第14話:カノジョの内側

「……最悪ぅ」


 1時間ほど経っても、まだ俺たちは閉じ込められた状態になっていた。


 あの後、扉を叩いたり大声を出したりしてみたものの、どうやらかなり分厚い扉になっているらしく、外に届いている様子はなかった。


 そもそも俺と莉亜りあの他には、数十人のスタッフと十条じゅうじょうさんと神田かんだとユウしかいないのだ。


 通常営業時ならばいざ知らず、貸切状態で、こんなどん詰まりの場所にわざわざスタッフが来るとも思えない。



 どうやら、この扉は内側からは開かない構造になっていたらしい。


 ただ、入ってくるときには外からは開けられたわけだから、きっと、今も同じように外の誰かが気付いてくれたら助けてもらえるはずだ。


 ていうか、そう願うしかない。


「暑すぎるぅ……」


「そうだな……」


 今は8月。


 空調は本部的なところで管理をしているのか、使っていない楽屋は蒸し風呂状態になっていた。


 さっきまでつんけんした態度を取っていた莉亜も暑さには勝てないのか、机につっぷしてぐたーっとしていた。


 汗だくのシャツに下着が透けていて、俺はそっと視線を逃がす。


「俺たち、このままここで死ぬのかもな」


「嘘だろぉ……」


 この非常時になっても甘ったるい語尾は変わらないところを見ると、これは素の部分らしい。


 ……ちょっとだけ粗暴な口調になった莉亜に不覚にも若干萌えてしまった。逆のギャップ萌えってやつか。


 俺はスマホを取り出して、これ見よがしに画面をタップする。


「何してるのぉ? SIMは入ってないから誰とも連絡取れないよぉ? 頭おかしくなったのぉ? 馬鹿なのぉ?」


 前言撤回。言い過ぎだよ、この人。


 まあ、そこに食いつく素直さはありがたくはあるが。


「遺書を書いてるんだよ」


「……遺書ぉ?」


 俺はうなずく。


「俺が死んでも、遺書があれば、その……伝えたかった気持ちとか伝わるだろ。莉亜はないのか? 遺しておきたい言葉とか、その相手とか」


「りぃは、……え、書いておいた方がいいかなぁ?」


「別に脱出出来たら消せばいいだけだし。遺らない方が怖くないか?」


「まぁ、そぉかも。りぃも書こっと……」


 莉亜はまたしても素直に、電波の繋がらないスマホに打ち込み始める。


「何を書くんだ? 『先立つ不幸をお許しください』って?」


「はぁ? そんなこと書いてどうすんのぉ?」


 心の底からの『はぁ?』いただきました。


「そうじゃなくて、りぃの稼いだお金がちゃんと、本物の家族にだけ遺るようにって」


「本物の家族……?」


「……なんでもない。暑くて変なこといっただけぇ」


 話しすぎた、と判断したらしい。莉亜はため息をついて押し黙る。


「莉亜。それならスマホじゃダメだ」


「へ?」


 俺は遺産相続の基本的なところを説明する。


「俺がさっき言ってたのは『遺書』だが、遺産相続の指示をするのは『遺言書』だ。これは似てるようで全然違う。『遺書』には法的効力はない。そして、『遺言書』は、自筆、つまり、手書きじゃないとダメなんだよ」


「えぇ……! じゃあ、りぃが今死んだら、りぃの稼いできたお金はどこに行くの?」


「そりゃ、まあ、家族に行くだろうな」


「……家族って? 一緒に暮らしてる人って意味だよね?」


 莉亜の声が1トーン落ちる。


「いや、一緒に暮らしてるかどうかは関係ない。血が繋がってる両親だな。もし兄弟姉妹がいても、そっちにはいかない」


「……そんなの、絶対無理」


 莉亜が冷たい言葉を吐き捨てる。


「どうしたらいいのぉ?」


「紙とペンと印鑑がないとダメだ。だから、ここじゃ遺言書は書けない」


「最悪……! なんとかしてよぉ……! りぃ、なんのためにアイドル頑張ってたのかわかんなくなっちゃう……!!」


 必死に俺の胸元を握って揺さぶる莉亜の顔を見てようやく俺は彼女の本質に触れられた気がした。……ここを押せば、もしかしたら。


「じゃあ、遺言書を書く方法を考えるから、莉亜の事情を詳しく教えてくれ」


「本当に、協力してくれるんだよねぇ?」


「ああ、もちろんだ」


 ……よし。俺は心の中でガッツポーズを取る。





「あんまり重く受け取らないで欲しいんだけどぉ……りぃには、父親がいないんだぁ。いないっていうか、いなくなっちゃったの。社長さんをしていた会社が倒産しちゃって……蒸発っていうのかなぁ?」


「そうか」


 なるべく、なんてことないことのように返す。


 俺も母親を早くに亡くしたから、こういう話をするのが億劫になるのは分かる。



 話したくないと言うよりは、自分が『普通』だと思っている状況に対して、過度な同情をされるのが怖い。その覚悟を固めるのに精神がすり減るのだ。


「で、ママと妹の彩芽あやめちゃんとの3人暮らしなのね? ママはりぃと彩芽ちゃんを養うためにパートさんとして働き始めたんだけど、りぃは、なるべく早く自分でお金を稼ぐやり方がないかって考えたの」


「それが、アイドルってことか」


「そぉいうこと」


 莉亜は、「まぁ、といっても」と続ける。


「普通、アイドルって養成所に通ったりするのに、むしろお金がかかったりするもので、お金持ちの娘がなることが多いんだけどねぇ。春プリのみんなも、お金持ちの子供だったよぉ。もちろんみんな良い子ばっかりだったけど」


 春プリというのは、莉亜がセンターを務めていたアイドルグループ『春めくプリーツ』の略称だ。


「そうなのか? じゃあ、アイドルになるのって大変だったんじゃないか?」


「りぃには、ママからもらったこの素材があるから」


 彼女は茶化すように胸を張るわけでもなく、至って真面目な顔で、事実を淡々と告げているだけという感じで口にした。


 素材。それはおそらく、顔だけではなく、スタイルや声なども含めた、莉亜に備わった先天的な特長のことを指すのだろう。


「だったら、あとはそれを活かせばいいだけ、でしょぉ?」


「それにも、血の滲むような努力があるんじゃないのか」


「それはそうだけど、家族を養うためだからなぁ」


 莉亜は、大人っぽい微笑みを浮かべる。


 ……『家族を養う』と、15歳の少女はそう言った。


「……つまり、それがこの恋愛留学に参加した理由ってことか」


「……そぉいうこと」


 莉亜は想像以上にあっさりと認めた。


「アイドルって、水物だからさぁ。いつまで現役でいられるかは分からないっていうか。でも、普通のお仕事の定年はまだまだ先でしょぉ? みんなよりも稼げない時期が4、50年多くなっちゃうかもしれない。アイドル自体に稼いだ貯金でそんなに長い間生きてくのは無理だよぉ」


「かといって、俺といたら将来安泰ってわけでもないだろ。経営で大失敗するかもしれないし。それこそ……」


 俺は少し言うのをためらって、結局その先を口にする。


「……莉亜のお父さんみたいな」


「分かってるよ。でも、それは、りぃにはあまり関係ないんだよねぇ」


「関係ない?」


 予想外の言葉に、俺は首をかしげる。


「このタイミングで婚約までできれば、りぃが大学に行くためのお金を援助してもらえると思うんだぁ。そしたら、自立して生きていく力をつけられるでしょぉ?」


 あどけなさの奥深くに聡明さを感じさせる表情で、




「りぃは、自分でお金を稼げるようになりたい」




 と付け加えた。



「そこまで考えてるのか……」


「それしか考えてないよぉ。だから、高校のうちに婚約したいんだぁ。逆に、今、婚約出来ないなら、意味ないって思うくらい。……それが、りぃがこの留学に参加した理由」


「……そっか」


 莉亜は、「あーぁ、言っちゃったぁ」と苦笑いを浮かべる。


「どうして初めにそう話してくれなかったんだ?」


「真一くんは、お金のために自分に近づいてきた人を選んでくれるのぉ?」


 そんなわけないでしょ、と乾き笑いを浮かべる莉亜に、俺は、率直な感想を述べる。


「お金のために結ぶ契約関係の何が悪い?」


「……へ?」


 俺の回答が心底意外だったらしく、目を丸くする莉亜。


「そもそもビジネスってそういうもんだろ。俺だって自分で暮らすためのお金を自分で稼いで暮らしているから、お金の大切さは分かってるつもりだ。でも、通ってるのは私立高校だからな。蛇口をひねったら出てくるように金を使う同級生を見て何回も歯噛みしたさ」


 ほけーっとしている莉亜に続ける。


「俺の場合、生まれてから中学までの教育を受けた環境が恵まれてるのは事実だ。地頭が良い自覚もある。莉亜がいうところの素材だな。それを武器にして戦ってる自覚もある。でも、だからこそ、自分の武器に出来るものを全部使ってちゃんと稼いでる莉亜のことを、心底尊敬できると思ったよ」


「そぉ、思うの……?」


「ああ、」


 うなずきを返す。これは、俺の本心だ。


「莉亜は、めちゃくちゃかっこいいなって思った」


「真一、くん……!」


 莉亜は目を見開いて俺の名前を呼んでから、何かを振り切るみたいに首を横に振る。



「べ、別にぃ? そんなのじゃ、りぃ、なんとも思わないよぉ? りぃは日本一のアイドルだもん、そんなにちょろくないもん……! た、ただ、『可愛い』って言われることはたくさんだけど、『かっこいい』はあんまり言われないからちょっとびっくりしただけっていうかぁ……」



 とかなんとかぶつぶつ呟きはじめた。


 いや、思わぬ反応に俺の方がびっくりしてるんだけど……。


「……と、とにかく! だから、りぃのお金が、あの男の借金の返済とかにあてられないよぉに、ちゃんとママと妹だけに遺産がいくようにして欲しいの。出来る?」


「いや、出来ないな」


「えぇ!? 今の話なんだったのぉ!?」



 俺の即答に、莉亜が表情を一転させて目を剥く。


「言っただろ? 紙とペンとハンコがないと、遺言書は作れないんだって」


「今、なんとかしてくれると思ったから全部話したのにぃ……! 最悪ぅ……!」


 涙目で睨みつけてくる莉亜。


「まあ、はじめから、遺言書なんか書く必要はないんだよ」


 俺はそっと立ち上がる。


 そして、自分史上一番かっこよく微笑んで告げた。


「莉亜。俺の上に乗ってくれないか?」


「はぁ!? キモいよぉ!?」


 辛辣しんらつ!!


 傷つきながらも俺は、ポケットから取り出したライターを莉亜に差し出す。


「ライターの付け方、分かるか?」


「分かるけど? なんで? このバカみたいに暑いのに火を点けるとか正気ぃ? 暑さで頭やられたんじゃない? 何するつもり? ていうか持ち歩いてるのぉ? 喫煙者じゃないよねぇ? りぃ、父親だった人がタバコ吸ってたから、喫煙者大っ嫌いなんだけどぉ」


 こわいこわい、めっちゃ怒ってるじゃん。さっき一瞬ちょろくなってた莉亜、帰ってきてくれ。


「喫煙者じゃねえよ。20歳になってないし。こんなこともあろうかと、さっき売店で買ったんだ」


「こんなことって……?」


「閉じ込められること」


「はぁ……?」


 俺が想定していたのは、莉亜に閉じ込められることで、莉亜も一緒に閉じ込められるとは思っていなかったが。


「なんか何言ってるのか分からなくて怖いんだけどぉ……? どういうこと?」


「ここで、火事を起こす」


 俺は天井を指差す。そこには、火災報知器とスプリンクラーが付いていた。


「火事が起こったとなったら、さすがにどこかにそれが知らされて、救助がくるはずだ」


「なるほど……えぇ、早く言ってよ!?」


「莉亜と腹を割って話したかったから」


 俺が再度かっこいい笑顔で言うと、莉亜は俺のすねを蹴り、


「りぃ、トイレ、めっちゃ我慢してるんだけどぉ!?」


 と、涙目で叫ぶ。それはごめん……。




 俺がしゃがむと、莉亜がそっと肩に乗ってくる。


「うわぁ、真一くんの頭、汗で滑るぅ……!」


「俺も頬が莉亜の汗で気持ち悪いからお互い様だ……」


「はぁ? りぃの太ももの汗だよぉ? ご褒美じゃない? 飲めばぁ?」


「おいアイドル……」


 正確には、元アイドルか。



「これで上手くいかなかったらマジで殺すからねぇ?」


「これで上手くいかなかったらどうせ死ぬ」



 莉亜の太ももに挟まれたまま死ぬなら本望だ、というやつがこの世界にはどれくらいいるんだろう。俺は違うけどな。本当だよ?


「いくよぉ……!」


「ああ」


 莉亜がライターに火を点けて、スプリンクラーのあたりに近づける。


 数秒後。




 ジリリリリリリリリ!!




 けたたましい音と共に、天井からシャワー状の水が降り注ぐ。


「うわ、ちょっと、すごい勢い!? 真一くん、早く下ろして!?」


「お、おう……!」


 俺の肩から下りた莉亜が両手を広げて水を一心に受けていた。


「あはは! めっちゃ気持ちいい!」


「……そうだな」


 水飛沫みずしぶきの向こうにあるその笑顔がもし偽物だったら、流石にちょっと傷つくな。


「何にやけてんのぉ!? 真一くんのせいだからねぇ!?」


「俺のせいではないだろ、絶対」


「いや、真一くんのせいだから! でも、」


 莉亜はその素っぽいままの笑顔で続ける。


「……ちょっとだけ、スッキリしたかも♡」


「そうかよ」


 ま、俺もいいものを見せてもらったかもしれない。


「……あ、真一くん、どうしよう。水浴びたら、やばいかも」


「は? 何?」


 そう言われて彼女を見ると、





「スッキリしちゃいそう……!」


「…………え?」





 俺が目を見開いた次の瞬間、ドアが開く。


「ちょっと、シン、大丈夫!? ……ってなによこの状況は!?」


「おー、平河と目黒、今度こそお楽しみ中だった?」


失敬しっけぃ!!」


 その脇をやけにおじさんみたいな言葉を叫びながら、莉亜は飛び出していった。



 ……間に合いますように。

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