里帰りから戻ったそのエージェント/回想(2)
そもそも自分が、彼の弟としてそばにいられるはずもないだろう。昔も今も「愛人の子」と一族から嫌われ、今は特殊機関の「ナンバー4」としてある。
家族の平和と平穏を守りたいのだ。
だから、自分はあそこに相応しくない――のだとは思う。
よくは分からないのだけれど、多分、何かが彼らと違っているのだという感覚を、薄らとは感じている。
どうして分かってくれないんだろうなと、結局のところ最後まで「私の一番そばにいて、私を助けろ」と言っていた兄を思い出しながら、雪弥は自分の白い手を見下ろした。
「………………戦うのを初めて直に見たはずなのになぁ」
どうして、最後まで兄さんは、僕を信じるんだろう。
そう独り言を口にして、不意に『初めて』というわけでもないのかと思い出す。母に連れられて屋敷に通っていた頃、幼い二人と一緒に誘拐されそうになった事があったのだ。
――ッ、雪弥止まれ! 俺も緋菜も無事だ、だから『殺すな』っ!
ふと、当時ブチリと切れて、よく覚えていなかったそんな一瞬が脳裏を過ぎっていった。車を壊しながら『持ち上げた』ところまでは、覚えているのだけど。
そう考えたところで、雪弥は蒼慶(あに)繋がりで「あ」と思い出した。
昨日、何も考えずに蒼緋蔵低を出た後、一度も携帯電話には触れていなかった。音とバイブ機能を切って上着の内側に入れていたそれを、ぎこちなく少しつまんで、取り出そうかどうしようか逡巡していると、ナンバー1が気付いたような表情を浮かべた。
「お前、まさか」
「……その『まさか』です」
雪弥は、視線をそらしたまま静かに携帯電話を取り出した。プライベートの携帯電話にぶらさがっている白いマスコット人形のストラップ――『白豆』が、相変わらず緊張感もない表情もあって、揺れているさまが楽しそうにも見える。
それをナンバー1が目に留めて、「ぶはっ」とこぼした口を素早く押さえる。
そんな中、雪弥は恐る恐る携帯電のボタンを押した。その途端、画面ぎっしりに並んだ『蒼緋蔵蒼慶』の名に、くらりとして一気に血の気が引く。
「…………なんか、見ているだけで怖い」
しつこく続いている着信履歴は、深夜三時でブツリと途絶えてしまっている。ただただ素直な感想を述べた雪弥を、ナンバー1が「あ~……」となんとも言えない表情で眺めた。
「でも僕は、ちゃんと言いたい事は本人に伝えたんです」
言いながら携帯電話をしまって、開き直ってしまおうというような態度でソファに身を預けた。
「僕が副当主だなんて、そもそもありえない話でしょう。迷惑を掛けたくなくて、距離を置いて、一族としての権利もないのに名字があるだけで色々と言われて……」
ずっと長く付き合ってきた上司に、ポツリと白状するように、ただ一人の青年として告げる。
実を言うと、これまでの蒼緋蔵家の一族の人間の反応が、大人になった今考えてみると、全部が全部悪いとは思えなくもなっているのだ、と。
「だってあの家ではまるで、僕の方が異分子だ」
雪弥は皮肉気に唇を小さく引き上げると、自嘲するように目を細めてそう言った。
囁くように述べたその言葉は、広がった静寂に溶けていった。ナンバー1が新たに吐き出した葉巻の煙が、彼の手前まで広がって天井へとゆらいで消えていく。
「事情は、だいたいのところ察してはいる」
しばらく間を置いて、ナンバー1が葉巻をもう二回ほどやって、珈琲を口に流し込んでからそう言った。
「だが私は、個人の家庭事情までは踏み込まんし、こっちの仕事をしながらソッチをどうするのか決めるのはお前だ。私も優秀なエージェントを失うのは、大きな痛手だからな。あの遠慮も知らんクソ若造には、そちらの依頼を無償で、しかも一番に対応すると話は付けてある」
「あ。やっぱり兄さんと面識があるんですね。昨日、特殊機関の人員を蒼緋蔵邸近くに用意していたのも、前もって個人的なやりとりがあったせいですか?」
思い付いて口にした雪弥の言葉を、ナンバー1は無視した。話をそらすように金の大きな腕時計を見やると、「まぁいい」と言って葉巻を灰皿に置いて立ち上がる。
そばまで来たかと思うと、唐突に彼がスポンッと首から何かを引っ掛けてきた。
「なんですか、これ」
雪弥は、首からさげられてしまったそれを見下ろした。
そこには県警のマークが入っており、雑な感じで『新人研修』と大きく印字されていた。試験的特別ブログラム、という小さな表記が下側に入ってもいる。
「許可証だ。ああ、服はそのままでいいぞ。『刑事』だからな」
「は……?」
身を起こしたナンバー1が、その場に立ったまま葉巻を手に取って口で吹かす。雪弥が身に馴染んだ仕草のごとく手で煙を払う中、唐突に彼が命令を下した。
「相棒不在中の、とある刑事の臨時のパートナーとして、護衛がてら話を聞いてこい」
「話を聞く……? というか護衛って?」
「何かと騒がしい事に巻き込まれる男らしくてな。相棒をあてても長く続かないらしい。だが宮橋財閥の二男であるし、そこの課で『とくに彼に関しては』単独行動は好まれていない」
「? 個人的な事情は分かりませんけど、いやだから僕、別に聞く話もない――て、うわっ」
首を傾げた直後、雪弥は彼の大きな手に後ろ襟を掴まれた。そのまま持ち上げられ、ツカツカとナンバー1に自動扉まで運ばれてしまう。
「えっ、ちょ、待ってくださいよッ。そもそも任務期限は?」
「そんなの、私が知るわけがないだろ」
「は?」
自動扉を出て、廊下で雪弥をポイッと放り投げ、ナンバー1が堂々と言う。
「臨時のパートナーとしての、向こうの仕事が片付いたタイミング。それでいてお前が、話を聞いて納得した頃合いで『任務終了』だ」
「……それ、かなりざっくりすぎません?」
「相談事があるなら奴に任せろと、蒼慶に言われて私の方でも頼んである。とりあえず、それまでこっちのエージェント業も休みだし、蒼慶から急かす連絡がくる事もないとは言っておく」
以上、とつらつら一方的にナンバー1が告げて、自動扉が閉まった。
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