第2話:恋愛留学への招待状

真一しんいち。『真実の愛』っていうのは、『利害が一致している間柄』のことを言うの」


 彼女は病院のベッドの上で、こちらを見ながらそう口にする。


「『顔が好き』とか『性格が合う』なんていうのは、いつ壊れるか分からない絆、いつくつがえるか分からない感情だわ。外見や性格なんて、明日には変わってるかもしれないし、自分の好みだって未来みらい永劫えいごう同じとは限らないでしょう?」


 くつがえる。みらいえいごう。


「それは『恋』ではあるかもしれないけど、『愛』ではないの。恋の魔法なんて、ある日突然解けてしまうものなんだから」


 こいのまほう。


「でもね、利害が一致している相手とは、強固な絆で結ばれてる。だって、利害が一致してるってことは、相手に利することは自分を利するし、相手を害することが、自分を害することになるんだもの」


 りがいが、いっち。


「誰しも、自分を利することは進んでするし、自分を害することはなるべくしないものでしょう?」


 先ほどから、小学生相手にする話にしては、少々難解じゃないだろうか。


「……うん」


 それでも、その内容をどうにか理解出来ている利口な声が頷きを返す。


「だから、真一には、そんな人と……真実の愛を結べる相手と結婚して欲しいの。そしたらきっと、あなたは幸せになれる。それが、ママの願いよ」


「でも……じゃあ、お母さんは、僕のことも、お父さんのことも、愛してないの?」


 その質問に、彼女は困ったように眉をひそめる。


「どうしてそんな風に思うの?」


「だって僕たちはお母さんに何もしてあげられない。病気も治してあげられない」


 そう言いながら、か弱い子供は泣き出してしまう。


 ぼやけた視界の中、抱き締められた感触が伝わってくる。


 そして、彼女は泣きそうな声で笑って、こう言うのだ。


「何言ってるの。利害、一致しまくりよ。だってね——」





「……はっ」


 まぶたを開くと、見慣れた天井のシミが今日も俺を迎えた。


「またあの夢か……」


 4畳半の部屋の隅っこ、布団の上で起き上がり、着ていたTシャツの裾で汗を拭う。


 俺は、頻繁にこの時のことを夢に見る。


 それは10年前、俺が7歳の頃——母・平河ひらかわかえでが他界するほんの少しだけ前のことだ。


 俺は確かにその言葉の先を聞いたはずなのに、泣きじゃくりすぎたせいか、まったく覚えていない。


 それでもその答えを知りたいという潜在意識が「どうにかして思い出せ」と、俺にこの夢を見せ続けているのだろうか。


 冷たい水で顔を洗って、朝食にパンの耳をかじる。


 バイト先のパン屋で、サンドイッチのために切り落としたものをもらえるのだ。


 こんなに美味しいものが従業員とはいえ無料で頂けるなんて、この国は豊かだと再確認する。


 普段はこの後、見切り品炒め(消費期限ギリギリや見た目が悪くスーパーで安売りされている野菜を塩胡椒と醤油で炒めたもの)を調理してお弁当箱に詰めていくのだが、今日は昼休みがないから必要がない。


 制服に着替えて家を出る。


 今日は一学期の終業式。外は朝からすごい熱気だ。





 東京都武蔵野むさしの市にある私立男子校・万智ばんち高校。


 登校して教室のドアをくぐると、俺の席に座ったクラスメイトが、俺の後ろの席で突っ伏している男子の肩を慰めるように叩いていた。


「なあ、いい加減泣きやめよ、男なのにみっともねえぞ?」


「うっせえよ。推しのアイドルの卒業を悲しむ気持ちに男とか女とか関係ないだろ……。あぁ、りぃちゃん……どうして電撃卒業なんてしちゃったんだよう……!」


目黒めぐろ莉亜りあが引退かー。不祥事とかじゃないんだろ? 人気絶頂で稼ぎどきだろうに不思議だよなー。ま、逆に伝説になった感じもあるけど」


 どうやら俺の後ろの席の男子が、推しのアイドルの引退が決まって泣いているらしい。


 俺が席のところまで行くと水を差してしまうだろう。とはいえ他に居場所なんかないしな……。どうしようかと思案をしつつも、ゆっくり席に近付く。


「昨日は、女優の神田かんだ玲央奈れおなが留学で活動休止だってのも言ってたし、ショックなニュースが続くよなあ。オレ、神田玲央奈は子役女優の頃から推してたのになあ」


 俺の席に座っている方の男子がそんなことを言いながらスマホをいじり、「って、まじかよ!」と、目を見開く。


「おい、これ見ろよ」


「なんだよ……?」


「YouTuberの渋谷しぶやユウも活動休止だって!」


「まじかよ……日本の芸能界、どうなってんだよ……!」


 色々な芸能人の引退やら活動休止やらが立て続けに発表されているようだが、それよりも、俺にとって目下の問題は、今、俺が自分の席の前に着いてしまったということだ。


 俺は小さく喉を鳴らす。なるべく怖がらせないように、なるべく優しい声音を意識して。


「おはよう、そこ、俺の……」


「「し、しし失礼しました、平河ひらかわさん!!」」


 同級生2人は声を揃えて一様に顔を青ざめさせる。


「ああ、いや……」


 ……必要最低限の友達しか要らないが、別に嫌われたいわけではないんだけどな。


 俺はまた父親のことを思い出して、同時に、自分の夢を改めて自覚するのだった。





 終業式を終えて、オール10の通信簿を受け取り、家路につく。


 これで来学期も学費の完全免除がかなった。気を抜くわけにはいかないが、ほんの少しだけ肩の荷が下りたような心地になる。


 帰ったら見切り品炒めを作ってまた精をつけなければ。


「……それで、『原因不明の苦学生ぼっち』か」


 ふと、昨日咲穂さきほに言われた言葉を思い出し、俺はそっとため息をつく。



 俺が勉強漬けの貧乏生活をしているのには理由がある。


 一言で言うと、俺は、父親の力を借りずに父親の経営する会社・ヒラカワグループを乗っ取りたいのだ。

 



 父・平河ひらかわ真之助しんのすけとの不仲(向こうはそうとも思っていないだろうけど)は、生まれてからずっとではない。むしろ、昔は父親のことを心から尊敬していた。


 忙しく飛び回っていた父にはほとんど会う機会がなかったが、その代わり、グループの社員に俺は可愛がられていた。彼らは口々に言う。


真一しんいち君のお父さんは、本当に立派な人だよ。2代目があの人じゃなければ、ヒラカワグループはこんなに大きくならなかったよ」


 父が褒められるのが、愛されるのが、子供ながらに誇らしかった。


 そんな父が豹変したのは、母が亡くなった頃だったと思う。


 あの頃から彼は、恐怖政治で社内外を支配するようになった。


「繁忙期に有給申請を提出した社員に憤って地方に左遷させんした」

「出張中、自分に口答えした管理職を即解雇すると脅迫した」

「何があっても自分に逆らわないという誓約書にサインした人間だけの部署を作り、特別待遇をしている」

 ……等々、彼の恐怖政治を物語るエピソードは枚挙にいとまがない。


 最近では闇社会ともつながりを持っているという噂まである。週刊誌は毎月のように彼の動向を取り上げ、彼の悪評は日本国民全体に広がっていった。


 そして、とばっちりを食らったのが、息子である俺だ。


 息子に逆らったら、父親から何をされるか分かったものじゃない、と恐れおののかれ、避けられる人生だった。


 中2の冬。国際電話で、ほんの1分だけ、父と話す機会を得た。


 その時に俺は単刀直入に告げたのだ。


「お父さん。俺は、この家を出ます」


 同時に、俺は決意していた。


 父親の恐怖政治で稼いだお金の世話にならずにヒラカワグループの社長になる。


 そして、一刻も早く、あの日のヒラカワグループを取り戻すのだ、と。




 野望の一番初めのハードルは、父親の扶養から抜け出すことだった。


 そのためには、月収11万円以上を自分で稼ぐ必要がある。


 親に養われないという筋を通すなら、学費も自分で支払う必要もある。それを、学費完全免除の特待生でいるという形で賄っているというわけだ。


 昼は学校で勉強をなるべく習熟し、夜はアルバイトに精を出す。当然友人と遊ぶ時間も金もなくなり、必然的に苦学生ぼっちが完成する。


 俺は自分の生き方を恥ずかしいとは思ってはいないし、友達がいないことにも不満を感じてはいない。かといって友達や恋人と共に夏休みを謳歌するような青春のあり方を否定するつもりもないが。幸せは人それぞれだ。


 さて、まずは夏休みの宿題をさっさと済ませないと……などと思いながら、家の扉の錠前に鍵を挿して回した、その瞬間、背筋が凍る。


 ……鍵が回る感触がない。


『わたし、今年は本当の本当にここには来られないんだ、明日』


 あいつ、嘘つきやがった……!


「おい、咲穂……!」


 勢いよく扉を開けると。





「おかえりなさいませ、真一様」





 なんと、そこには咲穂ではなく、とんでもない美人が正座してた。


「……はい?」


 俺のひっくり返った声が、狭い部屋にこだまする。


「突然部屋に上がりこんでしまいすみません。私、本日から1年間、真一様の恋愛留学のサポートをさせていただきます。生前、平河ひらかわかえで様の秘書をしておりました、十条じゅうじょう久美くみと申します」


 パンツスーツを着た美人(20代前半に見えるが……)は、俺の無機質な部屋の真ん中で三つ指ついて頭を下げた。


「じゅうじょうくみさん……? れんあいりゅーがく……?」


「まずは、こちらをご覧ください」


 意味不明過ぎてひらがなで対応してしまう俺に、十条さんとやらは封筒を差し出す。


「これは……?」


「平河楓様からお預かりしたお手紙です。17歳の誕生日に、真一様に渡すようことづかっております」


 自分で、自らの目の色が変わるのを感じた。


「……俺の母から?」


「はい」


 10年前に他界した母からの手紙。


 震える手で、その封筒をそっと開ける。


 紙を開くと、まず目に飛び込んできた文字列は。



『やっほー、真一! ママだよーん!』



 バタンッ。


 俺は、手紙を閉じて、目頭を押さえて、眉間を揉む。


「……十条さん。これ、本当に俺の母が……?」


 俺は眉間を揉みながら、その手紙を十条さんに向ける。


「はい。間違いありません。楓様の筆跡でございます」


「そう、ですか……」


 だとしたら、いつも夢の中で俺に語りかけていた聡明で強かで儚げでかっこいい母親は誰だ? イマジナリー母親?


「真一様……。……我慢なさらなくてもいいのですよ?」


「泣いてるわけじゃないですから……!」


 俺は絞り出すように反論した。俺の目頭を押さえる仕草が彼女に誤解を与えたらしい。別の意味で泣きたい気分にはなってたけど……。


「あら、そうですか。それでは、先を読んでいただければ」


 十条さんは無表情のまま促す。冷静だな、この人。


 俺は気を取り直して、手紙を読み直した。



   ***

 やっほー、真一! ママだよーん!

 どう? 元気?

 実はね、17歳になった真一にお願いがあって、こんな手紙を書きました!


 お願い、真一。

 ママの作った会社を継いでほしいの。

   ***



「はあ……?」


 素っ頓狂な声を上げながら顔を上げると、十条さんは相変わらず無表情でこちらを見ていた。読み終わるまでは何も説明しませんよ、という意志を感じる。

 



   ***

 真一、来年、高校卒業の歳だよね? 

 そして、18歳の誕生日って、結婚できる歳だよね?(現行法でもそうかな?)

 とにかく、その時までに、結婚してもらう必要があるの!


 ママとパパが社内恋愛で結婚したのは知ってるかな?

 ママと、ヒラカワ社長の御曹司のパパはグループ会社同士の社長をやってお互いの会社の業績を競っていた、いわばライバルだったの。

 そして、ママが立ち上げた会社が株式会社ヴェリテっていう、結婚ビジネスの会社なんだ。

 結婚雑誌の出版とか、式場の紹介、式自体のプロデュース、結婚後のサポートまで、夫婦生活をトータルでサポートする事業なんだけど。


 そこの社長を、真一にやってもらいたいなって。

 18歳になるときに、真一に婚約者がいれば社長になれるように、ママが生前に取り計らっておいたから。

 結婚ビジネスだからね、未婚だとちょっと厳しいんだ、ごめんね。


 でも、安心して! 真一の結婚のために、ママ、全財産を注ぎ込んでおいたから!

 それが、恋愛留学!

   ***




「恋愛留学……?」


 何が何やら全部よく分からないが、つまり、俺が18歳になるまでに、生涯の伴侶を見つけていた場合、俺はヴェリテの社長に就任出来るということらしい。


 そしてその先の説明を読んでみると、そのために、『恋愛留学』というプログラムが組まれているという。


 そのプログラムは、俺との結婚を希望する複数人の女性(そんな人がどこにいるんだ?)と共同生活を送り、その中から生涯の伴侶を選ぶと言うもの。らしい。


 母は、俺の結婚相手を探すこのプログラム……恋愛留学のために巨額の財産を残して(遺して)いたのだ。



   ***

 ちなみに、離婚したら、その瞬間に社長を解任されて、さらに、金輪際ヒラカワグループとは関われなくなるから、ご注意!

   ***



「ええ……」と、つい声が漏れ出る。



   ***

 どうか、『真実の愛』を見つけてね。

 母より。命よりも重い愛を込めて。

   ***



 まず抱いた感想は。


「超やばいやつじゃないですか、うちの母親……」


「御子息から見ても、そう思われますか」


 御子息から見ても、ということは、十条さんも少なからずそう思ってるらしい。


「はい、心の底から」


 ……でも、次に思ったのは。


「これは、ヒラカワグループを乗っ取る足がかりになりますね」


「……乗っ取るとは物騒な言い方ですが、」


 彼女はほんの少し、口角を上げる。


「それは、真一様次第かと思います」


 獅子身中の虫になる。


 これは父親の恐怖政治に与えられたルートではなくヒラカワグループに入り込み、乗っ取る——取り戻す、大きな足掛かりになるだろう。


 そのために、結婚が必要なら。結婚がその近道になるのなら。


 答えは1つだ。




「分かりました。恋愛留学、参加します」

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