第20話:ドジっ子令嬢

 ところどころで咲穂さきほを待ちながら、3人揃ってログハウスまで帰ってきた。


「おかえりなさい、平河ひらかわくん」


 玄関口では、大崎おおさきがやけに穏やかな表情で待っていた。


「ずいぶん遅かったのね? ずっと待っていたのに。ちょうど、リラックス効果のあるハーブティーを淹れたのよ、平河くん。飲まない?」


「ちょっと、大崎すみれ。そんなの抜け駆けだよ?」


品川しながわさん。どの口がそんなことを言うのかしら?」


「すみれさん、なんで笑いながら答えてるのです……?」


 舞音まのんの言う通り、大崎はその口元に微笑みをたたえていた。言葉と表情がチグハグだ。



 おそらく、怒り顔を見せたら俺が緊張してしまうと言うことへの気遣いなんだろうけど、あの笑顔の中身が煮え繰り返ったはらわただと思うと、逆に怖い。


「さあ、テーブルについてちょうだい。平河くんはここね?」


「分かった」


 大崎の正面の席に案内される。


 俺がハーブティーを飲んでいる間、彼女を視界に入れるためだろう。


 咲穂のズルを考えれば、これに応じるくらいは贔屓ひいきにもならないだろう。


 大崎はティーポットから4つのカップにハーブティーを注いで、俺たちに差し出した。


 俺の分だけではなく、咲穂や舞音の分も準備してたらしい。


 と、そこで、咲穂が挙手する。


「ちょっと待って、大崎すみれ。これ、睡眠薬とか毒とか盛ってあるんじゃないかな?」


「そんなわけないでしょう。同じティーポットから出したものじゃない」


 大崎は、そう言って、自分の前にあるカップに口をつけてからこちらにカップを見せてくる。なるほど、少し減っているようだ。


「ほら、なんともないわ。というか、飲みたくないなら飲まなくて結構よ?」


「ほんとー? でも、真一しんいちのカップの底に塗ってるって言う可能性も……。ほら、真一のやつを飲んでよ」


「分かったわよ……ほら、これでいい?」


 言われた通り一口飲んだ大崎が呆れ目で咲穂にカップを見せた。


「まだダメ。カップのフチのどこか一箇所だけ塗ってなくて、他は全部塗られてるかもしれないもん。フチを全部舐めて?」


「疑り深いわね……」


 そして、大崎はそのなまめかしい舌で、つぅー……っと、フチを一周舐めてみせた。



「……かかったね?」



 そこで、咲穂がニヤリと意地悪な微笑みを浮かべる。


「はい?」


「ほおら、真一? それは、大崎すみれが口をつけたカップだよ?」


「あなた……!」


 そう、大崎も分かっていた通り、この対決において、色仕掛けはNGだ。


 色仕掛けとしてやったわけではなくとも、男子校の俺には刺激が強い。



「ひ、平河くんは、そんなの気にしないわよね?」


「あ、ああ。もちろん? 全然気にしてねえし?」


 そしてここで童貞・平河真一の悪い癖が発動する。


 気にしてるのに、なんか気にしてない感じ出しちゃうやつだ。


 うん、まあ、自分でも分かってはいるんだけど……。


「じゃ、じゃあ、飲んでちょうだい、ほら」


「ああ、ありが……熱っ!?」


「ご、ごめんなさい!」



 なんと、大崎は震える手を滑らせて、カップを転ばせて、俺の太ももにかけてしまう。


 煽りまくっていた咲穂もまさかこうなるとは思っていなかったようで、気の毒そうに俺を見る。舞音も同じような表情を浮かべていた。



 俺はその温度と共に、やっと思い出していた。



 容姿端麗、頭脳明晰の才色兼備を絵に描いたようなこの令嬢は実はドジっ子だった。



 ……いや、よく考えたら、いつもの言動の端端からも出ているわけだが。





 その後も、彼女はドジっ子令嬢っぷりを遺憾無く発揮していた。


 ズボンを濡らしてしまった俺は大崎の部屋を借りて、パジャマ用に持ってきていたズボンに着替える。(大崎が俺を閉じ込めたりしないように、咲穂と舞音も同伴だ)


 脱衣所から出ると、焦げたような匂いが鼻をつく。


「平河くん、これ、どうかしら? お香ってリラックス効果が高いらしいのよ」


「ずいぶん香ばしい匂いのお香だな? ……って、ちょっと、大崎、火!」


 ……なんと、お香を焚いていたベッドサイドテーブルが少し焼けていた。驚愕と恐怖で、おそらくマイナスポイント。




 極小の小火ぼや騒ぎを始末したあと、大崎はヨガマットを取り出した。


「ヨガとストレッチで、リラックス効果が高まるわ。……ちょっと、全然違うわ平河くん、もっと腰を落として脚を開いて……」


「痛い痛い痛い痛い!」


 痛みによる悶絶で再びマイナスポイント。


 そんなことをいくつか繰り返していると、咲穂と舞音は、もはや、


「これはやらせておいた方が大崎すみれが損をするんじゃ……」

「ですね……」


 と判断したらしく、自分たちの監視下で、しばらく好き放題させていた。




「はあ……。平河くん、お願い、マッサージをさせてちょうだい」

 失敗続きの大崎は相当追い詰められているのか、ついに、俺に『お願い』なんて似合わない言葉を使い始めた。どうやらこれが最後の矢らしい。


「ベッドにうつ伏せになってもらえるかしら?」


 俺も段々大崎が可哀想になってきてしまい、なんとかここで挽回できるといいよな……と、素直に従う。


 ただ、完全にうつ伏せにして顔を枕につけると息苦しい為、首だけ横を向けた。


 ……すると。


「真一の顔、好きだなあ……」


 咲穂がベッドに顎をつけてうっとりとした様子でこちらを見ていた。


 逆を見ると、


「お兄ちゃんの顔をこうしてまじまじと見るのは初めてですね……」


 舞音が小動物的な真顔で「ふむふむ……」とか言いながら俺を観察していた。


「なあ、大崎……」


「……言わないで、分かっているわ」


 つまり、大崎に背中のマッサージをしてもらってる間は、俺は大崎を見ることは出来ないため、このマッサージで分泌されたリラックスポイントは横で構えている2人に持っていかれてしまう。


 でも、それじゃダメなんだ。


 彼女たちからもらえるリラックス値を公平に知りたい俺からすると、こういった状態は歓迎されたものではない。


「平河くん?」


 だから俺は、枕に顔をうずめる。


「これなら、誰も見えてないだろ?」


「平河くん……!」


 モゴモゴと言っていると、マッサージをしてくれるその手に優しい強さが加わった。


 もうマッサージをしたところで俺に見えてないから加点もないのだが、彼女はそういうところは変に律儀だ。


 俺は、気持ちよくてうとうとしてしまう。そのまま眠りに落ちた。





「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」


 目が覚めると、いつの間にか仰向けになった俺の上に、舞音が馬乗りになっていた。


「……なんでそこにいて、俺の名前を呼んでるんだ?」


「古来より、お兄ちゃんに馬乗りになって起こすのが妹の役目かと」


「そんなこと実家にいた時にやってくれたことないよな?」


「…………ちょっとした冗談です」


 真顔で冗談言ったらわからないじゃん……。


「で、俺を呼んでたのは?」


「サブリミナル効果です。お兄ちゃんの夢に出てみたいな、と」


「そうですか……」


 ぼんやりとした答えを返していると、ドタドタという音が近づいてきた。


「ちょっと、舞音ちゃん! また抜け駆けして!」


「そうよ、舞音さん。あなた料理をほとんど手伝っていないのにそういうことばかりするのはどうかと思うわ」


「不可解です。マノンはお兄ちゃんを起こすという、古来よりの妹の役目を果たしただけです」


「そんなこと、実家にいた時にやったこと一回もないよね?」


 咲穂はなんでも知ってるな……とは、もはや怖くて言えなかった。





 夕食はカレーだった。3人で仲良く(?)作ってくれたらしい。寝てただけですみません……。


 さあ食べよう、とスプーンを持ったところで、俺の隣に座った咲穂が、俺の肩を叩く。


「ねえ、真一?」


 そちらを向くと、咲穂はカレーを載せたスプーンを俺に差し出していた。


「あーん♪」


「あーん……? なんで? 自分で食べれるけど……」


「もう、真一ったら、鈍感系幼馴染なんだからあ。これ食べてる間は、わたしを見て食べてくれるでしょ? たくさんリラックスして?」


「ちょっと待ってちょうだい、品川さん」


 ガタ、と大崎が立ち上がる。


「そういうことなら、3人それぞれに同じチャンスが与えられないと公平じゃないわ」


「すみれさんの理屈も、お兄ちゃんにあーんしたくて考えた咄嗟のでっち上げにしては、一理あるですよ。マノンもトライしたいです」


「と、咄嗟のでっち上げではないのだけれど……。まあ、いいわ。とにかく、私のスプーンからも食べてちょうだい」


 そういって、もう2人もスプーンを差し出す。……その時、咲穂がにやっと笑ったのは、気のせいではないだろう。


「仕方ないなあ、それじゃあ、公平にそれぞれのスプーンから食べてもらおうかあ。もぐもぐしてる間はその相手を視界に入れてね? 誰のスプーンから食べるのが一番リラックス出来るか、公平に測ってもらおう。いいよね、真一?」


「あ、ああ……」


 まあ、緊張状態でマイナスになる可能性もあるけど、そこも含めて公平ではあるか。


「平河くん、あ、あーん……」

「お兄ちゃん、どうぞ」

「じゃあ、真一。あーん♪」


 俺はそれぞれのスプーンからカレーをいただく。


 そして、咲穂のカレーを食べる時に、「なるほど」とつい口から漏れ出た。


「不可解です。お兄ちゃん、咲穂さんからもらった時だけ表情が違うですね……。咲穂さん、何かしたのです?」


「うん? もしかして、これのことかな?」


 咲穂は、テーブルの下、彼女の膝の上から、とあるものを取り出した。


「隠し味の味噌を、ほーんのちょっぴり、わたしの分にだけ入れただけだよ?」


「味噌なんて買い物メモにはなかったはずですが……」


「自分で持ってきてたんだよ? だって、隠さなきゃ、隠し味にはならないでしょ?」


「その準備の良さはなんだ……?」


「お兄ちゃんは、味噌がお好きでしたっけ」


 俺の疑問を遮るように、舞音が首をかしげる。


「……カレーの隠し味に味噌を入れるのは、俺の母親のオリジナルのレシピなんだ」


 にたぁっと誇らしげに笑う咲穂。



「2人とも、一介のストーカーの情報量を甘くみたね?」





 22時を迎えて、十条さんがログハウスにやってきた。


「いかがでしたか?」


「マノンはあまり結果を残せませんでした」


「結局私はミスばかりで、舞音さんも加点したタイミングがあったようには思えない。残念だけど、品川さんの勝利でしょうね」


「真一への愛の為せる業だね」


 咲穂はさりげなく俺の腕を抱く。


「そうですか、それでは、ポイントを発表いたします」


 十条さんが1人ずつ、ポイントを読み上げる。


「平河舞音様……マイナス200ポイント」


「マイナス、ですか」


 舞音は残念というよりは驚いたという感じで、こちらを見る。


「不可解です。お兄ちゃん、どこかでドキドキしてた……ですか?」


「……なんのことだろうな」


 義理とはいえ妹に抱きつかれて興奮したとは白状できない。


「次に、品川咲穂様……500ポイント」


「んふふ、わたしの愛からしたら全然だけどね?」


 勝ち誇ったような笑顔を浮かべて俺にもっと身を寄せてくる咲穂。


「……やれることはやったもの。仕方ないわ」


「そして、大崎すみれ様……」


 大崎が諦めたように小さく呟き、十条さんがそのポイントを発表する。





「1800ポイント」





「ほら、やっぱり大崎すみれはオワコンだって……せんはっぴゃく?」



「すみれさん、まさか……」



 2人が驚愕の表情を浮かべる中、


「……ほえ?」


 大崎が最も意外な驚き方をしていた。


 そして、十条さんが改めて結果を宣言した。


「ということで、勝者は、大崎すみれ様です」


「夢でも見ているようだわ……!」



 まあ、俺だけは、その結果の予想がついていたわけだが。

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