第19話 魔王女様に惚れられましたっ!

 魔王城の6階、角部屋。そこに魔王城ゼルティアの自室はあった。


「さあ、入ってくれアリサワ。あまり片付いてはいないが」

「は、はい……失礼します」


 足を踏み入れる。途端に、爽やかで甘い香りが漂ってきた。それは何度か近くで香った覚えのある、ゼルティアの匂いだ。


 ……あれ、そういえば俺……女の子の部屋って入ったことなかったかも。つまりこれは、一種の初体験なのではっ?


「どうしたアリサワ、ドアの前で立ち止まって。早くこっちに来い」

「あっ、はいっ!」


 では、お言葉に甘えてと、部屋の中ほどへと進んだ。


 フワリ。優しい空気が俺の身を包んだ。


「これが……女子の部屋……! う、うぅっ……」

「ど、どうしたアリサワっ! 泣いているのかっ⁉」

「すみません、ちょっと……自分の人生にこんな瞬間が訪れるとは思わず、感動してしまいまして……」


 まあ、俺の涙の理由なんてものはさておき。


 ──モングル兵たちの威力偵察を退けて一週間が経った今日、俺はゼルティアの部屋に来るようにとゼルティア自身から【命令】を受けていた。


 事の経緯は……そんなに話すこともない。以前ゼルティアから直に部屋に来るようにとその場所が書かれたメモを渡された俺だったが、しかし……自分から訪ねる勇気がなかなか出なかった。


 それで、いつまで経っても部屋に来ない俺に業を煮やしたゼルティアが再び魔界地下第1階層にやってきて、『明日! 必ず! 私の部屋に来い!』と命令を受けたわけ。


 それでもって、魔王城に来るまでは治安が悪いからという理由で、先ほど俺に絡んできた男どもに使った【槍の種スピアシード】や【吸血蔓ヴァンパイアウィップ】などを貰ったのだ。


「ゼルティア様、護身用のアイテムありがとうございました。めちゃくちゃ役に立ちました」

「むっ、なんだ? さっそく絡まれたのか?」

「はい。城下町ってホントに治安悪いんですね……3人組の男に路地裏に連れてかれて恐喝されかけましたよ」

「大丈夫か? 暴力を振るわれたりはしてないか?」

「その前にあしらえたので、なんとか大丈夫です」

「そうか、さすがはアリサワだ……でも、ちょっと待っていろ?」


 ゼルティアは再び部屋の入り口に行くと誰かを呼んだ。恐らく魔王城に仕えるものだろう。ヒソヒソ声で何かを命じているようだ。


 なになに? 『城下町』『路地裏』『3人組』『殺しておけ』?


 ……ああ、サラバ男3人組。生きて会うことはもう無いようだ。


「スマンなアリサワ、待たせた」

「いいえ、全然です!」


 むしろそこまで俺のことを思ってもらえるというのはありがたい限りだ。


 ゼルティアにソファを勧められて座る。ゼルティアは俺の隣のソファへと腰を掛けた。


「さて、今日私がお前をここに呼んだ理由だが……」

「はい」

「呼んだ理由、だが……」


 ゼルティアがチラリとこちらを見てくる。


 ……ん? どうしたのだろう? ゼルティアらしからぬ歯切れの悪さだ。


「それなら分かってますよ、ゼルティア様。戦略についてを学びたいというお話でしたよね?」


 この前話していた内容だ。当然覚えている。なので、実はこの1週間で時間を見つけては俺にできる限りの知識をメモとして書き溜めてきているのだ。


 ……ただ、俺は教鞭なんて取ったことないし、どうやって教えたものかなーとちょっと悩んではいる。だいたい戦略ってどの段階から教えるのが正解なんだろう。


「えっと、どのように進めていきましょうか? まずは基本的な攻撃・防御の陣形と兵站についての話からに……」

「いや、その前に、ハッキリさせておきたいことがあるんだ。ずっと黙っているのも私らしくない……」

「え?」


 ゼルティアは真剣な顔で深く息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って吐いて吸って吐いて吸って……吐いた。


「あの、どうしました? 深呼吸多くないですか?」

「う、うるさいっ!」


 怒られてしまった。いかん、いかん。どうにもゼルティアの気安い雰囲気に乗っかって軽々しく接してしまう自分がいる。魔王様が眠りについた今、ゼルティアはこの魔界でいま一番偉い魔王女なのだ。不敬が過ぎるのは良くない。


 ……それにしても、いったいなんなのだろう? 確かにゼルティアらしくない。


「アリサワ、いいか?」

「はい?」

「あのな、私は考えたんだ……最近よく眠れない理由を、だ」

「……はい」


 ゼルティアの真剣な口調に、俺は居ずまいを正す。もしかして不眠の相談ですか? なんて茶化したようなバカな発言はしない。


 ……たぶん、ゼルティアは彼女自身にとってすごく大切なことを言おうとしている。そう直感した。


「あのな、私は最近よく思い返すことがある」

「はい」

「あの日……勇者がやって来た時。アリサワの代わりに私が戦場に出ようとして、それを許さぬ貴様に力づくで椅子に座らされたことを」

「……えっ?」

「屈辱だった」

「……」


 ……えっ? 待って、これもしかして、本当に不敬で処刑パターン? っていうか俺、あの時のこと後で謝ろうとか思っていて、結局少しも謝罪してなくね? 


 それはものすごく……マズいのでは?


「ゼ、ゼルティア様……申し訳ございません。あの時はその、私も無我夢中というか、なんというか」

「違う」

「えっ」

「屈辱だったから、こんなにも夜にのたうち回る羽目になったのだと最初はそう思った。でも、違った。アリサワのことを思い返すのは不思議と……腹立たしくなかったんだ。むしろ時間が経つにつれて、アリサワのことを思い出したいとそう思うようになっていた」

「……」

「それまで私が日々思い返す存在など、おとぎ話の中のダークソーサラーくらいのものだった。あ、これは誰にも内緒だぞ? こんないい歳をしておとぎ話好きだとバレたら子供っぽいと思われてしまう」

「あ、はい」


 ダークソーサラー……それは魔界に古くから伝わる物語に登場する魔族で、優れた知恵と圧倒的な暴力でどんな敵にも苦戦しない。魔族の子供たち(特に男の子)にとっての憧れの存在だ。


「でも、今の私の頭の中にはどんなおとぎ話だって入る余地もない。それくらい、アリサワ。貴様のことでいっぱいなんだ……」


 えっと、これは……。やっぱりそういうこと、なんだよな? めちゃくちゃに恥ずかしそうにしながらも、ゼルティアは俺の目を真っすぐに見る。


「自分の感情を見つめ直して気が付いたんだ。だからアリサワ、貴様に聞いてほしい。私は……アリサワのことが好きだ」

「……!」

「勇者を倒した時のアリサワは、とてもかっこよかった。自分が非力であることを決してひがまず、前だけを見て、知恵と……なによりその勇気を持って困難を打破してみせた。正直に言う。その姿にひと目惚れだった」

「あ、ありがとうございます、ゼルティア様。その、私は──」

「ああ、返事は要らない。しなくていい」

「えっ」


 ゼルティアの人差し指に、唇を封じられてしまう。


「ふぅ、スッキリした。ありがとう、アリサワ。こんな機会をくれて。そしてすまなかった。王族にこんなことを言われたら、無下にも扱えず困るだろう?」

「い、いえ! 決してそんなことはっ! というか」

「いいんだ。みなまで言うな。私はどうしても自分の気持ちに整理をつけたくて……だからこうして口にしたいと思ってしまった。ワガママだったんだ。ただ聞いてくれただけで、充分に嬉しかった」


 ゼルティアは儚げに笑った。


「さて、それじゃあ戦略の授業を始めてもらえるか?」

「えっ、あっ、いやっ? その……!」

「さっきの話は忘れてくれ。さあ、授業を」

「ちょっと待ってくださいよ。私は」

「やめてくれ、アリサワ。私は……分かり切った返事を聞くのが辛いんだ」

「あの」

「さあ、授業を始めよう。なんの戦略からだ?」

「……」


 俺はソファから立ち上がった。


「──ずぅうぇぇぇぇいッ!」

「ひゃあっ⁉」


 俺は両手でゼルティアの頬をモニュリと挟んでやる。


「俺の! 話を! 聞いてくださいっ!」

「はっ、はいっ⁉」

「俺もゼルティア様が好きなのぉぉぉッ!」

「へっ、えっ、えっ?」

「俺はっ! ゼルティア様が! 好きなのぉぉぉッ!」

「いやっ? そ、そんなまさかっ! そんなわけっ……」


 くそぅ、頑なに信じようとしないぞ、この魔王女様っ!


「ゼルティア様は俺のこと好きって、本当に好きって思ってくれますかっ?」

「む、無論だ! 私は真実しか言わん! 私はアリサワ、貴様のことが大好きだ」

「男として?」

「男として!」

「なら、よし!」


 俺は自分の顔をゼルティアの顔へと近づけて──。


「ッ⁉」


 強引にその唇を奪った。


「~~~ッ⁉」

「……っ」


 ゆっくりと唇を離す。……すっごい、柔らかかった。


「ゼルティア様、もう一度言います。俺もあなたのことが好きです」

「……ふぁっ、ふぁぁぁぁぁッ⁉」


 ゼルティアが顔を真っ赤にして叫んだ。

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