第17話 最上の勝利とは

 魔界地下第1階層、地下第2階層への転移陣がある場所から少し離れた掘っ立て小屋の中で。


「おい、おいおいおい……! 500人規模の兵団が、偵察隊が……ほとんど何もせず撤退していったぞっ⁉」


 思わずといった様子でゼルティアが驚きと喜びに飛び跳ねる。


「たった、たった【数十体】の弱小モンスターとドッペルゲンガーで、アリサワ! 貴様は本当に500人の兵を追い返してしまった! すごい、すごすぎるぞっ!」

「ふぐっ、うわわわわっ」


 グングンと勢いよく肩を揺すられて視界が揺れる、脳も揺れそうになる。あとついでに大きく揺れるゼルティアの乳が顔にぶつかってくる。おお、ビバ天国と地獄。

 

「アリサワ、いったいどんなマジックを使ったのだ⁉ 確かに勇者ナサリーを模したドッペルゲンガーは強かろう。しかし、あれほど勢いよく500人規模の兵団に撤退を決意させることは、1人の強者のみで引き起こせる現象ではあるまいっ⁉」

「最前線にいたモングル兵たちは、こちらの戦力を自分たち以上の戦力に誤認してくれたんです。たぶん、数千から万規模のモンスターが、今にでも攻勢に移ってくるのではと考えたのでしょう」

「数千から万……? いや、そんなバカな。この地下第1階層のいったいどこにそんな勘違いをさせるほどの戦力があるというのだ?」

「まあ、無いですね。だからとある計略で、勘違いしてくれる状況を作ったんです」

 

 日本史上では有名な【平家物語】、その中の富士川の戦いで平家が揃って逃げ出したとされる【水鳥の羽音】のエピソード。俺はそれを応用した計略を実践したのだ。


「『とある計略』……! なになにっ、どんな計略なのだっ?」


 ゼルティアがソワソワと解説を待っている……夕方の好きなアニメが始まる前の女の子みたいでとても可愛い。


「まず、霧の中に100個ほど壊れた邸宅のガレキを積んで置いていたんですよ」

「ガレキ……? ただの石のガレキをか?」

「はい。そしてその手前にゴブリンを、それよりもかなり後ろにゴーレムを数体待機させておきました」


 ちなみにその戦力については戦後のガレキなどの片付けにということで魔界地下第2階層から借りてきたモンスターたちだ。


「ゴブリンには待機したままその場を動かないことを、巨体と重量を持っているゴーレムにはとにかく派手にその場で足踏みをするようにと命令を出したんです」

「ああ、ズズンといった地鳴りのような音はゴーレムたちが出していたものだったのか……しかしいったいなぜだ?」

「その地鳴りを、大量のモンスターの足音に勘違いしてほしかったからですよ」

「足音……あっ、もしかしてだが、ガレキをモンスターに見せかけるためにかっ?」

「その通りです」


 霧の中、偵察班たちの視界はとても悪い状態だった。そんな中で前方にゴブリンたちを確認させ、さらに大きな足音のような地鳴りを聞かせることで、後方にある霧の中に紛れる大量のガレキの影をモンスターのものだと錯覚させたい、というのが俺の策だった。


 ……噓か誠かは分からないが、平家物語上では平家軍は夜に一斉に羽ばたいた水鳥の羽音に驚き、それを万を越える鎌倉軍が攻めこんでくる足音だと勘違いして一目散に逃げ去ってしまったそうだ。


「相手をパニックにさせて、とにかく早く退散を決め込んで欲しかったものですから」

「うむ……しかしアリサワよ。なんとも不確かな作戦ではないか? 冷静に観察されてしまえば、動かないガレキがモンスターではないということは看破されてしまうと思ったのだが」

「そうですね、今言った流れだけでは、大量のモンスターがいると思い込んでくれるかどうかはモングル兵任せになってしまいます。なので、【大量のモンスター】が存在することを裏付ける証人を用意してやったんです」


 俺は通信用の呪符をレイへと繋ぐ。


「レイ。近くにペルじゃない方の、新しい方のドッペルゲンガーはいるか?」

「はい、【ダムディン】ですね。いますよ」


 レイが再び俺とゼルティアへと視界を共有してくれる。そこに映し出されていたのは、モングル兵の鎧を装備した血まみれの男。


「あっ! あいつ……ドルジとかいう偵察班の班長のところへ、重傷を負って来た兵士じゃないかっ?」

「よく覚えていますね、ゼルティア様。そうです。彼はダムディン……とかいう兵士の姿を借りたドッペルゲンガーです」


 それは先ほど四天王のエキドナからもらった魔力石を使って、ついさっき生み出したモンスターだ。血まみれの服を着ているが、体に傷は負っていない。服を染めた血は他班のモングル兵士の死体のものを利用させたのだ。


「ダムディン(ドッペルゲンガー)には、偵察班へと嘘の情報を流してもらいました。『他の偵察班は大量の強力なモンスターによって全滅した』と」

「……つまり、モングル兵たちは瀕死を装ったダムティンからの情報により、大量のモンスターが自分たちを待ち構えているものだという先入観を植え付けられていたわけか」


 俺は頷いた。思い込みの力はすごい。無造作に並んだ図形や影を人間に錯覚してしまうシミュラクラ現象やパレイドリア現象という例もあるし、先入観とは時に人の判断を狂わせるものだ。


「あとは迷いの森にかかっている霧が良い働きをしてくれました。『五里霧中』、『迷霧』、『疑雲猜霧ぎうんさいむ』という言葉にもあるように霧とは昔から人を迷わせるものの代表格です。その中で冷静な判断を下すのは難しいでしょう」


 なんならあの有名軍師である諸葛孔明が使ったと言われる【石兵八陣せきへいはちじん】も霧と石の柱の中、敵兵を迷わせるというものだ(架空の陣ではあるらしいが)。それくらい、霧の中というのは理性を奪うものとして人に恐れられ、同時に人に利用されてきたのだ。


「なるほどな。そんな状況ならもう疑いようはなく、ただのガレキの影も『大量のモンスター』であると錯覚してしまおうものだな」

「上手くいってなによりでした」

「ふふっ、まったく……貴様は本当にすごい戦略家だ。素晴らしいぞ!」

「おっ⁉」


 感激したゼルティアに抱きしめられそうになる。いいぞ、ばっち来い! 俺は両手を広げる。受け入れ態勢はばっちりだ。しかし、


「──おっと、これは、ダメだな……」

「へっ?」


 ゼルティアは両手を拡げはしたものの、抱き着く寸前で止まった。


「ま、まだハグとか、そういうのは良くないものな。アリサワの意思も、アレだし……」

「……⁉」


 えっ、抱きついてくれないの……? じゃあ、ゼルティアのハグを受け入れるために広げたこの両手はいったい、何を抱きしめればいいというのだ。


「……ともかく、だ」


 ゼルティアが咳ばらいをして、場を仕切り直した。


「今回はアリサワの計略によってしのぐことができたが、次回以降をどう対応するかというのが魔界全体としての課題になってくるな」

「あ、それは大丈夫かと」

「ん? どういうことだ?」

「モングルの偵察隊は私たちの側に大量のモンスターがいるという誤った情報を持ち帰ってくれたわけですから、それを元に今後の行動計画を立てると思われます」

「ん? まあそれはそうだな。だから、今度はこちらに勝利できる布陣を整えてくるのではないか?」

「……いえ」


 首を傾げるゼルティアは可愛いので思わず頷きたくなる。でも、残念ながらその可能性は低いだろうな。


「モングル共和国は、聖王国に敗戦してボロボロのはずの魔界が相手だという前提で仕掛けてきたはずです。聖王国と魔界が戦争を行っている間に参戦してこなかったことから、リスクを取りたくないという姿勢は明らかですから」

「それは……そうだな?」

「しかし、モングル共和国が置いたその前提は大きく外れていた……魔界には500の威力偵察などものともしない圧倒的な戦力が控えていることが、今回の偵察で分かったのです」

「……あっ」


 ゼルティアの目に理解の色が灯った。


「そうか、偵察隊を全滅させずにあえて偽の情報を掴ませて帰したのは、モングル共和国の戦争計画を見直させるためかっ!」

「はい」


 ゼルティアの言葉に、今度は俺も頷いた。


「モングル共和国内で『やはり魔界に戦争を仕掛けるのは時期尚早だった』という結論になれば、魔界と戦争をしようという考えは押し留められるハズです。そしてそれが私たちにとっての【最上の勝利】となるでしょう」

「最上の勝利……さきほどもアリサワが言っていたことだったな」

「はい。【戦わずして勝つ】。今回与えた情報によってモングル共和国の戦争計画が止まり、これ以上魔界に損害が出ずに戦力回復の時間を設けることができる……それが我々にとっての何よりの勝利です」

「……アリサワ」


 ふっ、と。ゼルティアが俺の肩に回していた手を外し、代わりとばかりに俺の手を握ってくる。


「アリサワ、今回は私のワガママを聞いてくれて、隣に居させてくれて本当にありがとう。とても勉強になった」

「いいえ、とんでもないです。少しでもお役立てできたならよかったです」

「戦わずして勝つ、か。私は回りくどいことを考えるのをこれまでずっと苦手にしてきたから、どうしても自分の手で剣を振るうことばかり考えてしまっていたのだが……勝利にもそんな種類のものがあったのだな。私にもできるようになるだろうか?」

「ぜひできるようになっていただきたいですね。いくらお強いとはいえ、私もゼルティア様が心配ですから」

「……アリサワも、そう思うか」


 ゼルティアが悲しそうに、薄く笑った。


「『魔王女様が居ては戦に集中できない』、『魔王女様には魔界の統治という別の役割がある』……色んな家臣たちから言われ続け、もはや耳タコだ。やはり、アリサワもそう思うのだな……」

「まあ……できれば。ゼルティア様に傷ついてほしくないですから」

「みんな過保護すぎるんだ。父上はそれこそ魔王という一番大事な肩書きを持っているのに最前線で戦っていたじゃないか」

「いやいや、別に魔王様だからとか、その娘の魔王女様だからとか、それだけの理由じゃありませんよ」

「ん? どういうことだ?」

「私はひとりの男として、ゼルティア様のことを大切に思っているだけです。たとえ、魔王女様なんていう肩書きが無かったとしても」

「なっ……!」


 だって、なんだかんだいっても女の子だしな。それに、めちゃくちゃ可愛いんだもんゼルティア様。性格も、根っこのところですごく優しいし。俺が人生で見た美少女たちの中で間違いなくナンバー1の天使だ。かすり傷ひとつだって負わせたくはない。


「ん? ゼルティア様……なんか、顔が赤くないですか?」

「あっ、赤くないっ!」


 ゼルティアがそっぽを向いた。これはあれだ、なんか照れてるな? こんなに美少女なのに、女の子扱いされるのに慣れてないとか……。


 ……いじらし可愛すぎないか?


「ア、アリサワっ! きょ、今日の勉強はここまでにさせてもらうっ!」

「あ、はい……え? 『今日の』?」


 ゼルティアはどこからか取り出したペンとメモに走り書きをすると、それを俺に渡してくる。


「えっと、これは……?」

「それは魔王城にある、私の部屋の場所だ。その、また後日、戦略について学ばせてほしい。時間ができたらぜひ訪ねて来てくれ。今日のお礼もその時に渡そう」

「いや、お礼なんてそんな……っていうか私は戦略そんなに知らないって……」

「いいから! お礼を用意しておくから、必ず来るんだぞっ!」


 そう言い残して、ゼルティアは顔を赤くしたまま去っていった。俺はそれを半ば呆然としつつ見送ると、手元のメモに視線を落とした。


『魔王城北館6階、突き当りの角部屋』


「……まじか」


 おいおい、これはいったいどういう出世の仕方だ? 四天王最弱なはずの俺が、魔王女ゼルティアの自室へと招かれてしまったよ?

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