第19話:はじめてのおつかい

 無事スーパーにつくと、彼女は、買い物カゴを持つ俺についてくる。




「お兄ちゃん、歩くのが少し早いです」



「ああ、ごめん……」




 結局、じゃんけんに勝利したのは、舞音まのんだった。


 あの後、2人でじゃんけんを始めようとした咲穂さきほ大崎おおさきに、


『マノン、ここは絶対に勝ちたいのです。マノンはパーを出します』


 などと心理戦じみたことを仕掛けて、言った通りパーを出して1人勝ちしていた。裏の裏をかいた2人が負けたということだろうか。


「なあ、舞音はじゃんけんに参加しないみたいな流れじゃなかったか?」


「不可解です。そんなこと一言も言ってません。お兄ちゃんについていく方が不利だと言っただけです」


「お兄ちゃんについていく方が不利だって言ったんじゃん……」


 何が違うんだよ。


「そもそも、マノンが、すみれさんか咲穂さんのどちらかとふたりきりで一つ屋根の下にいるという状況に耐えられるはずないと思いませんか」


「やっぱり、女子同士って仲悪いのか?」


「もちろん仲良くはありませんが、そういうことではなくて、マノンがふたりきりになれる相手は、お兄ちゃんだけです」


 舞音は、拗ねたように唇をとがらせて言う。


「それに、マノンはどうしても、他人に邪魔されない、お兄ちゃんとふたりきりの時間が欲しかったのですよ」


「お、おう……」


 結構なことを言ってる気がするのだが、舞音は相変わらず淡白な表情だ。言葉の表面だけ受け取ると俺のこと好きみたいなんだけどな……。


「不可解です。顔を赤くして、どうしたのです? 何かは分かりませんが、いずれにせよマイナスポイントになるのでこっちを見ないでください」


「好かれてるんだか嫌われてるんだかよく分かんないな……」


「他人に邪魔されない、お兄ちゃんとふたりきりの時間が欲しかっただけです。何度も言わせないで欲しいです」


「分かったよ……」


 ……まあ、邪魔されないで、というところが叶うかは不明だが。


「それで、何を買うのです?」


「ああ」


 俺は2枚の紙を取り出した。


 不公平が生じないように、買うものは2人分のメモを預かった上で、俺が責任を持って全てを必ず買うと言うことになっている。


 舞音に任せたら、買ってこないとか、カゴに入れたものを抜くとかする可能性があるからだ。



 大崎のメモは至って普通の白い紙に書かれていたが、咲穂のメモは……。


「不可解です。よくこんなものを渡してきますね……」


 それを見て、舞音が顔をしかめる。




 なぜなら、咲穂のメモは、彼女自身の自撮り写真の余白に書かれていた。




 どうやら十条さんとの会話にあった『写真や動画でも視界に入っていることになる』という法則を利用し、買い物中に同行した舞音ではなく自分を俺の視界に入れさせてポイントを加算しようという作戦のようだった。


「どうして咲穂さんは自分の写真なんか持ち歩いていたのですか。自分大好きさんなのでしょうか」


「あー……咲穂と俺の一番直近でのツーショットなんだと」


「ツーショット……? この写真のどこにお兄ちゃんが……うわっ」


 写真の中に俺を見つけたらしい舞音が似合わない声をあげる。


 それもそのはず、俺は後ろの方にかなり小さく写っているだけだ。


 動物園で写真を撮る時に全然近くに寄ってきてくれない動物でも、もう少しくらいは近い。自分で言うのもなんだけど。


「盗撮じゃないですか……」


「まあな……」


 はあ、とため息を吐いて、また歩き出す。




 それにしても、こうやって2人でスーパーを歩いてると……。


「それにしても、こうやって2人でスーパーを歩いてると、」




 俺の胸中と全く同じことを舞音が言うので、少し吹き出す。


「舞音もそう思ったか」


「ん。お兄ちゃんも思ったですか?」


「ああ」


 そして、舞音と俺は、同時につぶやく。




兄妹きょうだいって感じがするな」

「夫婦みたいですね」





 え?


 俺が驚いていると、舞音がかぁ……と頬を染めていた。


「舞音、えっと……」


「不可解です。デリカシーというものがないのですか、お兄ちゃんには」


 つん、と、今度は年頃の女の子らしい表情で、舞音はそっぽを向いてしまった。





「ソーセージいかがですか?」


 ねた舞音と連れ立って少し歩いていると、販売員のお姉さんに声をかけられる。


「もちろんいただきます」


「お兄ちゃんは貧乏性ですね、買い物リストにはないですよ……?」


 前のめりに手を差し出すと、小3以降、裕福な家庭で育てられている妹に呆れた目で見られる。


 悪いか。タダで食わせてもらえるものは食べておくべきだ。


 俺はお姉さんから爪楊枝に刺さったソーセージを受け取って口に放り込むと、ぷりっとした弾力と、その中から熱々の肉汁が飛び出してきた。


「うまっ……!」


「わあー……!」


 俺がつい頬をほころばせると、お姉さんが感嘆の声をあげる。


「美味しそうに召し上がりますね! 自分、焼いただけですけど嬉しくなっちゃいます!」


 お姉さん、にこにこだ。


「なんだか、お兄さんってご飯作ってあげたくなっちゃうお顔ですね!」


 ガタン! と少し遠くで何かが落ちるような音がすると同時、舞音が少し背伸びして、


「……この人、なんだか泥棒猫の匂いがするです」


 と俺の耳元で囁く。


「彼女さんもいかがですか? ソーセージ」


「…………」


 舞音は黙ったままじっとお姉さんを見ながら、俺の後ろに隠れてしまう。猫か。


 舞音の知らない相手と話すことを極端に嫌がる癖はまだ治っていないらしい。


「シャイな彼女さんですね? 彼氏さんにべったり! 可愛いです!」


「えっと、こいつは彼女ってわけでは……」


「あら、失礼しました! 奥様でしたか!」


 俺が訂正を試みるも、お姉さんは勘違いを加速させていく。


 年齢的にも服装的にもそんなわけないだろと思うものの、お姉さんの誤解を解く意味もないので、ごまかすような笑を浮かべながら、とりあえず、そこから離れた。


「末長くお幸せに〜!」


 朗らかすぎて心配になるお姉さんだ。ソーセージ買ってないのに。





「なんかすごい人だったな……」


 言いながら舞音を見ると、


「ええ、まあ、そうでしょうね」


 とか言いながらコクコクうなずいていた。


 心なしか口角が上がっているようにも見える。


「どうした、舞音?」


「やっぱり、兄妹には見えないそうですよ」


「……まあ、そりゃそうか」


 似てないもんな、俺たち。血のつながりはないし。



「見どころのある泥棒猫さんでした」



 そう言って、舞音は珍しく「うふふ」と微笑んだ。






 買い物を終えて外に出ると、突如、舞音が後ろから抱きしめてくる。


「舞音……?」


「マノンは、この時をずっと待っていたのです。お兄ちゃん、」


 背後で、背伸びをする気配がして。


「ふたりきりで話したいことが、あるのです」


 と、そんな囁き声が耳朶じだをくすぐる。


「今か?」


「ええ。帰る前に、ふたりきりで」


「ああ……」


 ふたりきりといえば、これまでもふたりきりではあった。でも、店の中じゃダメということは、おそらく、舞音が求めているのは本当のふたりきりなのだろう。


 だとするならば。


「……今、ふたりきりじゃないと思うぞ?」


「え?」


 戸惑う舞音に追加で伝える。


「舞音、そのまま、俺に抱きついていてくれ」


「はい……?」


 俺の気持ち悪い注文に声をしかめた舞音は、そろり、と俺の左胸に右手を伸ばした。


「心拍数が上がっています。ドキドキしてるですか……? でも、不可解です。マノンにマイナスポイントを入れようとしてるですか? そうならないように、こちらを見られないように、後ろから抱きついているので無駄ですよ」


 鼓動を確かめ終えた手を離そうとするので、その手首を俺は掴んで戻す。


「違う、そうじゃない。そのままだ。今、召喚するから」


「召喚? 一体何を……?」


 俺はポケットから例のメモ——つまり咲穂の写真を取り出し、視界に入れる。



 すると、同時。


「真一、今はダメ!」


 少し離れた物陰から、品川咲穂が飛び出てきた。







「もう、真一ってば意地悪だなあ。あんなことされたら、わたしにマイナスポイント入っちゃうじゃん。ダメだよー?」


 店の外のベンチに座った咲穂はこちらを見上げながら、悪びれるどころか俺を注意してくる。


「それにしても、わたしがいるって、いつから気づいてたのかな?」


「ここに来る前から予測はついてた。自転車でここまでくるのは大変じゃなかったか?」


「電動アシスト付きだったから、まあ……。っていうか、そこまで分かってたんだ!?」


「ちょっと待ってください、不可解です。マノン、何が何だか……」


 珍しく戸惑った様子の舞音が顔をしかめるので、俺は説明する。


「ログハウスには、バイクだけじゃなくて、自転車も置いてあったんだ。それを咲穂は隠蔽して、俺と舞音がスーパーに行ったあと、自分は自転車で追ってきた。で、じーっと俺たちをつけていたってわけだ」


「ええ、そうなのですか……?」


「なんだ、真一、自転車見つけてたんだ? 入り口からは死角にあったから、わたしは到着した時には気づかなかったんだけど……。ずるいなあ、言ってよ」


「いや、見てはないよ。ていうか『ずるいなあ』ってどの口が言ってるんだ」


 咲穂は俺のツッコミを無視して目を見開く。


「見てないの? じゃ、どうして……?」


「咲穂はみんなでログハウスを見た時、『バイクが一台あるだけだった』って言っただろ? その言い方に違和感を感じたんだ」


「何か変です?」


 舞音は首をかしげる。


「普通、何もないと思うところにバイクがあったなら『バイクがあったよ』だろ。『バイクが一台あるだけだった』なんて、他には何もないって強調するみたいな言い方はしないはずだ。だから、他にも乗り物があるんだと思った。で、咲穂は免許を持ってないから、隠そうと思ったなら、自転車しかない」


「……なるほど。舞音さんは、それで私たちの後をつけようと思った、と。そこまでは分かりました」


 舞音の眉間のしわはまだ取れない。


「でも、不可解です。何のためにそんなことするのです? 後をつけるメリットがないはずです。姿を表す気がないなら、ポイントの増減はありませんし……」


「それなんだよな……」


 そこは、舞音のいう通りだ。今回の勝負は、近くにいたらポイントが加わるものでもないのだから、わざわざついてくる理由がない。俺にも理解出来ない部分だ。


「どうしてです? 咲穂さん?」


「そんなの当たり前の常識だよ?」


 でも、咲穂は『逆にその質問の意味が分からない』というくらいの顔をして言う。




「そこに、真一がいるからだよ?」




「咲穂さんのストーカーの動機は登山家のそれと同じなのですね……」



 ……本当に、俺にも理解出来ない部分だ。

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