蒼緋蔵雪弥を訪ねたモノ(2)

 バキリ、と殺気立った雪弥の爪が伸びる。


 すると、大男が後ろへと飛んで、距離を取ったところで待てというように手を向けてきた。その大きく太い指が三つ立てられるのを目に留めて、雪弥は「なんの真似だ?」と眉を寄せた。


「番犬候補の若者よ、三日後だ」

「三日……?」

「三日後、一族の全戦士を投じてお前を潰してくれよう。だが忘れるな、お前に逃げ場はない、『怨鬼』はどこまでも獲物を追う」


 直後、ふっと小さな風を起こして大男と二人の男の姿が消えた。

 暗殺に多い高速移動かと思ったものの、どういうわけか全く気配が辿れなかった。そこで気配はプツリと途切れてしまっていて、どういう事だろうなと思いながら、急に獲物が消えてしまった呆気に、雪弥の戦闘体勢が解ける。


 その時、後ろで落ち葉と土を踏みしめる音がした。


「不思議そうだね、雪弥君」


 ふっ、と声を掛けられて、雪弥はハタと我に返った。今更のように『この人がいたのだった』と思い出して振り返ってみると、そこには不敵な笑みを口許に浮かべている宮橋がいた。


 目が合った彼が、にっこりと爽やかで美麗な笑顔を返してきた。直前まで、その存在感が全く意識から外れていた雪弥は、軽い足取りで距離を戻してくる彼を心底不思議で見つめ返す。


「…………さっきまで、どこにいたんです?」

「ん? 僕はずっとココにいたよ」


 最初から最後まで全部見ていた、と言いながら宮橋が大男のいた場所へと目を向けた。直前まで止まっていたような風が抜き拭けて、雪弥と彼の柔らかな髪を揺らしていった。


「あれは、正真正銘の『鬼』さ」

「鬼?」

「呪って鬼、怨みに鬼、そして人為的に化す鬼――まぁざっくり言うと、見える方の鬼だよ」


 まるで本に書かれていた一文を読むように口にしていた宮橋が、少し肩をすくめて、あっさりした口調に戻してそう言う。


「あの男は、それらを従える『見える方の鬼』のオリジナルの一族。そして君が気配を追えなかったのは、ここに本体の全部を持ってきていなかったからさ」


 そんな事ありえるのだろうか、と疑問が浮かんだものの考えるのをやめた。これまでの不思議な事を振り返るとありそうな気もしてくるし、気配が追えない経験は少なからずある。


「まぁ僕は考えるのは苦手ですし、ひとまずそういう事にしておきます」


 とはいえ、と雪弥は口にして宮橋と目を合わせた。


「わざわざここまで来たのに、どうして三日後なんて面倒臭い事を言って退散したんですかね?」

「彼は、血に流れる一族の『理(ことわり)』に従ったまでさ。簡単に言ってしまえば『しきたり』。昔話でもよく聞くだろう、何日後に迎えに行くだとか命をもらい受けるだとか」


 そう促されて、雪弥は「まぁ、聞き覚えはありますね」と答えた。


「あれらは呪詛みたいなものさ。言葉でもって『必ずそれを達成するぞ』という願掛けとも取れる。どちらかが討たれるまで、相手と己に何かしらの縁や繋がりをもたせたいわけだ」

「ただの殺人予告にしか思えないんですけどね」


 雪弥は、自分がそういった小説やら昔話やらを読んだ際の感想を思い返して、小首を傾げた。


 その様子は、先程までと違って無害そうな雰囲気しか漂っていない。見つめていた宮橋が、フッと美麗な顔に含むような笑みを浮かべた。


「――まぁ、君には、ただの猶予期間付きの無駄な事に思えるだろうね。何せ君なら、『判断した瞬間に喰らい付いて殺している』」


 指で、トンっと胸をつつかれた。


 雪弥は不思議そうに彼を見つめて、こう言った。


「有り前じゃないですか」

「それが、君と一般的なズレなんだよ」


 目の前から指を向けて、宮橋が告げる。きょとんとしている雪弥を見ると、近付けていた顔を起こしてから「前もって言っておくが」とキッパリとした声を出した。


「僕は殺しを肯定しない。どんな理由であれ、人を殺す行為を認めていない」


 宮橋は、自分よりも低い位置にある雪弥の顔を見下ろして、そう言い切った。


 数秒ほど、雪弥は二十歳ほどにしか見えない警戒心ない表情で見つめ返していた。それから、そんな当たり前のこと分かっていますよ、とにっこりと笑って答えた。


「宮橋さんは、刑事さんですからね」


 その時、宮橋のスーツの胸ポケットから着信音が上がった。


 なんだか聞き慣れないアップテンポなメロディー音だ。場の空気を飛ばすみたいな陽気な曲っぽい、と雪弥が目を向ける中、彼が「一体誰だ?」と綺麗な顔を顰めて携帯電話を取り出す。


「なんだ、三鬼か」


 着信の画面を見た途端、宮橋がますます眉を寄せて呟く。それから、何用だとぐちぐち言いながら、ボタンを押して電話に出た。


「おい、いちいち電話を掛けてくるなよ、馬鹿三鬼の分際で」

『テメェぶっ飛ばすぞ! 一言多いッ、つか電話に出て一番の台詞がそれかよっ!』


 クソ忌々しい、と電話越しに男の怒声がもれる。


『そういや、新人研修ってなんだ? この前、相棒にってあてられた新人の男、一週間で泣いて捜査二課に異動にしてたろ。その特別プログラムの試験運用の奴、大丈夫なのか?』

「なんだ、そんな用で電話してきたのか? あれは勝手にぎゃあぎゃあ騒いで数回失神して、気付いたら出勤してこなくて異動希望を出していたんだ」


 腰に片手をあて、宮橋が「だから僕のせいじゃない」と堂々と口にした。数回失神したって、この人何したんだろうな……と雪弥は聞きながら少しだけ気になった。


「よし、用がないなら切るぞ。じゃあな」

『切るのはやめろッ、俺が用も無しにテメェに電話するかああああああああ!』


 再び電話の向こうで男が怒鳴って、用があるので来いと言い出した。


 つまりは呼び出しの電話だった。

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