カフェを出た二人は(1)

 通りの人混みに入ってすぐ、カフェの方から、二人の刑事の何やら騒がしいやりとりが鈍く聞こえてきた。


 雪弥は、そちらにチラリと目を向けやった。


 ほんの少しだけ考えると、前を進む宮橋の背へと視線を戻す。日差しに透けて明るいブラウンに見えるウェーブがかった髪先が、歩くリズムに合わせてふわっと動いている。


 その足は、カフェを出てからも迷う様子なく歩いていた。既に目的を決めているようだと改めて見て取った雪弥は、その背に短く言葉を投げてみた。


「関係ないと言っていたのに、その女の子を捜すんですね」

「ああ言わないと、三鬼は僕を追ってくるからな」


 宮橋は、カフェから離れるように歩きながら、取り繕わずさらっと答えてきた。


 骨と無関係ではないらしい。それでいて先程、同期で同僚だという三鬼に対して、関わるなという風に言っていた。雪弥は思い出して、なるほど、と口の中で思案気に小さく呟く。


「なんだか、宮橋さんという人が少し分かってきた気がします。あなたは、そうですね、多分――優しい人なんですね」

「おい君(きみ)、そういう事を堂々と本人に感想するのも、どうかと思うぞ。僕のどこか優しい人間だと?」

 感じたままに感想した途端、肩越しにジロリと睨まれてしまった。やっぱりその目は、西洋人みたいに形が良くて、瞳の明るい色も異国の血が流れているような印象があった。


 睨まれているのにこれといって反応のない雪弥を見て、宮橋は秀麗な眉を顰めた。少し歩く速度を落とすと、指を向けて「いいかい」と言い聞かせるように続ける。


「僕は優しくなんてないさ。署の人間にそう尋ねたら、ほとんど仰天される意見だぞ」

「? あなたを知らない大多数の人間ではなくて、あなたを知っている人間に訊いてみないと分からない事じゃ――」


 そこで雪弥の言葉は途切れた。


 目の前を進んでいた宮橋に、振り返ると同時に素早く頭を鷲掴みにされてしまっていた。ギリギリと締めてくる手と、凍えるような美貌の睨み付けを数秒ほど見つめ、もしやと雪弥は遅れて思う。


「…………あの、もしかして怒ってます?」

「鈍い君にも伝わってくれたようで助かるよ。ぽけっとしているのに少数派の正論をあっさり言うものだから、君の口から出たのも予想外で正直イラッとした」

「それ、単に図星の照れ隠しなのでは……?」

「その思考は口の中に隠しておくべきだぞ、雪弥君」

「はぁ、すみません」

「ったく、いかにも無痛、みたいな石頭がこういう時はとくに腹が立つな」


 頭をギリギリし続けていた宮橋が、「まぁいいさ」と言って手を離した。雪弥はよく分からないまま、日差しに透けるとより灰色とも蒼色ともつかない髪をさらりと揺らして、再び歩き出した彼の隣に並んだ。


 歩道の信号が青になった道を進んだ。渡った先にも人の流れがあり、じょじょに先程のカフェの建物が遠ざかっていく。


「実を言うと、先に僕が説明した『子の骨』だが」


 宮橋が人混みを眺めながら、ざっくりと説明するようにそう言った。


「影響を受けやすい人間の場合だと、宿っている記憶(おもい)やら念やらを受信する事がある。無意識に精神が同調して、本人の魂が眠ったまま身体が行動に出たりする」

「……えぇと……、つまりいなくなった中学生の女の子は、無意識に出歩いている状態であると……?」


 説明を聞かされているのに、やっぱりよく分からない。雪弥は道ですれ違う人をそれとなく避けつつ、自分より少し高い隣の彼の横顔を見やる。


「それって、本人は眠っている状態なのに歩いている、という解釈でいいんですか?」

「それで構わない。家を抜け出したナナミという少女には、出歩いている間の記憶も全く残らないわけだからね。――骨が『子』のものである事を考えると、まぁ、『母』を捜し歩いているといったところか」


 後半、彼は独り言のように思案げに口にする。


 捜し歩く、と雪弥は己で理解しようと反芻してみた。けれど浮かんだのは、意識が朦朧とした状態で、ふらふらと彷徨い歩く中学三年生の少女の姿だった。


「そうだ――だから『子の骨』程度の影響であれば、遠くへは行けない」


 まるで想像を察したかのようなタイミングで、宮橋がそう言った。


「とはいえ、誰にも気付かれないまま家を出た彼女は、引き続き『向こう側』と『こちら側』をふらふらと歩いているだろう。とすると、しばらく馬鹿三鬼らに見付ける事は難しい」

「はぁ、それで宮橋さんが捜そうとしているわけなんですか……」


 それについてはどうにか察せて、雪弥は気の抜けた声で相槌を打った。少し考えて、つい言葉を続けてしまう。


「出歩いているのに『見付けられない』なんて、不思議だなぁ」

「何も不思議じゃないさ。この世界から一時的に消える、そうやって存在さえ見えなくなった相手を、どう捜すというんだい」


 宮橋が視線を返してきて、フッと口角を引き上げた。


 雪弥は、その作り物みたいなガラス玉っぽい目を見つめ返した。一つ瞬きをする間に、必要のないだろうと思われる面倒な思考工程は、彼の中でどこかへ行ってしまった。


 元々、兵として指示に従い現場で動く方が性に合っている。そもそもこの場においては、ソレが真実だとか、現実だとか、自分の中で判断するのは重要ではない。


 だから雪弥は、肩を竦めて冗談風交じりにこう答えた。


「世界から消えられたら、僕でも追えそうにありませんね。――それで、遠くへは行けそうにないその女の子ですが、宮橋さんなら捜せるんですか?」

「生憎、『どの向こう側の道』を歩いているのかも分からない状態では、無理だね」


 ちょっと気分が良そうにして、宮橋が前へと目を戻してそう言った。


「そのわりには、自信がありそうですね」

「どこの範囲にいるのか、分かる者に心当たりがある。遠くへは行けない、というのが幸いしたな」

「捜索は思った以上に簡単そうだと、あなたは考えているわけですね」

「ただの『子の骨』の影響を受けたにすぎないからね」


 その時、宮橋が歩道脇のビルの間へと進んだ。車も通れそうにないじめじめとしたそこに踏み込んだところで、一度足を止めて肩越しに振り返る。


「ついておいで、雪弥君。僕を見失わないようにね」


 事前の忠告なのか、単にからかわれているのか分からない。ニヤリと不敵に笑い掛けられた雪弥は、これまでの事、そしてこれから先を思って溜息がこぼれた。


「はいはい、分かりました。――余計な質問はするな、指示には従え、ですよね?」

「よく分かっているじゃないか。忘れていないようで何よりだよ」


 ついでに確認してみたら、なんだか適当な口調で言葉が返ってきた。


 面倒だから思考を投げただけの感じもするな、と独り言を言いながら、宮橋がビルの間に出来ている道を進み始める。まさにその通りだった雪弥は、呆れと感心がない交ぜになった気持ちで「はぁ」と曖昧に言って、その後に続いた。

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