カフェを出た二人は(2)
建物の間を進んでいくと、通りの人々の声が鈍く響いてくるばかりになった。右に進み、左に進み……と、どんどん奥へ行くのに道路側に出る様子はない。
なんだか似たような風景が、何重にも続いている気がした。どの建物もこちらに背を向けていて、それでいてざっと見回してみても、恐らく全て五階以上といったところだ。
雪弥は少し不思議に思って、カラーコンタクトで黒くされている目できょろきょろとした。先程までいた表の通りが、どれも都心らしい新しい建物が目立っていたせいもあってか小さな違和感を覚えた。
夏らしい生ぬるい空気は感じない。足元にしっとりと絡み付いてくる風は、あまり日差しが届かない場の、こびり付いた湿気を含んだ独特の匂いが薄らと漂っている。
次の角を曲がったところで、不意に場が開けた。
そこには一本の大きな木がはえていて、縁取るようにしてベンチ状に囲まれてあった。さわさわと揺れる生い茂った緑は立派で、雪弥は一瞬気を取られた。
その場所には、女の子が一人いた。年頃は十二、三歳ほどだろうか。青みかかった銀色の長い髪をしており、季節は夏だというのに、冬用の古風な風避けのコートに身を包んでいる。そこから覗いた膝丈のスカートの片足を置くようにして、胡坐をかいて座っていた。
「なんだ。珍しく客かと思ったら、『けもの』と『とりかえこ』かい」
彼女が猫みたいな檸檬色の目を向けて、幼い声に不似合いな口調で言った。
どうしてか、彼女の口から出された単語が、耳の手前でぼやけるみたいな違和感を覚えた。頭の中で意味を持つ言葉として変換されなかった雪弥は、ゆっくりと首を傾げる。
それを見た女の子が、けだるげに足の上で頬杖を付いた。宮橋へ真っすぐ目を向けると、「で?」と見ための年齢とはアンバランスな顰め面をする。
「久しぶりに来たかと思えば、連れ同伴で一体なんの用だい? ただ占いが出来るだけのあたしとしては、いきなり牙を向かれたりしたら、たまらないんだけどね」
「前もって空間を遮断して『同じ場にいない』のに、よく言う」
宮橋がジロリと睨むと、彼女が鼻で「フッ」と笑って頬杖を解いた。量の多い青銀色の髪を、くしゃりとして後ろへと払うと、顎を引き上げてニヤリとする。
「――これくらいの用心は許しとくれよ。その代わり、坊やの目に見える『精霊の光』で導いて案内してやったろ」
「おかげで、余分にぐるぐると歩かされた」
「君、たったそれだけで怒っているのかい?」
腕を組んだ宮橋からは、穏やかではない雰囲気が漂っていた。ただそれだけが気に食わないのだと、本心から言っているらしいと気付いた雪弥は、正直な彼の性格に改めて呆れてしまった。
すると女の子が、胡坐をかくように両足を上げて座り直した。
「ははぁ、呆れたね。おチビさんの頃から、ほんと変わらないんだからねぇ。ふらりと勝手に訪ねて来ては、勝手に望む情報を要求するなんざ、いい性格をしてる」
「だって君は『そういうモノ』だろう」
「ふふっ、そうさ。占ってくれと来る者がなければ、私は存在の意味を失う」
と、そこで彼女の目が雪弥を見た。
「初めまして、あたしは『ただの占い師だ』、とでも言っておこう」
「はぁ、はじめまして。僕は――」
「名乗る必要はない」
女の子が、ストップだ、と手を前に出して言う。
「そう易々と名前を投げるもんじゃないよ。与えられたら、あたしだって同じように自分の名を『与え返さないといけなく』なるだろう」
「礼儀の話ですか……?」
「違う。だが君が知る必要はない。私の事は、そうだな」
ちょっと考え、彼女が一つ頷いてこう続ける。
「『猫』とでも呼ぶといい。人間は適当でも呼び名がないと、困るみたいだからな」
青銀の髪をさらりと揺らして、彼女、猫が頬杖をついてニヤリと笑う。女の子というよりは、とても男の子的な笑顔だと雪弥は感じた。
宮橋が「まぁいい」と吐息混じりに言って、改めて尋ねるように腰に片手をあてて口を開いた。
「ナナミという少女を捜している。少し前から『あちら』と『こちら』をふらふらしているが、どこまで移動してしまうのか問いたい」
「きちんと言葉も絞った『良(よ)い質問』だね。それくらいの『占い』であれば、この前の貸し分で事足りる――その人間の娘、この市を超える事はない。ここと、そして隣り合う二つの名前の土地を、ふわふわと現われたり消えたりしている」
それ以上は占(み)えないよ、と猫がくすくす笑った。
「あたしは人の言葉を理解し、奇怪にも本を読み、そうやって『こちら側』に落ちたに過ぎない。ただの長生きであって、けったいな力なんてのはないからね」
「それで十分だ。僕は君のように『そちらの範囲』を知らない」
「そりゃ、こっちの世界で生きている人間だからね。私が『こちらの範囲』を把握する事が出来ないのとおんなじさ。視えるのは地名、地図は言葉としかならない」
つまり図形として出てこないのだろうか、と雪弥は不思議に思った。けれど風景や絵画のように、ただただやりとりを眺めてしまっている自分がいる。
語る女の子がそこに見えているのに、存在感がないせいで一つの映像を見ているかのようだった。護衛対象に害がなければ、と面倒で考えるのをやめているだけか。
「いんや? ただ君が、仕事において優秀なだけさ。自分にとって、その情報が必要であるのかないのかを判断して、否であれば徹底的に関心を示さない――時にそれを、人は『無情』とも呼ぶ」
ふと言葉を投げ掛けられて、雪弥は思案を止めて見つめ返した。
目が合った猫が、なんだかやっぱり猫の目みたいな瞳でにんまりと笑った。宮橋が「はぁ」と溜息をこぼして、「暇だからといってからかうな」と口を挟む。
「用件は終わった。戻るよ、雪弥君。とっととナナミを見付け出して、この件はさくっと終わらせる。彼女が『こちら側』に出るタイミングを待って歩き回るのは、癪だがね」
「はぁ、つまり地道な捜索というわけですね」
道を引き返した宮橋を見て、雪弥も後に続いて歩き出した。
その時、猫が足を下ろしてぷらぷらさせながら「坊や」と声を投げてきた。これまでになく弾んだ調子のからかうような声を聞いて、宮橋が怪訝そうに見やる。
「いい助言をしてあげよう」
「僕に助言? かなり胡散臭い笑顔が気になるが――なんだ、言ってみろ」
「君に良き女の相が出ている。近々、出会えるかもしれないね」
その途端、足を止めたのが馬鹿だったと言わんばかりに、宮橋が片手を振って再び歩き出した。
「生憎、僕は気紛れな『猫のからかい』に引っかかるほど暇じゃない。そんな戯言は忘れるよ」
スパッとした物言いは少し冷たい。先程よりも速く歩いて行く彼を追いながら、雪弥は礼も言っていないのにと思って、彼女に向けて小さく頭を下げた。
「君って奴は、そう言う時はとことん気にせず忘れてくれるよなぁ」
小さく手を振り返した猫が、そう独り言のように言った。
「君、忘れたのかね。――人は、自分の事は占(み)えないものさ」
だんだん離れていく中で、続けられたその声が、まるで愛想のいい猫の鳴き声みたいによく聞こえた。
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