第1話:前夜、幼馴染、カレーライス

「荷物は少ない方がいい。物も人間関係も、だ」


 つまるところ、それだけの話なのだ。


 さすがに、あの童話に登場するさすらいのキャラクターのように、緑色の服、とんがり帽子、リュックサックとハーモニカだけで飄々ひょうひょうと生きていくというのは現代社会では困難かもしれない。


 だが、逆にあらゆるモノをデータに出来る現代では、四畳半のアパートに、最低限の家具、Wi-Fiとスマホがあれば、大抵のことは事足りる。


 当然、身軽であればあるほど、フットワークだって軽くなる。


 移動や引っ越しが面倒でないし、掃除も少なくて済むし、何より気が楽だし。


 人間関係だって似たようなものだ。


 多くの人と結びつきを持てば、その分、その手足につくかせだって増えるし、重くなる。


 大切な人に嫌われるかもしれないという恐怖は臆病や遠慮を生むし、特定の誰かへの好意は贔屓ひいきや不公平感を生む。


 いずれも、人間関係が人の正しい判断をにぶらせるという話だ。


 そもそも、そうして結んだ人間関係が自分にとって有益に働く確証なんてない。


 むしろ、そうならない可能性の方が高いとすら言える。


 他人は自分の思い通りになんか動かないし、それぞれが自分の幸福のために生きているのなら、その目的が相反することだってあるだろう。


 なのに、


「この人なら自分を幸せにしてくれるかもしれない」


 だなんて、うっかり期待してしまうせいで、勝手に裏切られた気分になって、傷ついて、時間と心をすり減らすことになる。


 どこまでいっても、人は自分のために生きていくしかないし、自分を幸せに出来るのは自分だけなのに。


『早く進みたければ1人で行け、遠くへ進みたければみんなで行け』


 そんな言葉もあるが、俺はなるべく早く、あの場所まで進みたい。


 そこが遠いかは行ってみないと分からないが、少なくとも、早く行く必要はある。


 よって、俺は必要最低限の人間としか関わりたくない。




「それだけの話だよ」


 信条通り、4畳半の安いアパート。


 折り畳み式のちゃぶ台を挟んだ向かい側でカレーを食べている幼馴染・品川しながわ咲穂さきほに、俺は何度目かにそんな話をした。


「はあー。何度聞いてもその人脈ミニマリスト発言には惚れ惚れしちゃうなあ」


 彼女は、感心とも呆れともつかないため息をつく。


「わたしは、ね? でも、そんなだから真一は学校で『原因不明の苦学生ぼっち』とか言われちゃうんだよ?」


「え。俺、そんな通り名みたいなの付いてんの? 知らなかったんだけど」


「うん、陰でね? 家柄的にはお金持ちなはずなのに貧乏生活してて、成績優秀なのに孤独ぼっちだから」


「まじか……。いやいや、ていうかなんで咲穂さきほが俺の学校での陰での通り名を知ってるんだよ?」


「そんなの、知ってて当然な当たり前の常識だよ?」


「知らなくて当然で咲穂は非常識だと思うんだけど……」


 なぜなら、俺の学校は中高一貫の私立男子校で、目の前の幼馴染は華奢きゃしゃな体つきの割に出るところは出ている、心身共にれっきとした女子。


 当然同じ学校には通っていないのだから、俺の知らない陰口を彼女が知っているはずないのに。


「わたしは知ってるよ? 勉強ばかりしてるのも、貧乏生活を進んで送ってるのも、真一しんいちがあの夢を叶えるためだし、そのために学費免除の特待生で居続けるためでしょ? ぼっちなのはみんなが勝手に真一を怖がるからだもんね?」


「はあ……咲穂はなんでも知ってるな」


「なんでもは知らないよ? 真一のことだけ」


「あ、うん……」


 なんだその何かの名台詞みたいなの……。


「さてさて、そんな人脈ミニマリストな平河ひらかわ真一しんいち君に問題です。このゆるふわ美少女・品川しながわ咲穂さきほちゃんに毎日ご飯作ってもらってるのはどこの誰でしょーか?」


 ニマニマとおせっかいな笑顔を浮かべて顔を近づけてくる。美少女はともかく、ゆるふわではないだろ。


 ていうか。


「だから、それをしなくていいって話を今してるんだろうが。頼んでもないのに、咲穂が勝手に作ってくれるだけだろ。もう家は近所じゃないんだし、自分で飯も作れるよ」


「そんなこと言って、毎日食べてるくせにー」


「作ってきてもらったものを拒否する意味がないし、勿体無いから、仕方なく頂いてるだけだ」


「仕方なく!? もー、わかってないなあ、わたしみたいな可愛い子が1人暮らしの家に手料理持って通い妻してくれるのがどれだけ羨ましいことか。わたしのクラスの男子たちに話したらみんな腰抜かすよー?」


「いや、ガワだけ見たらそうなのかも知れないけど……」


 確かに咲穂の作るご飯は美味しい。


 一般論として美少女だというのも頷ける。


 頑固オヤジみたいなことを言ってる俺にめげずに構ってくれているのも彼女だけだ。


 その点は感謝していないことはない。



 でも……。



「なーに? 不満そうな顔しちゃって」


 お姉ちゃんに言ってみ? みたいな顔で笑ってるので、これも何度目か分からないが、残酷な事実を突きつける。


 ——主に、俺にとって残酷な。





「だって、咲穂、俺のストーカーじゃん」



「そうだよ。それが?」




「『それが?』って返事がありえる?」




 そう。彼女は俺のストーカーなのだ。


 いい距離感の親友系幼馴染、みたいな顔をして、行動はかなり粘着質で怖い。


 小6の冬だったか、咲穂の部屋に連れて行かれた時、壁一面に貼ってあった俺の写真。


 あれを思い出すと、いまだに悪寒が身体中を駆け巡る。トラウマだ。


 しかも、俺の知らないうちに、俺の1人暮らしの家の合鍵を持っている様子。


 今のところ金銭的なものは何も持っていかれてないものの、定期的に、


「歯ブラシ1ヶ月使ったから新しいのに替えておいたよっ」


 とか言われて、うちのどのゴミ箱にも歯ブラシが捨てられてないのとか超怖い。


 そんなことが積もり積もって、今日も今日とて、彼女に対して「ここにはもう来ないでくれ」とお願いしていたところだ。


 ほら、こういう気を遣う作業が発生するから人間関係なんてなるべく少ない方がいいんだよ。


「でも、真一はさ、『必要最低限の』って言い方するよね? つまり、1人もいらないわけじゃないんだよね? 仲間っていうか、恋人っていうか、人間関係っていうか」


「まあ、それはそうだな」


 現実的に考えて、完全に1人の力で生きていけるわけはないと思っている。


 俺には出来ないことがごまんとある。むしろ、出来ることがほんの少しだけある、と言う方が正確だろう。


 だから、生きていく為に、目標を達成する為に、人と協力することは必要不可欠だ。


「あくまでも、利害が一致した相手と、利害が一致する間、同じ目的のために協力するって意味だけど」


 ……言ってて思ったけど、人間関係っていうより、契約関係だな、これ。


「出たあ、利害関係の一致」


 この話も咲穂には何度もしている。彼女は呆れたように、肩をすくめた。


「利害が一致してれば、お互いがお互いの利益になるように動けるだろ? そういう関係はあった方がいいと思ってる」


 考え方は、とある人の受け売りだけど、納得して信条にしている。


 俺は別に、人嫌いというわけではないのだ。


「ふーん……。じゃあ、さ。結婚は?」


「結婚? どうしたいきなり?」


「うーん。結婚って一種の契約関係でしょ? それは必要最低限に入るのかなあって」


「そうだなあ……」


 俺は、少し考え、そして、夢でいつも聞く言葉を思い出していた。


「……いや、一番大荷物になりそうだな、夫婦関係って」


「ひどいなあ。将来の奥さんを目の前にして、よくそんなことが言えるね?」


 咲穂はむぅーっと下唇を持ち上げる。


「そんな約束してないだろうが。ていうかそもそも、まだ考えるような時期でもないだろ。結婚できる年齢にもなってないのに」


「そんなことないよ。明日で真一も17歳だよ?」


「それがどうした。結婚出来るようになるまではまだあと1年あるじゃねえか。……ていうか、明日誕生日ってよく覚えてたな」


「だからー、そんなの、知ってて当然な当たり前の常識だよ」


「いや、だから……んーまあ、それくらいは変じゃないか……」


 誕生日という、普通なら知られてたら嬉しいくらいのことですら、咲穂に知られてるとなんか怖い。


 ていうか、そうだ。その件も釘を刺しておかないと。


「言っておくけど、プレゼントとか何もいらないからな? 物も、気持ちも、何もだ」


「えー? そうなの?」


「そりゃそうだろ」


 去年の誕生日。


 学校から帰ったら家中に赤いバラの花が敷き詰められていて、その中心に真っ白な下着姿の咲穂が目を瞑って横たわっていた時には、なんかすべてがやばすぎて過呼吸になりそうになった。


 咲穂が着てきたはずの服が見つからず、とりあえず俺のTシャツとスウェットズボンを着せて家から追い出したあとも、片付けが大変だわ棘が刺さりそうで怖いわで、われてる感じが全くなかったどころか、むしろわれてる感じがした。


『祝う』と『呪う』で、字は似てるんだけどな……。


 翌日何事もなかったように夕飯を食べにきた咲穂にそのことをなじると、


『んふふ、じゃあ片付けの間ずっと真一はあたしのこと考えててくれたんだ?』


 と笑われる始末。そんなのもう無敵のひとじゃん……。


 ていうかシャツとスウェット帰ってこなかったあたり、なんなら収支マイナスじゃない?


「とにかく、今年はもう本当にいいから」


「はいはい、フラグ立てご苦労様ー」


「フラグ立ててねえよ……」


 がくり、と肩を落とす。


「冗談冗談。わたし、今年は本当の本当にここには来られないんだ、明日」


「へえ、そうなのか?」


「あ、残念そうな顔してるー」


「してない。全然してない」


 ていうか俺のほっぺをつつくな。


「……まあ、もっとすごいサプライズがあるよ。わたしからじゃないけど、真一に、大きな大きなサプライズプレゼント」


「大きなプレゼント……? さっき大荷物は嫌だって言ったばかりなんだけど……」


「わたしに言われても。わたしはむしろ反対したんだよ? でも、送り主が送り主だからなあ……」


「おい、なんの話だ?」


「あー……っていうか、プレゼントって言うよりは、」


 咲穂は、俺の追及を無視しながら、





「プレゼントの候補、かな」





 と、なんだか乾いた笑みを浮かべた。




 その、咲穂の意味深な(というか意味不明な)言葉の意味は、翌日に分かることになる。

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