第20話 旅立ち

 アーリーンを先頭に、一同はぞろぞろと図書室の奥にある保管庫に向かった。

 途中にある救護室にはララが治療を受けている。ここでは、物理的な治療と魔力を回復するための治療が行われているのだ。魔力に対しては、悪魔族のチームがストーンの再生を試みているようだが、果たしてどこまで回復できるかは未知の世界だろう。


 救護室の前を通ったところで、アーリーンの足が止まる。今ララはどんなに辛い思いをしているのだろう?ララは体を張ってアーリーンを守ってくれたのに、まだお礼も言えていない。


「アーリーン。ララは大丈夫」

「ルーナ?」


 いつの間にか側にいたルーナがアーリーンの肩にそっと手をかける。


「カイトの聖なる光を受けて、生きていられたのですもの。聖なるモノに敵意むき出しのあの娘だから、ここで消えることは絶対にないわ」

「ママ…」


 褒めてるのかけなしているのか…。なかなか解釈が難しいところだ。


 大丈夫。行きましょう、とルーナはアーリーンの背中を押した。


 後でララに会いに行こう。そして守ってもらったお礼を伝えよう、とアーリーンはそう思った。



 図書室の扉が開く。アーリーンもカミュアも学園の図書室なんて縁がないものだから、その豪華な造りに目を見開いて感動している。


「うわぁ~すごぉ~い。本がいっぱいある!」

「すげーな。悪魔族の図書室もすごかったけど、なんだか展示場みたいだな」


 ジェイクも眼鏡に手を添えて、室内を見渡している。学園にこんな立派な図書室があったこと自体、ジェイクも知らなかったのだろう。


「ここは天地の書物だけでなく、人間界に存在している神や悪魔に関する書籍も集まってるんだ。興味があればいつでも閲覧できるよ」

「カイト先生。こ、これはすごいですね!?」


 悪魔族であるジェイクが神の書物に興味を持っているのも、悪魔嫌いのジェイクならではである。


 カイト自身も学生の頃、ここの歴史の書を時間を忘れ読みふけっていたものだ。そしてよくミッシェルとも神と悪魔、善と悪について語り合った。そんな思いでの場所なのだ。


「ここに呪文の書があるのか?」


 アーリーンが本棚の本のタイトルを読み流しながらルーナに尋ねた。


「いいえ、この先に保管庫があるの。そこに、おそらくミッシェルが保管していた書があるはず」

「パパがそんな大切な本を独り占めしてたの?」


 カミュアが本を手に取ろうとした瞬間、本に噛みつかれそうになっていた。


「げっ? 本が…、僕の指を噛みつこうとした!?」

「カミュア、気をつけて。ここにある本は意志を持ってる。自分を必要としていない者へは触れさせてもくれないんだ」

「早く言ってよ」


 カミュアはあっかんべ~と、本に喧嘩を売っていた。喧嘩を売られている本はというと、大人しいものだ。タイトルを見てみると、「オリュンポス12神の書」と書かれていた。カミュアにはまだまだ神のことを学ぶ資格が足りないらしい。


 カイトはため息をつきながら、保管庫の入り口にあるセキュリティを解除する。


 ここにいるみんなが虹彩認識こうさいにんしきのセキュリティーをパスし、保管庫に足を踏み入れた。


 保管庫は図書室とは違い、重厚な趣のある部屋だった。部屋の奥に大きなテーブルが置かれており、左右に本棚が壁一面に置かれている。


「すげぇ~。ここが保管庫か」

「僕、初めて入りました」

「ここの本も噛みついてくるのかな…」


 キョロキョロしながら一歩また一歩中に入っていく。


 大きなテーブルの奥はガラス張りになっており、人間界が一望できる。そう、ここはミッシェルのお気に入りの場所。そしてローズウォリック家について調べていた場所だ。


 ここで、2冊の本に名前を刻む。それで全てが終わるのだ。


「ルーナ、ここに呪文の書があるのか?」

「えぇ。あるはずよ。カイト、どこにあるか分かるかしら?」

「悪魔族の本だからね。この部屋のどこかに…としか」


 一同は本棚をぐるっと見渡す。呪文の書なるものが、どんな表紙をしているのか、厚さがどのくらいのものなのかすら検討がつかない。この莫大な本の中から、お目当ての本を探すのは至難の業だ。


「アーリーン、この本たちなら知ってるんじゃない?」


 カミュアがアーリーンが抱えている本をつんつんしながらそう切り出した。


「パパならきっとアーリーンに教えてくれるはずだよ」


 カミュアが真剣な目でアーリーンを見つめている。

 どうやって本と会話すればいいのかさっぱり分からない。アーリーンは戸惑いながらも床に本を置き、上から手をかざしてみる。こんなんでいいかな?って感じで。


「…」


 何も…起こらない。


「そう簡単には教えてくれないか」


 アーリーンが諦めかけたその時、ジェイクが叫んだ。


「アーリーンさん! あそこ!!」


 みながジェイクの指さす方向に視線を向けた。その視線の先に、ガタガタ揺れて今にも飛び出しそうな一冊の本が見える。


「アーリーン!」

「あ、あぁ」


 アーリーンが飛び出した本をつかさずキャッチした。その本はぶ厚く、重厚な革の表紙で製本されていた。


「それなんじゃない?」

「う~ん。俺には難しいや。ジェイク…わかるか?」

「ちょっとお借りしてもいいですか?」


 ジェイクはアーリーンから本を受け取り、ページをめくる。本が重たいので、床に置いて覗き込む。


 ピッ、ピピピー。


 電子音がなりシューっと体の埃を払うセンサーが起動している音が聞こえた。


「だ、誰?」


 中にいる一同が、入り口の方を一斉に見つめる。誰かが入室してきた証拠だ。


「ハァ…、みんな。ま、まって…」

「ララ!」


 ララがフラフラな状態で保管庫に入って来たのだ。カイトは慌ててララに駆け寄り手を差し伸べる。ララは救護室で治療を受けていたのではないのか?ここにいる全ての者がそう思ってララの次の行動を見守っていた。


 ララはカイトに抱えられる状態で、ゆっくりとアーリーンとジェイクの側まで歩いてきた。


「アーリーン、無事でよかった」

「ララ…。俺」

「いいの、あなたが無事でよかった」


 ララがアーリーンに微笑む。その微笑みは母親のような優しさに満ちた微笑みだった。いつものパワーみなぎるララとは違い、今にも消えてしまいそうな表情だ。


「私にやらせて。私が名を刻むわ」

「ララ、そんな力は君に残っていないだろ? ここはアーリーンとジェイクにまかせて…」


 カイトがララを支え直す。一人では立っていられないくらい弱っているのだ。


「いいえ。これは私がやらなければ。ルーナお願い。私に名を刻ませて」


 ララがルーナに懇願している。カミュアは何が何だかわからなかったけれど、ルーナとララの間に大人の事情があることを悟り、ルーナの顔を覗き込む。


「ママ…?」

「分かったわ。あなたにとってもミッシェルは特別だったのよね。わかるわ」

「ルーナ、いいのかい? アーリーンでなくて?」

「えぇ。ララにお任せするわ。そして…ララに感謝を」


 本をララに渡すようジェイクに伝え、ルーナはカミュアを連れて一歩後ろに下がった。


 カイトは椅子と本を立てるためのテーブルを用意し、ララをそこに座らせる。


 アーリーンとジェイクはカミュアたちとは反対側の壁際に一歩さがった。本は部屋の中央の床に置かれたまま、名前が刻まれるのを待っている。


「ララ、本当にいいのかい? 君に残された力は残りわずかだ。回復をしていない状態で力を使えば…」

「いいの」


 ララはカイトの手をそっと払いのけ、本のページをめくる。


「これが私の最期の願い。私の力で名前を刻む。カイト、あなたも知ってるのでしょ?」

 

 ララはカイトを見つめ、ふっと笑ったような気がした。すくなくともアーリーンにはそう見えた。


「何を?」

「私はあの方の印が刻まれている。私も器の一人よ」


 えっ? 驚いたのはアーリーンの方だった。だから自分を守ったということなのか!?

 アーリーンの頭は混乱してきた。


「でも、ミッシェルはそんな私を信じてくれた」


 ララはアーリーンの方に向き直り、こう続けた。


「たとえ印が刻まれていたとしても、仲間は自分を信じてくれる。その仲間の為に、自分ができることをやる。それがミッシェルの教え。ミッシェルの目指した姿」

「ララ…」

「カイト、モーリー・ローズウォリックは恐ろしい悪魔よ。人の心だけじゃなくて、我々の心まで簡単に操ることができる。その言葉は魅力的で破滅的。気を付けて。彼が復活すれば、滅びの扉が開かれるわ」


 アーリーンはララの言葉にはっとした。カミュアを手にかけた時、自分の頭の中に直接響き渡るような不気味な声を思い出したのだ。その不気味な声の主の姿も朧気おぼろげながら感じた気がした。


 どこかで見たような男。誰だ? どこかで確かに…。


 そうだ! ジェイクの報告書にあった庭師の男。リチャードだ!


「リチャード…」

「えっ?」


 ジェイクはアーリーンの方を振り向いた。リチャードという名前にジェイクも気づいたのだ。キャリーがはじき出したレポートにその名前があった。


「アーリーンさん?」

「…」


 アーリーンが一点を見据えていたその時だった。ララの声が室内に響き渡った。


「我が名はララ・クリスティン。第2級悪魔族なり。ここに力ある我ら先祖の魂を永遠の眠りに導く!」


 ララの言葉をかわきりに、呪文の書から文字が流れ出て室内をぐるぐる巡り始めた。そしてそれに合わせ、ララは歌う様に呪文を唱え続ける。風が舞い、文字が躍る。

 アーリーンにはララが何を言っているのか聞き取れないほどに、風の音が室内に響き渡った。


「さぁ、あなたの全てを後世に!」


 ララがはっきりと大きな声でそう叫ぶと、宙に舞っていた文字たちが一斉に床に置かれている2冊の本に流れ込む。

 そして、不思議なことに本の表紙・背表紙に燃える様に文字が浮き出てきたのだ。


 それは美しい炎だった。ララのストーンの色と同じ燃えるような赤。ここにいる誰もが見とれていたに違いない。


 ララは、文字が浮き上がったことを確認すると、ぱたりと呪文の書にうつ伏せに倒れた。


「ララ!!」


 カイトとアーリーンがララに駆け寄る。


「気を付けて。奴はすぐ…」


 そう言うと、ララの身体は塵のように燃え始めた。静かな赤い炎に包まれていく。決して熱くなく、周りが燃えることはない。ララだけが燃えているのだ。


「ララ! だめだ。いかないで! 俺、まだありがとうも言ってない!」


 カイトはアーリーンを制する。もう何もできない、とアーリーンの耳元で呟く。


「ララっ!!!」


 ララは微笑んでいた。


「アーリーン、いい男に…なるのよ」

「何だよそれ! 逝くなよ! 俺の指導者だろ? いく…な」


 塵と化したララは、1冊の本の中に吸い込まれていった。


 誰もが無言でララの最期を見届けていた。カミュアも唇を噛みしめ大粒の涙をボロボロ流している。


 カイトはララが吸い込まれた本を手に取る。


 そこには、ウェルキンソンの名前が刻まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る