、闘いの才に関して君の横に出る者がいないかどうか、と問われれば、今のエージェントとして地位がそれを証明しているようなものだろう」
雪弥は、うーんと考えながら缶ビールを開封する。自分の隣で飲んでいる宮橋の横顔を、つい、じーっと見つめた。
「宮橋さんは、そもそも殺しを嫌悪しているんですよね?」
不思議になって尋ねる。エージェントという職業柄を知っているのに、そういえば出会った時からずっと親切だった。
宮橋が、首を傾げている雪弥を見やった。
「守りたいと願ったり、人を心配したり同情したりする年下の男を、一方的に嫌悪する理由はないが?」
そう言った彼が、ふと機嫌を損ねる事でも思い出したみたいに眉を寄せた。ずいっと雪弥に綺麗な顔を近付ける。
「そもそも、一族の他の人間がどうだかと、周りの目がどうだとか、君らしからぬ事をいちいち考えるんじゃないよ。君は兄と妹を持った、当主の立派な子供だろ」
「え。でも、あの、僕らしくないと言われても、家の事は仕方ないんですよ。分家との付き合いも大事にしている家ですし、僕は嫌われていますし」
「今更とはいえ、離れられて困るのは親戚全員だと思うけどね。君が家名の返上、つまり正式に絶縁を提案した時は、おおいに慌てただろうよ」
「あの、なんでそれを知っているんですかね……?」
ん?と疑問を覚えた雪弥に構わず、宮橋はビールをぐびーっと喉に流し込んでから、再び話し出す。
「人様の車を勝手に持ち上げようとしたり、常識外れにも逃走犯を車内から引きずり出すという予想外の荒技に出たり、あれだけ傷付けるなと言い聞かせていたのに僕の車を凹ませたり」
「宮橋さん、車の件、かなり根に持ってますよね?」
「つまりは、一番は『君がどうしたいのか』なんだよ」
自分が、どうしたいのか。
その言葉が、やけに綺麗に頭の中まで響いてきて、雪弥は思わず考えてしまう。すると続けて、宮橋のこんな声が聞こえてきた。
「その点、君の兄はそこがハッキリとしている」
「兄さんですか?」
唐突に名を出されたのが予想外だった。
見つめ返した雪弥に、宮橋は缶ビールを持った手の指を、ぴしりと向ける。
「迷う事無く『自分がどうしたいのか』を決め、今もなお突き進み動いている意思の強さは、尊敬に値する」
「確かに意思は強いですけど、人様の仕事風景をハッキングしたりいびり電話をかけてくる容赦ない恐怖の兄なんですが……」
「君がそれを、ハッキングだのストーカーだの言っている間は、兄心に気づくまい」
宮橋は、兄弟問題は相談外だと言わんばかりの態度で、ビールを口にする。
本当の事なのになぁと心の中で呟き、雪弥もビールを飲んだ。あ、うまい。そう思って、ほんの少しの間、頭の中にあったいくつかの事も忘れた。
「明日の件だが、一晩僕に考えさせてくれ」
「ん? 明日って、あの宣戦予告してきた鬼男のことですか?」
「ああ。正直いうと、相手が人間か同じ魔術であったのなら、自分の手でぎったんぎったんに叩きのめしたいくらいに腹が立っている」
「うわぁ……真顔で言った」
目が本気(マジ)だったのを見た雪弥は、ひとまず宮橋に任せる事にして、今夜は大人しくビールを一本飲んだら寝る予定を立てたのだった。
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