第8話:6人目 大崎すみれ

 いよいよ最後の1人。


 チャペルの入り口に、顔を伏せた紫色のドレス姿が現れた瞬間、『ガラスのように綺麗だ』だなんてポエムが、俺の無粋な頭に一瞬だけよぎる。


 一瞬だけだったのは、彼女の美しさが瞬時に失われてしまったからでは決してなく、その直後、上げたその顔が、それこそガラスの破片のように、俺の脳髄に直接刺さってきたからだ。


 硬直して、そのくせ手が震えてしまう俺の前に立った彼女は、優雅にお辞儀をすると、


「こんにちは。久しぶりね、平河ひらかわくん」


 あの日と変わらない作り物めいた笑みを浮かべた。


大崎おおさき……?」


 大崎すみれ、高校3年生、18歳。


 彼女は国内最大手の通信事業者・大崎ホールディングスの社長令嬢であり。


 ——そして、俺の元カノだった。


 いや、結果からするとそこに恋愛感情など存在しなかったのだろうから、その呼び方が正しいのかは分からない。


 ただ、知り合いと呼ぶには因縁深いし、友達と呼べるほど穏やかな関係ではない。どうにか表す言葉を探した結果、元カノという言い方しか見つからないのは事実だ。


 いや、もはや間柄の呼び方なんてどうでもいい。


 とにかく、あの日突然俺の前から忽然こつぜんと姿を消したカノジョが、またしても突然、目の前に現れていた。


「どうして、ここに……?」


「そんなの決まっているじゃない。あなたが、ヒラカワグループの後を継ぐと決めたようだから」


「後を継ぐわけじゃない。取り戻すんだ」


「……強情なプライドは変わらないのね。結果は同じことじゃない」


 少し間があって、そう返事がきた。


 相変わらず鉤爪みたいな言葉で引っ掻いてくるやつだ。


 昔はこれがいわゆるツンデレ的な感情表現の一つだと本気で思っていたのだから、当時の自分を殴ってやりたい。


 ……いや? そうか?


「ていうか、俺がヒラカワの社長になれる前提で話をするんだな? 俺は子会社ヴェリテの社長になるだけだけど?」


「あっ」


 あっ?


「ヒラカワグループに所属する会社の社長になることは変わらないわ。それに、私を選びさえすれば、大崎ホールディングスはあなたをバックアップすることが出来る。その結果、あなたはきっとヒラカワの社長にもなれる。それだけの話よ」


「ああ、うん……。なあ、今、『あっ』って言わなかったか?」


「なんの話、かしら……?」


 目を細めて俺を睨む。この人、本気でとぼけてる……!?


「まあいいや……。とりあえず、俺の立場に興味があって参加したってことだな?」


「ええ、そうよ。他に何があるというのかしら?」


「そうか」


 なるほど。だとしたら、それがそもそも3年前に俺に近づいた理由でもあったんだろう。


 ……それだって、当然と言えば当然だ。


 呆れたような諦めたような、そんな気持ちで彼女を見ると、大崎の吊り目は俺をじっとみて、きゅっと身体を強ばらせているように見えた。


「……どう思う?」


 そして、謎の質問が飛んでくる。


「どう思うって? 何を?」


「私の参加動機を、に決まってるでしょう? 文脈を読む力がないのね、かわいそうに。机にかじりつくことで国語の偏差値はあげられても、コミュニケーション能力は人との生の会話からしか得られない能力だものね。仕方ないわ」


「すごい言ってくるじゃん……」


 たしかに俺には友達がいない。『必要最低限の人脈』の中に一度はこの憎まれ口を叩く女子を入れたこともあったが、それすら失敗だったのだから仕方ない。


「まだ間に合うわ。これからの人生で、たくさん私と会話しましょう。そしたら自ずと力は付くわよ」


「え?」


「何かしら?」


 大崎は俺をまた睨む。


「いや、『これからの人生』とか『たくさん私と』とか言うから……」


「あっ」


 あっ?


「あなたの立場にしか興味のない私だけれど、一応あなたと結婚をすることを目的に来てはいるのよ。配偶者であるあなたのコミュニケーション能力が欠如していては、私に見る目がないと思われるでしょう? それだけのことだわ」


「ああ、うん……。なあ、また『あっ』って言っただろ?」


「あなた、熱でもあるんじゃないかしら……? 極度の緊張で空耳でも聞こえた?」


「またごまかそうとしてるし……」


 そんなんだとまるで……と、あらぬ疑いをかけそうになる。


 ……いや、そんな期待こそが、自分の枷になるのだ。


 俺は彼女にも分からない程度に小さく首を横に振り、甘ったるい期待を振り払った。


「……平河くん。その……」


 大崎はこれで緊張しているのか、胸元を押さえて俺に上目遣いで何かを言いかけるが、


「ん?」


「……なんでもないわ。また、お話ししましょう」


 と、目を伏せた。


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