第21話 お帰り

 全てが終わった。


 そんな静けさが漂う中、沈黙を破ったのはアーリーンだった。


「ララはミッシェル先生に会えたのかな?」


 通常1人の悪魔に1冊の本があてがわれる。そして名前が刻まれた本は、悪魔族専用の図書室でのみ息を吹き返し、訪れた者と会話をしたりすることができるのだ。


 そうなのだ。カミュアの半分は悪魔族の血が流れているため、悪魔族専用の図書室にも出入りができ、会いたい時にミッシェルと会うことができる。だが、ルーナは女神だ。ミッシェルが悪魔専用図書室に保管されれば、二度と会うことはできなくなる。


「ママ? 大丈夫?」


 ルーナの瞳からも涙があふれていた。ルーナはカミュアを抱きしめ、女神の品格を持ってアーリーンとジェイクに話しかけた。


「アーリーン、ジェイク。ミッシェルたちを丁重に図書室へ運んでください。私たちは入室できないので」

「うん」


 アーリーンが2冊の本を抱えようとした時、カイトが声を上げた。


「あ、アーリーンちょっと待って」

「うん?」

「マイクの本は開封されることがないように、鍵をかけておこうと思うんだ」

「悪魔族の誰かがマイクから知恵を授かるかもしれないってこと?」

「そうならないようにするための保険だよ」


 カイトはアーリーンから、マイクの本を受け取りテーブルに向かった。確かこのあたりに鍵が置かれていた記憶がある。ミッシェルが封印用に収集していたものだ。


 そう言えばここでミッシェルに会った時、ミッシェルは竜をモチーフにした印が刻まれた本を読んでいた。あれはローズウォリック家の刻印。引き出しに鍵をかけてしまっていたことをカイトはふと思い出した。


 確認しておいた方が良いと思ったカイトは、いつもミッシェルが座っていた引き出しのある方に回り込む。


「カイト? どうしましたか?」

「あ、いや…」


 カイトは気づいた。椅子の上に、黒のマントがぐしゃぐしゃに置かれている。ミッシェルが慌てて脱ぎ去ったものかもしれない。シルバーのラインが入っているから、ミッシェルの物だろう。


「ミッシェルのマントが」


 カイトがマントに手をかけた瞬間、モソモソとマントが動いた。


「えっ?」

「カイト、どうした?」


 カイトの驚きに反応して、室内にいる一同がテーブルの周りを囲む。確かにそこにはマントが無造作に置かれていた。


「今、マントが動いたんだ」

「バランスを崩しただけじゃなくて?」


 カミュアが興味津々に覗き込んだ。


「ひっ!?」


 その瞬間、マントがモソモソ動きパサっと床に落ちた。


「「何!?」」


 誰もが目を疑った。


 マントの中から出てきたのは、小さな赤ちゃんだった。背中に黒い羽が生えている。


「何だ?」


 赤ん坊はカイトを見て首をかしげている。目つきの悪い赤ん坊だ。裸んぼうのまま首から丸いアクセサリーをかけている。アクセサリーの方が大きいので、足の上にお守りが置かれていると言った方が正しい。


「こ、このアクセサリー。ミッシェル先生からもらったお守りと同じだ」


 アーリーンはポケットから割れてしまったお守りを取り出し見比べてみる。それはまったく同じ物だった。


「ど、どうゆうこと?」

「それは、僕も聞きたい。この子は誰だ?」

「男の子みたいだね」


 カミュアが赤ん坊の柔らかい頬っぺたをつんつんしながら、攻撃してこないか確認をする。


「カミュア、やめないか。赤ん坊なんだぞ」


 カイトが慌ててカミュアから赤ん坊を取り上げる。カイトの腕に抱かれたとたん、赤ん坊は火をつけたように泣き始めた。


「うわっ。うるさぁ~~いっ。カイトが泣かした~っ」


 カミュアもアーリーンもジェイクも耳を塞ぎ、ことの成り行きを見つめている。そんな中、少し後ろにいたルーナがすっとカイトから赤ん坊を受け取り抱きしめた。

 すると不思議なことに、赤ん坊は泣き止みスヤスヤと寝息を立て始めた。


「ミッシェル…。無事だったのね」

「「「「えぇぇぇぇぇぇ!?」」」」


 ルーナは愛おしそうに赤ん坊をあやしている。赤ん坊もルーナの腕の中で胸に顔をうずめ安心して眠り続けていた。


「ママ!? この赤ん坊がパパ!?」

「ルーナ、そんなわけはないだろ? だって、ミッシェルは本に…」

「えっ? えっ? 何が起きたんだ?」

「ミッシェル先生が?」


 一同は何が起きているのかわからず、右往左往している。


 カイトはいち早く、ウェルキンソンの名前が刻まれた本を確認してみる。確かにこの本にはウェルキンソンと名前が刻まれていた。


「ラウル・ウェルキンソン?」

「え? 誰それ?」


 アーリーンもカイトの持つ本を覗き込む。そこにはしっかりとラウル・ウェルキンソンと刻まれていた。


「ミッシェルのお祖父様ですね」


 ルーナがミッシェルをあやしながら、しれっと答えた。


「「「「えぇぇぇぇぇぇ!?」」」」


 ちょっと待て、悪魔祓いをしたのは確かにマイクとミッシェルだったはず。これはどうゆうことだ? カイトの頭は混乱してきた。


 みなの声で目を覚ましたミッシェルは、ルーナの腕の中でばたばたし始めた。そしてテーブルの上に置かれていたマイクの本に降り立つ。


「あ、ミッシェル」


 ルーナが慌ててミッシェルを制しようとしたが、瞬く間にミッシェルは黒い光に包まれた。


「パパ!?」


 本から湧き出た黒い光が赤ん坊のミッシェルを包み込み、円を描きながら消え去った。


「ケホン」

「ミッシェル?」


 先ほどまで赤ん坊だったミッシェルが、人間界でいうところの5歳児くらいにいっきに成長し、みなの前に現れたのだ。


「思ったほど元に戻れなかったな」

「パパ!?」

「ミッシェル先生!?」


 誰もが茫然と成り行きを見守るしかなかった。しかも男の子は裸のまま本の上に胡坐をかいている。


「カイト、まだ魔力が完全に戻ってないみたいなんだ。服を着せてくれないかな?」

「み、ミッシェルなのか!? お、お前…」

「心配かけたな」


 子どもの体を持つミッシェルがカイトから服を与えられ、テーブルの端にちょこんとこしかけ、ホッと息を吐き出し一同を見渡している。その間、みな聞きたいことは山ほどあったのに、話しかけられない雰囲気の中ミッシェルの行動を見守っていた。


「ミッシェル、何か言うことはありませんか?」

「ルーナ。ごめん」

「パパ…?」

「カミュア、よく頑張ったな」

「酷いよ…。もう会えないかと思ったんだ」

「カミュア、悪かった」


 悪かったって思ってないでしょ! とカミュアにもカイトにもアーリーンにもミッシェルは怒られる。ジェイクはボロボロと泣きじゃくり、嬉しさのあまり大泣きしている。


「ミッシェル、俺は確かにお前を祓ったはずなんだ。どうして…?」


 カミュアがミッシェルに抱きついて離れないから、ミッシェルが少し苦しそうだ。それをみかねたアーリーンがミッシェルからカミュアを引き離そうと頑張っている。


「カイト、いろいろすまなかったな」

「その顔で言われてもな」

「あはは。そうだよな。俺もここまで子どもに戻るなんて想定外だったよ」


 ミッシェルは自分の体を眺めながら話を続ける。


「このプランを発動するのは、万が一にそなえた保険だったんだ。マイクを地獄に送り返せればそれでよかったからな。でもあの時、魔法陣が崩れてしまった。だからお祖父様を召喚して体を借りたってわけなんだ」

「じゃ…、俺が祓ったのは?」

「そう、俺のお祖父様。ラウル・ウェルキンソンだよ」


 ミッシェルはラウルの本を片手に持ち上げ、カイトたちに見せた。


「その時俺はここにいた。でもお前の力は凄かったよ。ここにいる俺の魔力がここまで祓われるとは思わなかった。このお守りがなかったら3冊目がここにあったかもな」

「お前なぁ! 何で僕たちにこのプランについて話しておかないんだ! みんなどれほど悲しんだか!」

「すまない。ほらよく言うでしょ? 敵を欺くためにはまず味方からって」


 カイトはやり場のない怒りと、ミッシェルに再び会えた喜びに震えていた。ミッシェルはすました顔で話を続ける。


「それに、お前の力はやっぱりすごいって話だ。この俺が危うく離れたこの地で祓われるところだったんだからな」

「咄嗟のことで…すまない。そのせいでララも…」

「謝るな。それがお前の仕事だ。そして無事マイクは祓われたんだから。結果オーライだ」


 ミッシェルはお尻の下に敷いているマイクの本をポンポン叩いた。


「ただ、お祖父様にララをくれてやらなければならなかったのが…。悔いが残る。」

「それもお前のプランだったのか…」

「やめてくれ、それ以上は言うなよ。俺もこうすることが正解だったかどうか自信がないんだ。騙し討ちみたいなものだしな。お祖父様もまさか祓われるとは思っていなかっただろう」


 ミッシェルが生きていたことの喜びはあるが、ララを失ったことに改めて気づかされる。


「ララは、もう元に戻せないのか? 別に名前を刻まれたわけではないだろう?」

「そうだな。お祖父様がララを手放してもいいと思えば、可能かもしれないな。でも、俺と違ってお祖父様は女好きだからなぁ~」


 ルーナの冷たい視線を感じて、さすがのミッシェルも言葉に詰まる。女好きの家系を引き継いでいるのも事実なのだろう。


「で、これからどうするんだよ」

「そうだね~。俺が元に戻るまでに時間がかかるだろうし、今回の報告や上への説明も必要だろ?モーリーの復活も阻止しなければならないし」


 ミッシェルはすぐ次の行動に移る勢いだ。そんなミッシェルをルーナがぴしゃりとたしなめる。


「ミッシェル、カイトがどれほど心を痛めていたか、少しは反省しなさい」


 ルーナが一番ミッシェルに伝えたい、みなの気持ちを代弁する。


「あ…。そうだよな。ごめん。俺は生きてる。ちゃんと上に報告もする。査問会議にも出席するよ」

「だから…そうゆう問題じゃ」


 ルーナの怒りが爆発する前にカイトはルーナの肩にそっと手を置く。怒ったルーナはたちが悪い。人間界にも影を落としかねないのだ。


「いいんだ、ルーナ。生きていてくれただけで」


 そういうとカイトはミッシェルをぎゅっと抱きしめた。あまりカイトから感じられたことがない慈愛に満ちた微笑みを見せた。これには誰もが涙する。


「お帰りミッシェル、早く元の姿で戻ってこい。また一緒に酒を飲もう」

「カイト…。く、苦しい」


 パパ…と呟きカミュアがアーリーンの手を握りしめている。後ろから見守っていたジェイクもほっこり暖かい気持ちに包まれていた。

 そんな中、アーリーンは唇を噛みしめ男泣きしていた。カミュアが手を握りしめてくれたことも気づいていないようだ。どこまでも残念なアーリーンである。


「今すぐでも飲めるぞ」


 ゴンっ! 痛っ。


「そうゆう問題じゃないのですよ」


 ルーナがミッシェルの頭にげんこつを落としたのだ。

 そして室内には、ほっこりとした空気が流れた。


 2冊の本は悪魔専属図書室に保管されることになる。マイクの本に鍵をかけ全てが終わった。


「あれ? ライトはこのこと知ってるのかな?」

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