第42話 これから先1000年、俺以外の四天王の活躍が無い世界を

 俺の右ストレートをまともに喰らった大司教アトゥムの体は、思いのほか容易く地面へと転がった。


 ……まあ相手は聖職者という立場を抜きにすれば普通の(初老の)人間だ。いちおうは筋トレで体を鍛えてきた俺の腕力をもってすればなんとか……。


「いててっ……」


 どうやら右手の中指を突き指したらしい。うん、相変わらずの非力さである。


「大丈夫ですか、マスター」

「うん、まあね。……ナサリーは、エキドナたちを医療班に繋いでやってくれ。まだ苦しそうだ」

「了解しました、ですが……マスターはおひとりで大丈夫ですか?」


 チラリとアトゥムの方を見て言うナサリーに、俺は頷き返した。


「たぶん、な。ダメだったら素直に助けを呼ぶさ」

「……わかりました」

「さて、と」


 エキドナへと向かい玉座の間を後にするナサリーを見送って、俺はひとり、大の字に床に倒れたアトゥムの元へと向かう。


「……死んでないよな?」

「……この程度で、死ぬものか……」


 呆然とした様子のアトゥムがボソリと返した。


「私を……殺すか」

「……いや」


 そんなことをしたって、俺たち魔界にとっての本当のメリットとはならないだろう。


「あのさ、大司教。もう、聖王国と魔界、どちらかを滅ぼすまで戦うような戦争は……やめにしないか」

「なに、を……」

「魔王様は、魔界に平穏をもたらすために戦っていた。それは何よりもきっと、ゼルティアのためだ。魔王様は頑なにゼルティアを戦場に出そうとはしなかったからな……その理由は、もう分かるだろ?」

「……」

「俺たち魔族は確かに凶悪なヤツもいる。でも、全員がその性質を制御できないわけじゃないし……人間と同じで、愛や優しさだってちゃんとある」


 アトゥムは答えなかった。しかし、心の底では分かっていることだろう。


「大司教、アンタは自分の復讐に気をとられ道を違えた。多くの聖王国の民がその犠牲になり、俺たちの魔界も大損害を被った……でも、その失敗を失敗にしたまま、ここで死んで全て終わりにするんじゃ笑い話にもならないぞ」

「私に……どうしろと言うのだ」

「身をもって互いを知ることができた俺たちだからこそ、できることがある。聖王国と魔界の国交を開くんだ。協力しろ」

「……聖王国は、私が誘導する以前から【魔の存在】を不浄として扱ってきた。それが薄れるには長い年月を要することになるぞ……?」

「おいおい、お前ら人間のスパンと、俺たち魔族のスパンを同じにするなよ?」


 こちとら少なくとも1000年は生きる長寿な種族だぞ? 俺は胸を叩いた。


「任せろよ、俺がきっと最後まで事を為す。これから先の1000年を、その1000年の後の世を、俺以外の四天王の活躍が無くても済むように。そのために……まずは聖王国と魔界に良好な関係をもたらそう。たとえ、どれだけの時間がかかろうとも」

「…………」


 アトゥムは無言のままに上体を起こすと、力なく、しかしどこか憑き物の落ちたような表情で頷いた。


「誰かに頬を打たれたのは、何十年ぶりだろうか……。魔王を殺さんとする怒りも、憎悪も、何もかもが、不思議なほどどこかへ抜けていってしまった。心が、まるでからだ」

「……」


 ……本当は、アトゥムもどこかで分かっていたんだろう。こんなことをしたって、私の心のすき間が埋められるわけではないと。何をしても娘は帰ってきやしないと。だがきっと……激情に身を燃やす以外に生きるしるべがなかったのだ。


 ただ、それでもアトゥムのこれまでの行いは決して肯定できるようなものではない。


「大司教アトゥム、お前のことを許すとか許さないとか、そういう話はしない」

「……」

「でも、これから先、大司教という地位にいるお前だからできることがある。お前の働きかけで魔界と聖王国が争わない時代が来れば、きっと多くの命が散らずに済むんだ」


 俺は、利用できるならなんでも利用する。魔界のためになるならば、これまでの敵とも手を組もう。


「若かりしお前が最初に聖職者を目指した理由はなんだ? 人々の助けになるためじゃないのか?」

「……そうだ。私は、人々のために……」

「なら、俺の目的に協力するんだ、大司教アトゥム。これまでお前が犠牲にしてきた命に……少しでも償うつもりがあるのなら」

「……それで、私の──」


 アトゥムは言葉を紡ごうとしたが、しかし、それを遮るように。


 ──グサリ、と。


 その剣は突然に真横から飛んできて、アトゥムの体を横に貫いた。


「なっ……!?」

「ふ、ふふふ──ふざ、けないでもらいたい……! 私を、利用するだけしておいて……そんな勝手が、許されると……思うじゃありませんよ……!」

「お前っ……ブユダッ!?」


 剣の飛んできた先には……瀕死のブユダの姿。……嘘だろっ!? まだ、死んでなかったのか……!


「グフッ……!」

「おい、大司教ッ!」


 血を吐いて前のめりに倒れるアトゥムの体を支える。剣はアトゥムのわき腹の、肺と……心臓さえも傷つけるような位置を貫いていた。


「他人事じゃ、ありませんよッ!」

「ッ!」


 次にナイフを手にしたブユダの手がわずかに動いた。すると、それだけなのにナイフは超高速で俺に向けて迫りくる。


 ……そうか、ブユダの持つ特殊能力の『高速移動』。それは、本人自身の移動速度だけではなく、自身の触れた物の速度も調整可能ということか……!


「最後の最後で、私の力を見誤りましたねぇ、アリサワ! あなたも……道連れですッ!」


 ナイフが俺に突き刺さろうとする、その寸前。


「──フッ!」


 ガキンッ、と。それを防いだのは──光の結界による眠りから目をましたゼルティアだった。


「なっ……!」

「ブユダよ、貴様の裏切りは……私の手で処断する!」

「ゼ、ゼル──」


 一瞬でブユダの首が飛んだ。


「間に、合ったか……」

「た、助かった……! 大司教、アンタいつの間にゼルティアの結界を解いて……?」

「ゲフッ、ゴホッ!」

「おいっ、大司教ッ!?」


 尋常じゃない量の血をアトゥムは吐き出した。……危険だ。すぐにこの人も医療班に繋がないと……!


「タケヒコ、そいつは……!」

「ゼルティア! 医療班を……いや、そこの刺客の聖職者どもを叩き起こしてくれ! 回復させなきゃ! この人はゼルティアの──」


 言いかけた俺の肩を、ガシリ、と。アトゥムが力強く掴んだ。


「言うなッ……」

「大、司教……?」

「言わないでくれ……」


 荒々しい呼吸をしながら、しかし、その目は力強かった。


「回復も、必要ない。もう分かる……間に合わない。私は、死ぬ……」

「そんな……」

「私のことは、お前の胸の内のみに。あの子にとっての私は……ただの敵でいい」

「……」

「すまない、私は罪を重ねたまま……なにも……」


 アトゥムはそれからゼルティアの方を向いた。


「魔王女、ゼルティア……私たちの負けだ。君は、有能な部下を持っているな」

「……ああ。そうだろう」

「これから君は……君たちは、どのような魔界を築くのだ……?」

「私は……」


 ゼルティアが俺の方を見た。頷き返す。ゼルティアが目指すもの、それを俺はずっと知っている。それをそのまま伝えてやればいい。


「私は世界最強の魔王となり、この魔界の魔族どもを御し得る存在となる。そして父上が望んだように……争いの無い戦後の世界を築いていく」

「争いの無い世界……それは、困難な道だぞ……」

「それでも、だ。その道を邪魔するものは叩き潰す。私の剣と、そしてこのタケヒコの知恵によってな。ふたりなら、きっとできる。困難な道だろうが、力づくでひらいてみせようではないか」

「そうか。強いな……」


 大司教アトゥムは、そう言い残すと……息を引き取った。


「タケヒコ、そいつは──」

「聖王国の大司教だよ。ちょっと偉い、ただの……聖職者。魔王様を討ち取りに来た刺客のひとりだ」

「……そうか」

「そうだよ。ああ、残念だ。生きていればきっといろいろと上手く事を運べただろう。でも、俺の詰めが甘かったばかりに……ごめん。ゼルティア」

「……いや、何を言う。私が不覚を取ったのが最初だ。タケヒコ、お前は私のことを助けてくれたのだろう……?」


 ゼルティアは愛用の長剣を背中の鞘に仕舞うと……ギュッと俺のことを抱きしめてきた。


「ありがとう、タケヒコ。タケヒコはやっぱり……私にとってのヒーローだな」


 俺はそれから、ナサリーが帰ってくるまでずっと抱きしめられっぱなしだった。俺はその間ずっと、なんだか無性に泣きたくなるような悔しさを、グッとこらえていた。

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