第16話 【偵察隊第3班ドルジ班長視点】生き証人という戦果

 ──迷いの森、1/3の道程にて。


「ったく……薄気味悪い森だぜ……」


 最前線を任されているモングル共和国偵察隊第3班の班長ドルジは、進むたびに霧が深くなる森に対し、舌打ちをした。


「班長、なんだか全然モンスターがいませんね……」

「ああ。だが気を抜くな? 普通、これだけ奥深い森ならモンスターが何匹も出て来てしかるべきだ。それが無い、ってことが異常過ぎるんだ」

「た、確かに……」

「恐らく、この魔界のモンスターは統率されているんだろう。その練度までは分からんが、しかし絶対にどこかで俺たちを待ち構えているに違いない」


 ドルジはそう言うと、通信用の護符を取り出して他班との連絡を取った。共に最前線を務め、今はドルジ班の位置から見て左へと拡がって偵察をしている第7班、第9班にも特に異常は無いらしい。


「は、班長。このまま前進で問題ないでしょうか……? 私たちの任務は……先ほど仰られた通り変わりありませんよね?」

「こら、敵地だぞ。情報を声に出すな」

「も、申し訳ございません! 情報は命、でしたね」

「その通りだ」


 俺たちモングルは情報を残していかない。この威力偵察で魔界の情報だけを確実に持ち帰る……それが今回の任務だった。

 

 ……しかし軍の上層部ときたら、魔界の利権なんて不確かなものに色気を出しやがって。

 

 ドルジは再び舌打ちをする。聖王国と魔界の戦争が一時的に終結したのであれば、我々モングルは次の大規模な戦争が始まった時に改めて聖王国側について参戦すればいいだけなのだ。

 

 ……モングルのエリート様方はなんも分かっちゃいねぇ。あの対モンスターにおいて最強国家である聖王国が追い詰めるだけ追い詰めておいて決着できていない……それが魔界という相手だ。

 

 軍の上層部は魔界が弱った相手だと、楽な勝ち戦になると高をくくって、生半可な気持ちで手出しすることを決めたに違いなかった。

 

「……それが大火傷に繋がらなければいいけどな」


 ドルジは大きなため息を吐く。不安は募るが、しかしドルジは軍人だ。上からの命令には絶対服従。やれと言われたことをやるしかない。

 

「ん……? 班長っ!」

「どうした、ボルド」

「なにか……なにか、聞こえませんか?」

「なにか、って……」


 副班長であり、班内で随一の精鋭であるボルドがそうしているように、ドルジもまた耳を澄ました。


 ──ズズン、ズズン……!


「……なんだ、これ? 地鳴り……?」

「班長ッ!」

「どうした、バイヤ?」

「前方に敵影を確認!」

「なにっ? 全員、抜剣せよ!」


 ドルジは正面の霧の中に目を凝らす。


「あれはなんだ、ゴブリンかっ? 何体いるっ?」

「き、霧が深くてよく……10? いや20はいるかもしれません……!」

「距離は20メートル……いや30か? 分からん! くそっ、視界が悪い!」


 そう、ドルジが悪態を吐いていた時だった。


「だい、3班……! 第3班、ドルジ班長はいるか……⁉」

「誰だっ⁉」


 その、ドルジ班の真横の木々の裏からよろよろとおぼつかない足取りで現れたのは、ドルジたちと同じ鎧に身を包んだ男。


「俺は、第7班のダムディン……」

「7班っ? なぜ7班の班員がここに……って、お前、そのケガっ!」


 ダムディンと名乗った男は全身血まみれで、ドルジの横までくると苦しそうに地面へと膝を着く。


「大丈夫だ、俺の傷は……大したことない」

「ばかっ、その血の量が大したことないわけがないだろう!」

「い、いいから聞いてくれ、ドルジ。第9班、ならびに第7班は全滅だ……!」

「なっ……⁉」

「大量の強力なモンスターに待ち伏せされて、俺以外はひとり残らず皆殺しにされたんだっ!」

「そ、そんなバカな……さっきの通信では異常ナシだって……!」


 ドルジはハッと目を見開いた。そこで……悟ったのだ。

 

 ──ズズン、ズズン……!

 

 この、先ほどから響いていた地鳴りのような音。その正体は……大量のナニカがこちらに向かって行進してくる足音だということを。


「おいおい、マジかよ……この音、全部がモンスターのものだとでも……⁉」


 即時撤退か、一時交戦か。偵察部隊第3班班長ドルジの頭に一瞬どちらの判断が最適解かという迷いが生じていた。

 

 ……どうする? 全員で一斉離脱を行うか? それとも殿しんがりを設けるべきか?

 

 共に偵察のためにここまで侵入してきた他班が全滅したのだ。であれば、撤退しなくてはならない状況にあるのはまず間違いない。しかし、ドルジたちの目的は情報収集だ。ここまでで得た情報は【誰かが必ず生き残って】持ち帰らなくてはならない。


 ……大量のモンスターに追われ、囲まれてしまえば一巻の終わりだ。全滅の可能性さえある。であれば押し寄せる敵軍を一時的にでも足止めする殿部隊を設けた方がいいのではないだろうか。


 そんな迷いはしかし、一瞬だった。


 ──ドスンっ、という重たい音が近くで鳴った。直後、班員たちの悲鳴が響き渡り、ドルジもまた息を飲んだ。


「ボルド……? ボルドぉぉぉッ!」


 班員のボルド、その首が地面へと落ち、首を失ったまま直立していた体からは血が噴水のように勢いよく噴き出していた。


「──ふん、他愛たあいもない……」


 霧の中、歩み出てきたのは黒い鎧に身を包み、それとは対照的に勇者が持つかのような厳かな大剣を持った兵士……いや、騎士と思しき女だ。しかし、深い霧の中でも確かに赤く輝くその瞳が、女が人外であることをドルジに直感させる。


「な、なんだ……お前ッ!」

「これから死ぬヤツらに名乗ってどうする?」


 黒い鎧の女騎士が剣を振り上げる。するとその圧で風が起こり、少しだけ森の中の霧が晴れた。


「──ッ⁉」


 ドルジが見た光景……それは、絶望だった。


「20どころじゃ……100、いや、1000は居るだと……ッ⁉」


 ドルジの目に映ったのは数十体のゴブリンやスケルトンと、そのさらに後ろの霧の中、木々の合間で広く俺たち待ち構えている数百体は下らないであろうモンスターと思しき黒い影だった。


 ──ズズン、ズズンっと、先ほどから森の中に響いている足音が、より大きくドルジたちの体を震わせる。


「──て、撤退ッ! 第3班撤退だッ!」


 ドルジは叫んだ。もう、一時交戦だとか殿しんがりだとか、そんなことを考えている暇さえなかった。


 ……魔界に入ってまだ数時間のところで1000体規模、いや他班も同規模の軍にやられたことも考えると……数千規模の防衛戦線が築かれているだとッ⁉ なんて戦力だよ。聖王国のヤツら、ホントに戦争に勝ったのかッ⁉


「全員、交戦はするなッ! 逃走を第一に考えよッ! モンスターを1体でも相手にしたら100体に捕まると思えッ!」


 ドルジたちは全員そろって背中を向ける。


「お前も逃げるぞ、ダムディンッ!」


 ドルジは第3班に危機を伝えに来てくれた他班の班員、ダムディンに目を向ける──が。


「……」

「くっ、ダムディン……!」


 ダムディンはすでに力なく地面へと倒れ伏していた。元々、死んでもおかしくないほどの出血をしていたのだ。もう、力尽きているのだろう。


「全員、走れぇぇぇッ!」


 ドルジは駆けた。隊列も何も気にせず、なりふり構わずに撤退を行った。


「ぎゃぁぁぁ!」

「あぁぁぁッ!」


 周りから、班員たちの悲鳴が上がってはその足音が消えた。ドルジは振り返る暇もなかったが、どうやら逃げる間にも班員たちは黒い鎧の女に追いつかれて無残に殺されていったようだった。

 

「はぁっ、はぁっ……! クソッ、クソッ、クソッ……!」


 いくつもの犠牲を払い、ドルジはしかしそのまま女騎士に追いつかれることなく、自分たちの後方で予備戦力として待機していた第5班と合流できた。

 

 ──ズズン、ズズンッ!

 

 詳しい出来事を話している時間はない。足音はまだ同じ大きさで聞こえてくる。それはつまり、今もなお大量のモンスターたちが迫ってきているということだ。第5班にハンドサインで手早く撤退の意を示し、そのまま駆け続ける。

 

「くそっ、死者が出るなんて……失態だ! せめて今得た情報は持ち帰らなければ……! やっぱり魔界に手出しはすべきじゃなかったんだ!」


 魔界にはただの地下1階層にですら第7班と第9班を一瞬で掃討できるだけの数千のモンスターがおり、そして精鋭の班員ボルドを一瞬で葬る力を持つ規格外の黒い女騎士がいる。その全体の戦力は──計り知れない。


 それがドルジの結論だった。


「はぁっ、はぁっ、よかった……入口だ……!」


 1時間近く走り通し、ドルジたちは魔界の入り口を固めていた部隊と合流すると、損害状況の確認もそこそこに地上への撤退を決める。


「ドルジ、よくぞ生きて帰った」


 偵察隊隊長がドルジをねぎらうようにその肩に手を置いた。


「さあ、先に地上へと逃げろ。お前こそがこの魔界の生き証人だ。即座に祖国へと戻り、軍上層部へと情報を共有せよ」

「はっ! お気をつけて、隊長殿。聖王国と戦いを交えてなお、魔界の戦力は衰えておりません!」

「承知した。他の後方支援班を回収したのち、我々も撤退する」


 そうしてドルジたち偵察隊第3班は他の班から保護されつつ、急ぎ足で地上のモングル共和国へと撤退していくのだった。

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