蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新

~某日、N県警と雪弥のこと~

 七月に入ったその日、N県警捜査一課。


 開けたオフィスには、一つだけ元倉庫のような個室があった。少し斜めにずれた『L事件特別捜査係』という表札がかけられた扉は、来訪者もあって開かれている。


「なんだ、あれ……?」


 その部屋には、本やらファイルが多くあるのだが――同僚の刑事達が、思わずといった様子で手を止めて見守っている。


 そんなに広くはない倉庫のような『個人部屋』に詰め込まれた、小振りで上質な応接席のソファに、その部屋の主である刑事と、一人の青年が向かい合わせで腰掛けていた。


 捜査一課、ただ一人のL事件特別捜査係である宮橋雅兎(みやはしまさと)。


 彼は宮橋財閥の二男の御曹司にして、三十六歳には到底見えない絶世の美貌を持った刑事だ。高価な薄いブルー色のスーツを着こなすスラリとした長身に、西洋人と勘違いされる端整な顔立ち。少し癖のある栗色の髪が、クッキリとした明るいブラウンの目に掛かっている。


 その向かいに腰掛けているブラック・スーツの青年は、『新人研修』と書かれた許可証を首から下げていた。つい先程、N県警の捜査一課に『新人研修』として、唐突に訪ねてきたのである。


 青年の名前は、雪弥(ゆきや)。


 緊張感を煽る美貌を持った気族風の宮橋とは、対照的な小奇麗さをした青年だ。灰色と蒼色が混じり合ったような、不思議な色合いをした明るい髪をしている。そのせいか、形のいい黒い瞳がやけに浮いて見えた。


『えぇと、雪弥です。その……L事件特別捜査係はどこですか?』


 別県警から、試験的な新人研修プログラムとしてきた二十四歳。


 先程、入室の際に刑事達は『自分達の上司』に、そうざっくり疲労感たっぷりの引き攣った表情で紹介された。しかし端整な顔立ちは童顔寄りで、小奇麗さも際立ってか、むさっ苦しいこの捜査一課に学生が一人紛れ込んだような場違いな空気感があった。


「……なんか、向こうの部屋だけ空気が違う気がする」

「下の階にいる女達が見たら、きゃーきゃー騒ぎそうだな……」

「つか、新人研修なんて初耳なんだけど」

「しかも宮橋さんのところか?」

「煙草休憩に行っている三鬼(みき)が戻ってきたら、まずくないか?」


 刑事達のひそひそと話す声の向こうで、自分の席に腰掛けている捜査一課の小楠(おぐし)警部が、頭が痛いという顔で視線をそらしていた。余計な質問はするんじゃない、研修だ、以上――そう説明してからというもの、彼はかなりげっそりとした様子で口を閉ざしている。


 先程、小楠警部が案内して来た際に「はぁ?」と言ってからというもの、宮橋はいかにも不服だと言わんばかりの表情で腕を組み、一言も発さずにいた。


「…………」


 向かい合う雪弥も、相手の発言を待つかのようにずっと黙ったままだ。ちょこんと膝の上に手を置いて、ただただ彼を見つめ返しじっと大人しくしている。


 見つめ合う二人の沈黙を、部屋の外から他の刑事達が見守っている状況だった。普段は騒がしいというのに、今はただただ冷房機の稼働音がしているばかりだ。


 窓からは、夏の日差しの熱気が伝わって来ていた。


「僕は相談所じゃないぞ」


 と、不意に、ようやく宮橋が声を出した。低い美声は地を這うようで、そろりそろりと扉に近づいていた二十代の刑事達が、途端に回れ右をして離れ出す。


 その時、一人の中年男と、その後輩で二年になる若い相棒刑事が戻ってきた。それを見た彼らが「三鬼(みき)さん、警部がちょっと」と声を掛けて、唐突な来訪者と向かい合っている宮橋の方に突撃させないよう、まずは二人をそちらへと向かわせる。


「深夜に睡眠を邪魔された時にも、『どちらにも』断ったはずだが?」


 宮橋は、部屋の外のやりとりなぞ、どうでもいいと言わんばかりに雪弥だけを冷やかに見据えて、そう言葉を続ける。


 かなり怒っている声だった。とはいえ雪弥自身、その経緯や詳細をあまり知らないのも事実で「はぁ」としか相槌が出ないでもいた。


「その…………僕としても、何がなんだか」


 思わず首を傾げて、戸惑いの声をもらした雪弥は、数時間前の事を振り返った。

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