泊まる事になってしまった(1)
N県警に近い高層ビル群のド真ん中に、宮橋が住んでいるというマンションはあった。タワー型で、ワンフロア一世帯。その最上階に彼の部屋があった。
あまり物には執着も関心もないのか、全体的にスペースが余っているような印象で、広いリビングもさっぱりしていた。一面のガラス窓からは、都会の夜景がよく見える。
ガラス窓から一番近くに置かれた家具は、クッション性よりデザイン性、といったお洒落なブランドソファだった。ガラステーブルを挟んだ向かい側にも、ゆったりとした距離感で、同じものが置かれてある。
そこに腰掛けていた宮橋が、パチンっと携帯電話をたたみ、整髪剤も解けた髪を揺らしてこちらを見た。ガラス玉みたいなブラウンの目が、じっと見つめてくる。
「君、サイズが足りてないんじゃないか?」
馬鹿にしているのか、それともただ単に指摘しただけなのか。
楽な部屋着スタイルでくつろいでいる宮橋に、携帯電話を持った手で身長まで示されてしまい、雪弥は「はぁ」と複雑な心境を表情に滲ませた。
「なんだかなぁ……」
歩み寄りながら、思わず言葉交じりに溜息がこぼれた。つい先程帰宅し宮橋が風呂に入ったあとで、シャワーまで借りてしまったうえ、適当にと楽なTシャツとズボンまで寄越されていた。
宮橋がわざわざ開口一番に指摘してきた通り、シャツに関してはかなりぶかぶかだ。しかし雪弥としては、宮橋の体格を考えても合わないサイズなのではないか、とも思うのだ。
「そもそも渡された時から気になっていたんですけど、正面にデカデカと『就寝二十二時もう寝たい』って文面がプリントされているのは……?」
「その辺にあった店の前を通った時、面白いから買った」
「…………それ、目に留まって適当に手に取ったとかいうやつですか……」
「その通りだ。僕は時間の無駄が嫌いだ」
宮橋が、今度は何も持っていない反対側の手を、びしっと向けてそう言った。雪弥は「どうりでサイズ感が……」と解けた謎を口にして、黙ってしまう。
やっぱり、この人がよく分からないな……。
首を捻りつつ、手で促されるまま向かいのソファに向かった。しっかりした座り心地は、寝るには少々固そうだなと『上司の仕事部屋』にあるソファと比べてしまう。
すると、向かい側からこんな声が聞こえてきた。
「ちなみに、三鬼(みき)には『アイスクリームはチョコ派です』の方を買ってやった」
そう教えられた雪弥は、「え」と目を上げた。宮橋の美しい顔を凝視するものの、やっぱり真意は分からない。
やがて雪弥は、困惑顔で口を開いた。
「仲が良かったりするんですかね」
「馬鹿言え、嫌がらせに決まってる。あいつ、実に嫌そうな顔をして怒鳴ってきたぞ」
ニヤリとした宮橋が、そう語るなり興味をなくしたかのように「さて」と立ち上がった。キッチンへと足を向けたところで、ふと雪弥の方へ視線を投げる。
「君は泊まった先で、問題は起こさないタイプの人間だろうね?」
確認された雪弥は、「とくには」と答えた。仕事上よく転々として外泊は慣れたものだ。そう思い返して、「あ」と、直近にあった任務先での事を思い出した。
「そういえばこの前、マンションの外壁の一部を壊しましたね……」
「君、その正直なところ、どうにかした方がいいぞ。台詞のタイミングを間違えると、誤解で一気に信用を失うからな」
世代が一つ上の先輩として、宮橋が言い聞かせるように述べた。
「ちなみにウチで同じ事をしたら承知しないぞ」
見下ろして、ビシリと指を向けられてしまった。
あれは僕が悪かったわけじゃないんだけどな……と雪弥が思っている間にも、宮橋はキッチンへ向かって行ってしまう。言葉足らずだった説明は続けられそうになくて、結局は口を閉じたままでいた。
「――まぁ、見えたから分かるけどな」
諦めた矢先、そんな声が聞こえてきて、雪弥は離れて行く背中へ目を戻した。
「全く、君ってやつは、面倒な事になっているよなぁ」
言いながら、宮橋が肩越しにひらひらと手を振ってきた。
言葉数が少ないというか、唐突というか。いつも脈絡がなくて、彼の発言はよく分からない。けれど好き勝手喋っているみたいなのに、不思議と自己完結ではなく疎通しているかのようだった。
「ところで、その違和感しかない目をどうにかしてくれ」
「目、ですか?」
また唐突だなと思いながら、雪弥はキッチンカウンターの向こうに入った宮橋に尋ね返した。
「ここは外でもないのだから、君が上司やらなんやらのアドバイスか命令に従って、コンタクトをしている意味はあるのかい?」
冷蔵庫を開ける音、探る音と共に、そんな宮橋の声が返ってくる。
無駄で余計な質問は嫌っている刑事(ひと)。雪弥は、相棒としている間の条件を突き付けられた時の事を思い返しながら、不思議に思いつつもコンタクトを外しにかかった。
ドライヤーで乾かして間もない髪が、まだ熱を持っていてふわふわと指先に当たる。室内で静かに回る冷房が、その灰に蒼みがかったような色素の薄い髪をひやしていっていた。
「家にいる事は少なくてね。もてなしは出来ないよ」
がさごそと聞こえる音の向こうから、宮橋がそう言ってきた。
歩き回っている最中に腹に物は入れていたので、空腹感はない。しかも菓子屋の前を通った際には、何故か宮橋がテンションを上げて菓子を押し付けてきた。
「構いませんよ」
雪弥はそう答えながら、コンタクトレンズを入れた容器のフタをしめた。
それを携帯電話をしまっているポケットに突っ込んだ時、足音が聞こえてきた。顔を上げてみると、キッチンから宮橋が戻ってくるのが見えた。向かってくる彼の手には、缶ビールが二本ある。
「ビールは飲めるか」
近くで立ち止まった彼が、ずいっと一本を差し出しながら言う。
雪弥は宮橋ではなく、ずっと缶ビールに目を留めたまま小さく見開いていた。少し遅れて「はい」と答えると、そのまま遠慮せず手を伸ばした。
「まぁ、好物かもしれませんね」
「ふうん。君は口よりも手が正直だな。僕は、どちらかといえばワインが好みだ」
「もしくはウイスキー割り」
「おや、そこは好みが合いそうだ」
言いながら移動した宮橋が、どかりと向かいのソファに腰を下ろす。互いがプシュッとビールを開けて、それぞれのタイミングで口にした。
口許にやっていた缶を下ろした矢先、宮橋がそちらの指を向けてこう言った。
「先に言っておくが、ベッドは貸さんぞ。僕が使う」
「はぁ。別に僕はソファでいいですよ、それで十分です」
ふうん、と、宮橋か興味もなさそうに答えてビールに口を付けた。飲む様子はざっくりとしているのに、それでも品があるように見えてしまう。
雪弥は暇を持て余したように、ビールを少しずつ飲みながらその様子をぼんやり眺めていた。綺麗な人だなぁ、と、不思議とそんな感想しか浮かばない人だ。
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