第41話 奥の手は最後まで隠すもの

 大司教アトゥムは、せきが切れたかのように話し出した。


 ──20年近く前のこと。


 当時の大司教はアトゥムではない別の人間で、神から『地上を浄化せよ』という神託を受け取ったらしい。それを拡大解釈した過激派が、実力派の聖職者たちを集め、地上で暮らすあらゆる魔族を【不浄】の対象として殺戮を行う【魔族狩り】部隊を組織したそうだ。


 ちょうどその頃、魔王様は地上の国々を見て回るための旅へと出ていた。


 ……一度だけ、ゼルティアに話の流れで聞いたことがある。


『父上は全ての戦を自分の代で終わらせたいという野望を抱いていた。私に平穏な魔界を治めさせるために、だ』


 魔界は魔力石という資源が豊富なめずらしい土地……その資源を狙いに、過去にはいくつもの地上国が戦争を仕掛けてきていた。魔王様は絶えず続くそんな争いに嫌気が差しており、解決策を模索するために何度か地上の各国を旅歩いていたという。


 一方でアトゥムの娘は、


「私の娘は、聖王国という国の在り方に疑問を持っていた。『他種を迫害することで自分たちの繁栄を得ること』を本当に神はゆるしているのか、と。しかし、それは過去の大司教たちが神からたまわり続けた方針だ。神が間違えるわけがないと、私は娘を強く否定し続けた。そうする内に、娘は国を出ていったのだ……」


 おそらく、そうして旅をしていた魔王様と、国を出たアトゥムの娘が出会うことになったのだろう。


 それからふたりにどのような経緯があったのかは分からない。しかしいつしか互いに心を許し合い、身を契り、ゼルティアが誕生した。魔王様たちは地上での旅を続けながら、きっと幸福な時間を築いていたんだと思う。


 しかし、【魔族狩り】がやってきてしまった。そこでどのような争いがあったのか、詳細は分からない。魔王様とゼルティアが生き残り、アトゥムの娘が殺されてしまったという結末があったという……それだけが、確かな事実だろう。


「娘の遺体は……聖王国の教会へと置かれていた。その後の【魔族狩り】の生き残りの証言で、彼らが魔王によって返り討ちにあったことも分かった。私の娘が魔族の赤子を攻撃から庇って、死んだことも……! 分かるかっ? 魔王がいなければ、魔族の赤子がいなければ、娘が死ぬことはなかったんだ……!」

「……それは、ふたりの責任じゃないッ! お前の娘の死因は【魔族狩り】の連中によるものだろうっ!?」

「それはひとつの神託を、神への信仰の元に実践されたものだ! それの何を責められるっ!?」


 アトゥムが、声を涸らして叫んだ。


「もともと魔族は不浄のものとして聖王国に立ち入ることさえ許されていなかった。であれば、信者たちが魔族を排斥の対象にするのも頷ける……魔族狩りは信心深いからこそ、神を想うからこそ起こったことだ!」

「……大司教、お前……」

「神の元に行った行為は……正しい! であれば、悪いのは全て魔族だ! 身の程もわきまえず、人と共に在ろうとした魔族に他ならない! そのはずだろうッ!」


 ……そうか。分かった、分かってしまった。


 大司教アトゥム、コイツはとっくの昔に、娘を喪ったその時に……心が壊れてしまっている。


 ……信仰と憎悪の板挟みだったんだ、きっと。何十年も信仰してきて、人生の基盤ですらあった神のお告げによって何よりも大切だった娘が奪われて、しかし今さら信仰を捨てることもできず、ただ行き場のない怒りや憎しみに苦しんで、壊れたんだろう。


 だから、その行き場の無い憎悪はすべて、魔王様へとぶつけるしかなかった。娘と魔王様が出会わなければ、魔族の赤子が生まれなければ、きっとこんなことにはならなかったハズだ、と。


 ……ああ、なんてことだ。


 ……なんて、腹立たしいことだろう。

 

「オイ、大司教……ひとつ訊く。お前はこれからゼルティアをどうするつもりだ……? そうやってソコに捕まえておいたって何にもならないだろう。お前が魔王様を滅ぼしたとしても、どうせお前はその後にこの魔王城を包囲している魔族たちによって殺されるんだから」

「ぐっ……!」

「何も考えてなかったか? 魔界と聖王国を混乱に陥れて、それだけで満足か? お前の復讐を果たし、そうして残された焼け野原みたいな世界にゼルティアを放置して……何がしたいんだ?」

「黙れ……!」

「黙れじゃねーよ……! お前が作ろうとしてるすぐ未来の話だろうが!」


 非常に腹立たしかった。心の底からムカついた。握る拳に力が入る。


「どんな過去があったのかは分かった。だが、お前がこれから為そうとしていることは全部、ただの【八つ当たり】じゃねーか!」

「なっ!? 言うに事欠いて、この私の積年の憎悪を八つ当たり……だとッ!?」

「そうだろうが。誰も悪をそうとしたわけじゃなかった。誰もお前の娘を殺そうとしたわけじゃなかった。みんなが自分の正義や幸せを追求しただけだった。ただ、それぞれの立場や思想が不運にも悪く重なって起こった事故だったんだ。これは、その悲しみを受け容れ切れず、誰かを憎むことでしか自我を保てなかったお前の──【娘を愛したひとりの父親がする、世界に対しての八つ当たり】だろッ!」

「……ッ!」


 ──非力な俺の武器は今この場ではただひとつ。


 たじろぐアトゥムへと、俺は全力でこの言葉ぶきを叩きつける。曲がったその信念を……へし折るために。


「大司教、お前は最初から何かを憎んでいたか? 違うだろ。お前はただ娘を愛し、娘を守りたかっただけだ! でも、それは叶わなくて……お前はそれがたまらなく悲しかった」

「やめろ……」

「死にそうなほどの悲しみを、お前は魔王様への憎しみに変えることで生きてきたんだろ? だけど、お前のその胸の隅にはずっと、悲しみにも憎しみにも変え難い、娘とゼルティアが居た」

「黙れ……!」

「ずっと扱い切れず、今ここに至るまで、お前はその気持ちをどうしていいのか分かっていない。結末も想像できないままに魔王様だけを討とうとしている……本当にそれでいいのか!? その行いによって何がもたらされるのか、いっぺん真剣に考えてみやがれッ!」


 俺は痛いほどに握りしめた拳を構え、アトゥムへと向かった。


「お前はっ! 母を喪ったゼルティアに、今度は父をも喪わせようとしてるんだぞッ!」

「……ッ!」


 アトゥムのその苦虫を嚙み潰したような表情に、いっそう、俺の中の激情が爆発する。分かった上で、分かった上で、それでもなお魔王様を許せないってわけかよ……!


「大切だと思う気持ちがあるんだろ! だから、ゼルティアを傷つけたくないとそう思えたんだろッ!?」

「くっ……!」

「大切だと思うならッ! お前の愛した娘が、その命をかけて守ったゼルティアを……! 憎しみと復讐の連鎖に引きずりこもうとするんじゃねぇよッ!」

「……うるさいッ! 黙れぇぇぇぇぇッ!」


 俺は駆けた。この頑固ジジイ、アトゥムをぶん殴るために。


「アリサワッ! お前からは魔力が感じられぬッ! 神の力が通用しなかったのはそのためだろう……! ならば、通常の攻撃魔術で対処するのみだッ!」

「ッ!」


 どうやら、俺の非力さを見抜かれたらしいな。アトゥムの体を纏っていた神気が消え、その代わりにアトゥムの掲げた右手に集まった光が矢の形を成して飛んでくる。このままでは、俺の右拳がアトゥムに届く前に、俺が魔術に貫かれてしまうだろう。


 ──このまま、だったらな。


顕現けんげんせよッ! 我が剣、暗黒勇者ナサリーッ!」

「ハッ! 我が剣は、我が主マスターのために!」


 俺の正面、何も無かったそこにダークブラウンの鎧をまとったナサリーが召喚され、光の矢を弾く。


「セェェェイッ!」


 ナサリーはその返す刃でさらに、アトゥムのフードの下にあった祭司服と十字架のネックレスを断ち切った。


「ゆ、勇者ナサリー……! なぜ、カースナイトモンスターになったはずの、お前が……!」

「それは私がモンスターではなく、契約召喚された魔族だからにほかなりません」

「なっ、そんなバカな……」


 ……そう、これが俺の【奥の手】だ。今この時、ナサリーをあえてカースナイトとして扱ってきたそのブラフが活きた。


 俺が他の魔族やモンスターなどの魔力を持つ味方の手が借りられない状況である、かつ、俺のことを神の力では倒せないというアトゥムの思考が、その身にまとう神気を消させたのだ。


「神を身に直接宿すことができるのは十英傑など、身体的に恵まれた者のみ。あなたのような聖職者が神の力を使うために、儀式を為すための礼装は不可欠……ゆえに、その礼装を我が呪いの剣でもって壊しました」

「ぐっ、クソッ!」

「決着は、我が剣の役目ではありません……マスターッ!」


「──ありがとう、ナサリー!」


 俺は最後のひと足で、彼我ひがの距離を詰める。


「いっぺん、頭を冷やしやがれッ! 大司教アトゥムッ!」


 アトゥムのその顔面に、俺の右拳が突き刺さった。

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