唯花ちゃんのクリスマス

夜々予肆

唯花ちゃんのクリスマス

 クリスマス。俺は唯花先輩と家でパーティをしていた。料理を用意したのだが、先輩の作った方が断然美味しかった。俺は少し凹んでいた。ちなみにサンタさんからのプレゼントとして唯花先輩はノートパソコンを買ってもらっていた。なんでもこれで創作活動ができるとかなんとか。さすが先輩。俺も早く追いつかないとな。未だにサンタを信じているところもベリーキュートだ。


 クリームたっぷりの甘いクリスマスケーキも食べ終えると、唯花先輩が蕩けたような瞳を俺に向けながら話しかけてきた。


「ねえ奏太」

「……奏太?」

「……え?」

「誰ですかそいつは! 俺は山崎遼ですよ!」

「あー。ごめん。あたしってば寝ぼけてるみたい」

「そうなのか?」

「うん。だってほら」


 そう言うと、唯花は俺の腕をぎゅっと掴んできた。


「おい、どうしたんだよ」

「こうしたかっただけぇ♡ えへへ♡」

「可愛すぎるっ!」


 俺はあまりの可愛さに胸を貫かれそうになった。だが同時に思う。なんだか今日の先輩はいつもと様子が違う気がする。それに顔つきもどこか幼く見える。何かあるのか……? 俺にできることなら何でもしたい。


「何か困ったことがあったりしたりしますか?」

「困ったこと……? えーっとね……それはね……」


 先輩はそう言った後、俺を押し倒した。


「こっちかなぁ」

「な、ななな……!?」

「ん~?」


 俺の顔を見下ろし、きょとんとする先輩。可愛い。けど意味が分からん。どうなってんだ?


「ね、お兄ちゃん♪」


 おにいちゃん。おにいちゃんだと!?


「な、な、何を言って……!?」

「あれれ、どうかしたのお兄ちゃん? 変なお兄ちゃん♪」


 どう考えてもおかしい。こんなのは唯花先輩ではない。俺の知っている唯花先輩は無愛想だけどでもほんのりと随所にうかがわせる喜怒哀楽が可愛くて、図書委員の仕事も一生懸命で真面目で、普段は厳しいけどたまに俺にも優しい女の子で、だからつまり。


 もう少しそんな感じで、お願いします。


「うふふ、どぉしたのぉ、おにいちゃん♪」


 くすぐるように囁き、顔を近づけてくる先輩(仮)。俺の頬に唇を触れさせてきて――


「わ、分かったぞ! 偽者だな!?」

「は、はあああっ!? ち、違いますけど! 本物の伊波唯花ですけど! どこが違うっていうんですかね!」

「はい偽物確定! お前は誰だ!?」

「な……」


 唯花の表情から笑みが消え、怒りに染まっていく。やがてその瞳から大粒の涙が零れた。


「どうしてよぉ……。せっかくあたし、いい子にしてたのにぃ……。奏太にいっぱい優しくしてあげてたのに、なんで分かってくれないのぉ?」


 俺は無言で唯花先輩(偽者)を抱きしめた。


「え……、ちょ、ちょっと……なにする気なのよ」

「奏太って誰ですか」

「え……?」

「俺の名前は遼ですよ」

「は……? あんた何言って……。いや待って……。なんで、どうして? え……? まさか……そんなはずが……」


 混乱しているようだった。偽者は狼煙のように震えだすと、「あ、ああ……」と言葉にならない声を出し始める。


「ご、ごめんなさい……。あなたを……傷つけるつもりはなかったの……、ただ少しだけ寂しくて、それで……」


 泣き崩れる姿はとても演技とは思えない。本当に心の底から泣いているように見えた。そしてそんな様子を見ていたら、だんだんと罪悪感のようなものを感じてきた。この人は本物じゃない。唯花先輩じゃないんだと思えば思うほど、胸の奥がずきんと痛む。


「すまん。やっぱり唯花だよな。だって俺の唯花がこんなに可愛すぎるもん。間違いないはずだ!」


 俺は唯花先輩をギュッと強く抱き締めた。


「ひゃ、きゃっ、ちょっといきなり何を……っ!?」


 腕の中で真っ赤になる先輩の頭をよしよしと撫でてやる。


「大丈夫だ。安心しろ。全部分かっている。悪い夢を見て怖くなったんだろ? もう何も心配することはない。ずっとそばにいる。俺は唯花の味方だ」


 すると先輩はしばらく黙った後、静かに身体の力を抜いていった。俺の胸に体重を預け、背中に手を伸ばしてきた。そのまま俺の首筋に顔をうずめ、ぎゅっとしがみついてくる。


「……奏太ぁ……」

「はい……奏太です……」


                   *


「……なんですか。これは」


 月曜日。いつもの図書室で、いつものように、私は私の恋人――山崎遼さんに言った。彼が書いてくる小説はお世辞にも質の高いものではないが今回はいつにもまして酷い。先月の悪魔祓いと巫女の間に産まれた最強の霊能力者が主人公の小説よりも酷い。


 だけれども、人付き合いが得意とは到底言えない私にも明るく接し続けてくれて、拙いながらも真っすぐな表現で私に想いを伝えてくれる、彼のそんなところに私は惚れたのも事実だ。

 

 だからこそ、私は彼の書く駄作が、いつも楽しみで、いつも愛おしく思う。こんなこと、口が裂けても彼には言えないが。


「唯花先輩とイチャイチャしようと思ってAIを使って小説を……」


 そんな風に思っていたら、彼がもじもじしながら口を開いた。


「何故私とイチャイチャすることとAIで小説を書くことが繋がるんでしょうか。そもそも私はこのような人格ではありません。貴方をその……お兄ちゃんと呼ぶなんて……」

「試しにお兄ちゃんって言ってくれませんか?」

「だ、断固拒否します!」

「そ、そうですか……」


 反射的に否定してしまった。私が自分で想像している以上に大きい声が出てしまい、他の生徒からも視線が向けられる。目の前には落ち込む山崎さん。この状況は不味い。私が変人に見られるのはもう慣れているから構わない。けれど彼が変な目で見られるのは、嫌だ。

 

「ですが……その……クリスマスは……家で一緒に……過ごしましょうか……」


 そう思った私は、自然とこうして口を動かしていた。


「え、いいんですか!?」

「クリスマスは恋人と過ごすのが現在の常識なのでしょう? だったら! こうするのが普通なはずでしょう!」

「そ、そうですよね!」


 ……こうして、私の苦悩の一週間が始まったのであった。


                   *


 火曜日。図書委員の仕事が一段落した後、図書室にあるいくつかの恋愛小説を読むことにした。クリスマスは恋愛作品における重要なターニングポイントだ。序盤、中盤、終盤。それが訪れるタイミングはそれぞれだが、ここから新たな関係性が始まり、終わる。クリスマスとはそういうものだ。もし似たような状況になった場合、どうするのが良いのだろうか、私はそれを学ぶため、その視点を持って、小説を読み進めていった。

                   *


「どうして答えようとしないの。まさか、まただんまりを決め込むつもりなの? はあ、呆れた。結局あんたは何も変わらないのね。あの時もそうだった」

「違う。わたしだって少しは変わったんだよ。でもうまくできないの」

「はっ、よく言うわよ。私がいないと何一つできもしないクセに。本当にムカつく。こんな奴に負けたのかって思うと死にたくなるわ」

「そっそれは昔の話でしょ」

「昔って言ってもたった一年じゃない。あんたにとっては短い時間かもしれないけれど私にとってはとても長い時間よ。悔しくて悔しくて仕方がなかった。いつか必ず復讐してやるって思った。だから努力し続けた。今の私がある。全部あんたが私に与えたものよ。私はあんたのためにここまで頑張ってきた。それなのにあんたはいつまで経っても変わらなくて、それが無性に腹が立つ」

「そんなこと言わないでよ。お願いだよ……。ねえ、許してよ」

「別に怒ってなんかいないわよ。ただ私は悲しんでいるだけ。私の気持ちに気づいてくれないあんたのことが好きだけど憎いの」

「えっ」

                   *

「えっ」


 ヒロインと同じように私も思わず声を出してしまった。主人公に片思いしていたのに告白する前に奪われてしまったためヒロインを敵視している、と思っていた女性が実はヒロインの事が好きだったとは。なんという叙述トリックだ。続きが気になるが少し話がドロドロし過ぎな気もするため私はページを閉じて別の小説を読み始めた。


                   *


「大丈夫だよ」


 そう言って君は、また笑うだろう。


「仕方ないよ」


 そう言って君は、また泣くだろう。


「会いにいくよ」


 そう言って僕は、また君を探しに行く。


「ねえ、私のこと好き?」


 その質問に答えた時の君の笑顔が、頭から離れないんだ。


「私も好きだよ。君のことが」


 その時の涙の意味を、教えてほしいんだ。


「もう二度と離さないからね」


 そう言った時の言葉の意味も、全部知りたいんだ。


「だからお願い、私の傍にいて……!」


 その言葉の意味も、全部聞かせて。


「僕はずっと、一緒にいるから」


 いつか、君の隣で笑い合うために。


                   *


 終わってしまった。冬の小説だと聞いていたが、ファンタジー要素が強く、あまりクリスマス要素は無く、そのまま読了してしまった。恋愛小説としては面白かったがあまり参考にはならなかったので、私は再び別の小説を手に取る。


                   *


(ごめんなさい)


 心の中で謝りながら、彼が来るのを待っていた。


 やがて足音が聞こえてきた。私は息を殺して待った。足音はどんどん近づいてきて、遂にドアの前に止まった。心臓が激しく高鳴る。足音が止んで、少し間があった。そして――。


 ギイッとドアを開ける音がして、誰かが入ってきた。彼は真っ直ぐベッドの方へ向かってきたようだ。


(来た……)


 私は全身に力を入れた。ドクンドクンという鼓動だけが聞こえる。私はぎゅっと目を閉じたまま身動き一つしなかった。


 カタンッと何かを置くような音がした。そして、ゆっくりとこちらに向かってくる気配を感じた。


 ドキンドキンドキン……。


 胸のドキドキが止まらない。今にも口から飛び出してしまいそうなくらい激しく打ち続けている。


 カツーン、カツーン……。靴音を響かせて彼がやって来る。もうすぐそこだ。


 トサッ……。


 何か柔らかいものが落ちる音がした。続いて、バサバサと紙のようなものが落ちるような音がする。彼はそこに立っているらしい。


(?)


 私は不思議に思った。何故、彼は何も言わないのかしら? まさか気付かれてしまったんじゃ……と思い始めた時、ようやく声が聞こえてきた。


「ふうっ……」


 それは溜息のような声だった。


(ああ……やっぱり……)


 私は泣きそうになった。でも泣いている場合ではない。これからどうするか考えなくてはならなかった。とにかくここから出なくてはならない。そーっと毛布の下から抜け出そうとした瞬間――。


「お前、そこで何やってんの?」


 突然後ろから声を掛けられて飛び上がりそうになるほど驚いた。恐る恐る振り返ると、そこには彼が立っていた。


「先輩……」


 私は驚いて目を見開いた。彼は呆れたように笑って言った。


「そんな所にいたら風邪ひくぞ」

「え、ええ……」


 私は慌ててベッドの下から出た。そして彼を見上げた。


「いつからいたんだ? 俺が来る前からか?」

「はい」

「なんで隠れていたんだよ」

「だって……」

「だって、なんだよ」

「恥ずかしかったんですもの」

「なにがだよ」

「だから、先輩が私のこと好きかもしれないって思って」

「馬鹿だなあ」


 彼は笑い出した。


「笑うなんてひどいです」

「だってさあ、そんなこと考えたこともなかったからさあ」

「本当ですか?」

「当たり前だろう」

「そうですか」


 私はほっとした。これで安心だと思った。けれど、よく考えてみたらまだ問題が残っていた。どうして私がここにいたことに気付いたのだろう?


「あのう、どうしてここだって分かったんですか?」


 すると彼は得意気に答えた。


「足音で分かるよ」

「嘘ばっかり!」


 思わず言ってしまった。


「いや、本当に聞こえたって。ほら、これ見てみろよ」


 彼はポケットの中から小さな機械を取り出した。


「なんですかそれ?」

「盗聴器だよ」

「え!?」


 私は仰天した。


「冗談に決まってるだろ」


 彼は大声で笑った。私は真っ赤になって怒った。


「酷いです! どうしてそういう意地悪なことするんですか」

「だって、お前があんまり可愛い顔してるもんだからさあ」

「もう知りません」


 私はぷいっと横を向いた。彼は慌てて謝ってきた。


「ごめん、ごめん。許してくれよ」

「駄目です」

「何でも言うこと聞くよ」

「じゃあ、キスしてください」

「えっ?」


 彼はびっくりしたようだった。私は彼の方を向いてもう一度はっきりと言った。


「キスしてくれたら許します」


 彼は戸惑っているようだった。しばらく黙っていたが、やがて決心したらしく、「いいよ」と言って私を抱き寄せた。そして優しく唇を重ねた。とても幸せな気分だった。ずっとこのままこうしていられたらいいなと思った。


                   *


 そう。私が読みたかったのはこういうものだ。これでキス要求はちょっと強引だなと感じながらも私は勢いそのままに他の小説のページも捲る。


                   *


「メリークリスマス。というわけで、プレゼントを要求します」


 僕はそう言って、会長をじっと見つめた。


「あ、はい。なんなりとお申し付けくださいませ」


 会長は苦笑いしながらそう言った。


「キスしてください。濃厚なやつをお願いします。あと、耳元で愛してると言ってください。それと、頭を撫でてほしいです」

「いやいや、普通で良くない? いつもやってることだし」

「じゃあいいです」

「わかったよ。仕方ないなぁ」


 会長はため息をつくと、僕の肩に手を置いて顔を近づけてきた。そして、優しく触れるようなキスをしてくる。


「んっ……」


 会長はすぐに唇を離すと、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いた。


「これで満足?」

「はい。会長、好きです」

「うん。私もだよ」


 会長はそう言って、再び僕を抱きしめると、今度は舌を入れてきて深い口づけをしてきた。


「はむっ……ちゅぱっ……」


 会長はしばらく、ディープなキスを続けてからようやく口を離してくれた。


「はい。終わり!」

「ありがとうございました。とても幸せです」

「それは良かった。はい、これあげるね」


 会長はそう言って、ラッピングされた小さな箱を手渡してきた。


「これは?」

「開けてみてよ」

「わかりました。さっそくあけさせていただきます」


 僕はそう言うと、丁寧に包装紙を剥がしていき、中身を取り出した。中に入っていたのは銀色に輝くネックレスだった。


「綺麗ですね……」

「つけてあげようか?」

「是非ともお願いしたいのですが、やり方がよくわからないです」

「私がやるから安心して」


 会長はそう言って微笑みかけると、僕の後ろに回り込んで首筋に手を回してネックレスをつけてくれた。


「はい。できたよ」

「ありがとうございます。大切に使いたいと思います」

「どういたしまして。喜んでもらえたようで嬉しいよ」


 会長はそう言って笑うと、そのまま僕の膝の上に座ってきた。


                   *


 ちょっと過激すぎないか。不穏な気配を感じながらも、私は同じ本棚にあった別の小説を手に取り開いた。

                   *


「あのさ……直人……わたしたち……付き合う……なんてどうかな……?」


 僕は遊園地のシンボルである巨大な観覧車の中で、七花から突然の愛の告白を受けた。服装はぶかぶかの黒いパーカー。髪型はツーサイドアップ。瞳の色は黒。身長はかなり低く、140cm程度しかない。体型は全体的に細く華奢で、特に手足は軽く握っただけで折れてしまいそうなほど。肌は白く、唇はピンク色。頬も少し赤くなっている。そんな彼女からの告白は予想だにしていなかったことで、驚きが先行し言葉を発することが出来なかった。しかし、その驚きは次第に喜びへと変わっていった。なぜなら僕は、目の前の彼女のことを愛していたから。気づけば僕は恋に落ちていた。僕も彼女が、好きだ。


 いや待て。まだ愛の告白だと決まったわけじゃない。付き合うというのは買い物に付き合うとかそういう意味かもしれない。きっとそうだ。そもそも僕は七花が好きだけど七花は僕のことが好きなのかは分からないんだ。そんなことを考えているうちに心臓がバクバクしてきた。もし仮にこれが愛の告白じゃなかったとしても、七花の方からこんなそう解釈できるような提案をしてくれたということは少なからず好意を持ってくれているということか? うん、きっとそうに違いない。そう思い込むことにしておこう。


「あ……いや……わっ、わたっ……」

「僕、七花が好きだ」


 僕は思わず彼女に告白していた。彼女の言葉を遮ってしまったような気がするが、口が勝手に動いていた。


「あっ、ありがと……う、うれしいな……」

「え? それってつまり……」


 七花は顔を真っ赤にし照れながらも、コクリとうなずいた。まさか両想いだったとは……。信じられない。夢みたいだ。嬉しさと幸福感が入り混じった不思議な感覚に陥った。今なら何でも出来るんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。観覧車の中は暗く静まり返っていて、窓に映る景色はまるで星々が地面に落ちたかのように、どこまでも煌いていた。彼女の照れ顔を改めて見る。この瞬間を切り取って永遠にしたいと願った。僕は彼女を抱きしめたくなった。だから、観覧車が地上に着くまでずっと、ぎゅっと優しく抱き寄せていた。そして、遊園地を出た後、彼女と手を繋いで駅まで続く道を歩き始めた。


「でも驚いたよ。まさか七花が僕のことを好きでいてくれたなんて……」


 七花が顔を紅潮させながら俯く。恥ずかしそうな様子を見るとこっちまでドキドキしてくる。すると彼女はボソッと言った。


「……直人のことが好きだなんて言ったら引かれちゃうかなって思って今まで言えなかったんだけどね……ごめんなさい……」

「謝ることなんか無いよ。だって、僕も七花が好きだったんだから」

「う、うん……で、でも……面と向かってはっきり言われると……恥ずかしい……」

「もしかして照れてる?」

「べ、別に照れてなんかないし! 全然照れてないし!」


 彼女はそう言っているけど、夜の闇の中でもはっきりとわかるくらい、顔が真っ赤になっていた。どう見ても図星のようだ。かわいい。僕は彼女の反応を見てますます好きになってしまった。


「好きだよ。七花」


 だから僕は、もう一度彼女に告白した。


「あ……あうあ……」


 彼女は手の平をこちらに向けてあたふたし始めた。僕は黙って彼女の言葉を待つ。少し間を置いてから彼女は言った。


「わたしも……直人のことが好き……です……」


 彼女は俯きながらも、はっきりと告白の答えをくれた。嬉しくて涙が出そうになったのを必死に堪え、代わりに笑みを浮かべながら再び彼女を強く抱き締めた。それから僕たちは駅に着いた後もしばらくの間、お互いのぬくもりを感じ合い続けていた。周りからはどう思われているのだろうか。若干出入り口を塞いでいるからさぞや迷惑なことだろう。だけどそんなことは関係なかった。僕たち二人にとっては、幸せ以外の何ものでもない時間だったから。僕たちは恋人同士になった。その事実だけで心が満たされていた。


「ねぇ……今夜は……直人の家に泊まりたいな……」


 唐突に大胆なことを言うものだからドキッとした。心臓の鼓動が高まる。僕は少し緊張しながらも、返事をした。


「うん。もちろん良いよ」

「あ、ありがと……」


 七花はそう言いながら、僕の手を優しくぎゅっと握り締めて、身体を密着させてきた。僕はそんな七花のことをより一層愛おしいと思った。


「あの……さ……その……手……握ってもいいかな……もう握っちゃってるけど……」


 彼女が上目遣いで訊いてくる。僕はその彼女のかわいさに一瞬悶絶しかけたが、なんとか抑え、笑顔で応えた。


「もちろんだよ」


 そう言って僕は、左手で七花の右手をしっかりと掴んでから、再び前を向いてゆっくりと構内へと歩いていった。七花の手のひらはとても温かかった。電車の中では、僕はずっと七花の顔ばかり見ていた。やがて僕たちは僕が住んでいるアパートの最寄り駅に着き、そこからも手を繋ぎつつ歩いた。その間も僕はずっと七花を見つめていた。


「着いたよ。ここが僕の家なんだ」

「ふーん。思ったより綺麗にしてるじゃん」


 部屋に入ると彼女は、キョロキョロと辺りを見ながら興味深げにあちこちを眺めていた。まるで初めての場所に来た子供のようだった。僕は彼女の仕草が微笑ましく感じられ思わず頬が緩んだ。だがすぐに表情を引き締めて彼女に言った。


「えーと……とりあえず、シャワー浴びる?」


 すると七花はすぐに首を横に振った。そしてそのままベッドに座っている僕の隣に座ってきたため、肩と腕が触れ合った。七花のシャンプーの香りだろうか。甘い匂いに包まれて僕はドキドキしてきた。しばらく沈黙が流れた後、七花の方から話しかけられた。


「あのね……キスしてもいい……?」


 顔を紅潮させたまま俯いて言う七花に、僕は胸の高鳴りを覚えた。こんなにもかわいい子からのお願いだ。嫌なはずがない。むしろ大歓迎である。


「いいよ」


 僕がそう言うと、七花は目を瞑り唇を差し出してきた。僕はゆっくり彼女に近づき、彼女の唇に、自分の唇を重ねた。柔らかい感触が伝わると同時に七花とのキスによってもたらされる快感が脳内を支配した。それはとても幸せな気持ちだった。しかし同時に不安でもあった。この幸せが壊れてしまうかもしれない。だから怖かった。それでも、僕は彼女と付き合う道を選んだ。だから今だけは、この幸せに浸っていても良いはずだ。だからもう少しだけ、彼女とこうしていたい。


 どれくらいの時間そうして過ごしていたのだろう。おそらくほんの数秒の出来事であったと思う。しかしそれが僕には何時間も経過したかのように思えた。そして名残惜しくはあったが、どちらからということもなく、僕らは互いの唇から離れた。七花は恥ずかしそうに下を向きながらも、どこか満足そうな様子をしていた。僕はそんな七花を見て、心が満ち足りていくのを感じた。すると突然、七花は僕の手を掴むと、自分の胸に押し当ててきた。七花の大きな胸の柔らかさが直に手を通して伝わってきてドキドキした。


「わたしのこと好きに使っていいから……」


 七花はそのまま僕の耳元まで口を寄せると、甘く囁いてきた。


「えっ!? ……いや、ちょっと待って!」


 あまりに大胆な行動だったため、思わず焦ってしまったが、すぐに冷静になり、落ち着くように七花に促すと、七花も少し落ち着いたようで顔を上げて口を開いた。


「わたしと……エッチなこと……しよ……?」


 全然落ち着いてなかった。


「随分と積極的なことで……」


 七花は率直すぎる僕の言葉に対して、顔を真っ赤にしながら答えた。


「な、なんかそういう雰囲気になったら、もう止まれないっていうか……」

「そういう雰囲気にしたのは君だと思うけど。僕にキスせがんで、胸揉ませてさ」

「うぐっ……」

「あぅ……。だって好きな人の家に来たらさ……ムラムラとかしちゃうじゃん……」

「それはまぁ、そうかもしれないけど」


 僕がそう言うと、七花はさらに続けた。


「わたし……今日のためにずっと我慢してたんだよ? 直人と初めてを……するなら絶対直人の家でって決めてたの。だから……ね? そろそろいいでしょ?」


 七花の必死の訴えを聞いて、悪い気はしなかった。だけどまだ七花とは正式にお付き合いを始めたばかりで、いくらなんでも性急すぎではないかと思った。でも、彼女の願いを無碍にしてもいいのだろうか。七花がここまで求めてくれているのだ。ならば応えるべきではないのか。


「……わかった。じゃあやろうか」

「やった! ありがと直人♪」


 七花は嬉しさのあまり、僕に飛びついてきた。そしてそのまま押し倒されてしまい、床に仰向けになる形となった。すると七花は僕の上に馬乗りになってきて、妖艶な笑みを浮かべる。


「ふふふ……これからいっぱい可愛がってあげるからね」

「ああ、頼むよ」


                   *


「頼んではいけません!」


 慌ててページを閉じた。こんな……こんなこと……出来るはずが……ない。


 そして私はそのまま逃げるように、図書室を後にした。ちなみに本はしっかり元の場所に戻した。そもそもこんな本図書室に置くなという話だが、それはまた後日にしよう、そうするしかない。


                   *


 金曜日、クリスマスイブまで残り1日となってしまっただけではなく、学校も冬休みに突入してしまった。結局あれから何も出来ずにここまで来てしまった。いや、何もしたくなかったと思った方がいいのかもしれない。あんなものを見てしまってはもう、何をすればいいのか、何が出来るのか、私にはもうわからなかった。


 かくなる上は、ただ一つ。私は自室の扉を開け、隣の扉をノックした。


                   *


「明日、恋人とどうすればいいのか? あははは! 唯花も随分可愛くなったね!」

「か、可愛いなんて……」

「照れてるー! かっわいいー!」

「うぅ……」


 私は大学生である姉の澪音みおんに相談していた。レアアイテムのように出来れば最後まで使いたくないままエンディングまで迎えたかったのだが、もう他に頼れるものは無かったので頼る他なかった。そして私が意を決して相談したら笑われた。こうなるから嫌だったのだ。同じ親から生まれたはずの姉妹なのになぜここまで性格に差が出たのか、それは私が訊きたい疑問である。


「答えは簡単! ×××しかないでしょ! クリスマスだし!」

「そ、そんな破廉恥なこと出来る訳ないでしょう!」

「でも、恋人なんでしょ?」

「それは……そうだけど」

「ま、まだ高校生だしそれは色々とハードル高いかぁ。ならさ、いっそ――」

「いっそ……?」


                    *


 こうして迎えたクリスマスイブ。私は山崎さんの家でささやかで幸せなひとときを過ごした。そして山崎さんが買ってきたクリームたっぷりのクリスマスケーキも食べ終えると……。食べ、終えると……。


「先輩? どうしました?」

「……」


 やるのか、やって、いいのか。

 

「……先輩?」

「お……お兄……ちゃん……?」

「……え?」

「一緒に……本……よ……読も……?」

「ぐあああああああああああああああああああ!!!!!」


 突如として山崎さんが叫んで倒れて床を転がり始めた。


「だ、大丈夫ですか!」

「ああああ! ああああああああああああ!! あああああああああああああ!!!」

「ちょ、ちょっとしっかりしてください! 山崎さーん!」


 山崎さんが冷静になったときには、もう日付が変わっていた。しかしこれで、間違いなくはっきりしたことが、一つ、ある。


 ギャップ萌えは、時折凄まじい破壊力を生み出す。

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