里帰りから戻ったそのエージェント/回想(1)

 西大都市は、経済発展のため国によって建てられた市だ。そこを中心に隣接する市も急激に都会化し、二十世紀に入った今では有名な大都会として知られている。


 そこには、立派な市役所や水道局や裁判所などに紛れるようにして、国の秘密組織である国家特殊機動部隊総本部があった。ひとまとめに「特殊機関」と呼ばれており、組織は各役割に応じて枝分かれに続いて各地にいくつもの支部を置いている。


 特殊機関の人間は、総じて「エージェント」と一括りに呼ばれてもいた。


 彼らは、高い戦闘能力・殺傷技術を持った軍人である。能力と実績によってナンバーを与えられており、トップクラスである一桁の数字の席はたった九人しかない。


 そんな中、特殊機関のトップである「ナンバー1」の部屋は、特殊機関総本部の最上階にあった。そこは国の重要人物達だけでなく、二桁台のエージェントも緊張する場所なのだが――。


 広い部屋の中央にある、応接席の大きな上質の黒ソファの一つに、ブラック・スーツに身を包んだ一人の青年が、緊張感とは全く無縁の様子で足を上げて寝転がっていた。


 数時間前の深夜、一旦の里帰りから戻ってきた「ナンバー4」、蒼緋蔵雪弥である。


 特殊機関では、本名ではなく偽名やニックネームなどで呼び合う。しかし、彼は正式にエージェント入りしても、堂々とそのまま「雪弥」と名乗っている風変わりで――それでいて、こう呼ばれている有名な最年少の一桁エージェントである。


『碧眼の殺戮者』


 品を感じる綺麗な顔立ち、癖のない灰色(グレー)とも蒼色(ブルー)ともつかない薄い色素の髪。美しく澄んだブルーの目をして、一見するとどこにでもいる無害な青年である。


 だが、先日の任務で、とうに成人しているはずの彼が高校生として潜入捜査を行った事。そして、そこで『大量に処理』した事も、特殊機関本部では新たな話題の一つになっていた。


 その時、しばらく席を離れていた部屋の主が戻ってきた。


 彼は自動扉をくぐって部屋に入るなり、歩き進みながら、ふと、二つあるうちの一つのソファに目を留めて顔を顰める。


「おい。お前、ここが私の仕事部屋だという事を忘れてはいないだろうな?」

「覚えていますとも。コロンと葉巻臭いんで、間違えるはずがないでしょう」


 ふっと目を開けて、雪弥は答えた。


 特殊な黒のコンタクトを取られた、クッキリとしたブルーの目を向けられた相手が、途端にむぅっと顰め面を強くして唇を尖らせる。


「ったく、そうやっていちいち返すところが可愛くない」


 そうぐちぐち言いながら向かう男は、特殊機関のトップエージェント――ナンバー1だった。太い骨格と鍛え上げられた筋肉を持った、厳つい強面の大柄で屈強な男だ。


 脅迫じみた威圧感さえ覚える顔には、白い傷痕が浮かんでいる。煙草よりも葉巻を好み、太い指にはデカい宝石や銀といったいくつかの指輪をはめていた。


 ナンバー1が、冷たい珈琲をテーブルへ置いた。雪弥がソファに座り直すと、彼は向かい側にどっしりと腰を下ろして「やれやれ」といった顰め面で葉巻を取り出した。


 珈琲を口にした雪弥は、いつもとは違う微糖具合と珈琲の『雑な苦味』に気付いた。


「リザさん、いないんですか?」


 可愛い顔をチラリと顰めて、そういえば彼の秘書の姿が見えないなと辺りを見やりる。するとナンバー1が、ぶすっとした顔でこう言い返した。


「私が特別に淹れてやったんだ。感謝しろ」

「正直あんまり美味しくないです」


 ズバッと言われたナンバー1は、コノヤローという具合に口許を引き攣らせながら「同じ珈琲メーカーなんだが……」と呟いた。


「リザには、少し用を頼んでいる」


 気を取り直すようにして、彼はそう答えてシガーライターで葉巻に火を付ける。豪快に吐き出された煙を見ないまま、雪弥がテーブル越しの開いた距離にもかかわらず、付き合いの始まった十代の頃から、変わらず続いている仕草で片手を振っていた。


 リザは、ナンバー1の秘書として仕事を手伝っている女性エージェントだ。秘書業がメインで現場に入る事は少なく、最も美しいと評判のある女性でもあった。


「昨夜の件、後処理は全てウチでやっておいた。調査については『蒼慶(そうけい)』と連携して進め、蒼緋蔵邸の周囲には、念のため優秀なエージェントを置いてある」


 互いが珈琲を少しやったところで、ナンバー1が唐突に切り出した。


 雪弥は、その報告を冷静に聞きながら「そうでしょうね」と相槌を打ち、珈琲カップをテーブルに戻した。


「近くにいたのには、気付いていましたから」


 増えていた人間の気配は察知していた。とはいえ『嗅ぎ慣れない匂い』もあって、『ひとまず殺しておこうかと思って』出たところで、自分の直属の暗殺起動隊第四番部隊が接触してきたのだ。応援として他の部隊班と共に待機していた、後はお任せください、と――。



――だから、どうかお鎮まりください、我らが「ナンバー4」。



 まるで皆殺しにするのはおやめください、とお願いされているみたいだった。部隊長である夜狐(やぎつね)を、あの時、雪弥は不思議に思って見つめていたものだ。


 昨日、雪弥は久々の休みを使って、約二十年振りに本家である蒼緋蔵邸を訪れていた。来月の次期当主就任式を控えた長男の蒼慶(そうけい)が、蒼緋蔵家副当主の座に『腹ちがいの弟・雪弥』の名を上げた件について、本人にはっきり断りを入れるためだ。


 蒼慶は蒼緋蔵本家の長男で、愛人の子である雪弥の腹違いの兄だった。今年で二十八歳。西洋人のような長身に、赤みかかった髪をした美男子だ。


 次期当主となる事が決まっている彼は、一族のとある本を手にしなければならなかった。それに付き合って兄の目的が達成出来たのは良かったものの、一つの騒ぎが起こって、雪弥は『実家』でも殺しを行ってしまった。


 そして、彼のそばにいられないと思って屋敷を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る