泊まる事になってしまった(2)

「外国の血が混じっていたりします?」


 なんとなく、気付けばそう尋ねていた。


 回答を待っていると、宮橋が既に半分くらいは飲んだらしい缶ビールを、ガラステーブルに置いた。そこを見つめる眼差しは、一体何を考えているのか分からない。


「――こう見えて、父も祖父も生粋の日本人だよ」


 そう答えた彼が、ソファにゆったりと背を預けた。すると長い足が楽に組まれて、ガラス玉みたいな瞳がこちらを見た。


「それが、君の目か」


 唐突に、今更のようにしてそう感想された。


 雪弥は「そうですね」と答えながら、缶ビールを置く。じっと見つめてくる彼を不思議に思って、戸惑い気味に言葉を続けた。


「あの、僕の目に何か……?」

「いや? 目だけは『代々全く同じ』なんだな、と思って」

「おなじ?」

「印みたいなもんさ」


 宮橋がつまらなそうに腹の上で指を組んで、よそを見やる。

「分かりやすいところに『印』を置く。それは目的が違っていようと変わらない部分なんだよ。けれど大事なのは印じゃなくて、それに相応しい中身があるかどうかだ」


 どこか含むような笑みを返された。ふっと浮かべられた微笑は、あやしげでいて魅力的なほどに美しい。


 でも、こちらからの質問を求めているようではない。

 つまり、この護衛対象者にとるべき正しい応対は、沈黙。こちらに理解せよとは要求していない。


 コンマ二秒、そうエージェントとしての思考が勝手にカチカチと働き――雪弥は、だから結局は同じくして、ただぼんやりとそれを眺めていた。


「ソレを自然とやってのけるのも、どうかとは思うけれどね」


 宮橋が、どちらともつかない笑みで不意にそう言う。


「子供みたいでもあるのに大人。純粋でいて非情――君は、ちぐはぐだ」


 言葉が耳元を通り過ぎる。まるで言葉遊びみたいだ。


 雪弥は『よく分からなくて』、困ったように笑い返して見せた。宮橋のガラス玉みたいな明るいブラウンの目が、笑むようにして細められるものの、それは笑いからではないとも感じた。


 そうか。作っている、みたいな。


 この人にとっては、いくつかあるうちの『仮面』のようなものなのではないか。雪弥がそう思った時、宮橋が普段の調子に戻ってこう言った。


「まぁいいさ。所詮、僕には関係のない話だ」


 組んでいた足を解いて、ビールを手に取る。


「今回の一件だが、もしかしたら都合が良いとばかりに、あの少女が使われている可能性がある。偶然が最悪な形で重なった結果、ともいうべきか」

「ああ、さっきもそんな事を口にしていましたね。利用されて鬼化が進んでいる、とか」


 思い返しても、まだ信じられない話ではあるのだけれど。


 雪弥は再び、早速ビールへと手を伸ばして思う。まさかここでビールを飲めるとは、と、冷たくて美味いそれを喉へ流し込んだ。


 向かい側で宮橋が、少し飲んだだけの缶を片手にさげ、足に肘を置いて思案げに頬杖をついて窓の方を見やった。


「ただ、まだよくは『見えなくて』分からない」


 それ以上言うつもりはない様子で、そちらをじっと見据えて口をつぐむ。


 その美貌の顔に浮かんでいるのは、無表情だ。けれど雪弥は、なんだかなぁと感じる部分があって、彼の視線の先を追うようにして、ガラス窓へと目を流し向けてみた。


 一面のガラスの向こうには、贅沢にも一望出来る美しい夜景が広がっていた。そこにはビールを飲み続けている自分と、押し黙っている宮橋の姿が映っている。


「苛々してます?」


 雪弥は、彼に目を戻してそう尋ねた。


 苛々しているのか、と雪弥は単刀直入に尋ねた。


 空になった缶が、そのまま彼の手でガラステーブルに置かれる音を聞いた宮橋が、頬杖をついたまま横目に見やる。


「まぁ、それなりにね」

「あ、良かった普通だ。てっきり当てたら当てたで、また怒られるかと思っていました」


 本人の前だというのに、雪弥がさらっと口にして隠しもせず胸を撫で下ろす。


 それを見た宮橋は、途端に顰め面を向けた。


「君、僕の事を一体なんだと思っているんだ?」

「え? 図星だったら、なんか怒るところもある人――あ、嘘です。すみません口が滑りました」


 宮橋がスッと真顔で拳を上げるのを見て、雪弥は反射的に説得口調でそう言った。落ち着いたのを見るなり「それに」とチラリと苦笑して言葉を続ける。


「僕のせいで苛立っているのは、分かっていますから」


 今日一日だけで、なんか結構怒られた気はしていた。

 これは自分が悪いのではないのではなかろうか、という部分もあるが、頭を数回ほど鷲掴みにされた感覚は覚えている。


 それでいて中には、確かに自分のせいだろうと思える失態もあった。それは刑事として仕事をしている宮橋に、確実に迷惑となった事だろう。


 だから雪弥は、反省しています、という意味も込めてぎこちなく苦笑を浮かべた。


「ほんと、今日はすみませんでした」


 ちょっと頭を下げつつ謝った。


 そうしたら宮橋が、またしても論点違いだと言わんばかりに、鼻から小さく息をついた。


「確かに僕は、今『それなりに』は苛々している。とはいえ先に言っておくが、それは君のせいではない」


 宮橋はそう告げてきたかと思うと、むっつりと頬杖をついたまま、再びだんまりしてしまった。


 しばし、雪弥は彼と見つめ合っていた。


 どれくらいの時間が過ぎただろうか。待て、の集中力を切らしたかのように、雪弥の澄んだブルーの目がチラリと動いて、宮橋が興味もなさそうに持っている缶ビールへ向く。


「冷蔵庫に残ってるぞ。勝手に取って来い」


 すぐに指摘されてしまった雪弥は、ピシリと固まって、それからぎこちなく彼へと目を戻した。


 なんか、犬に『取って来い』と言っているニュアンスに聞こえた。


 多分、気のせいだろうとは思う。少女の捜索にあたっている際に、警察犬みたいな扱いをされたやりとりがあったせいで、感覚的にそんな風に感じてしまったのかもしれない。


 雪弥は少し考えると、気を取り直すように一つ頷いて尋ね返した。


「宮橋さん、僕がビールの事を考えているの、よく分かりましたね。また不思議な直感か何かですか?」

「考えたうえでの質問がソレなのかい? 君、ビールのくだりに関しては全部バレバレだったぞ」


 宮橋は、美しい顔を露骨に顰めて指摘した。ビールを持っている手で指まで向けられてしまった雪弥は、「一体どのあたりで『ビール飲みたい』がバレたんだろ……」と首を捻り、冷蔵庫へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る