第19話 最期の時

―― 僕には無理そうだ。お前がいなければ意味がない。意味がないんだ。


 カイトの頬を大粒の涙がつたう。しっかりしなければならないのに、悲しみがカイトに大きな影を落とす。


 大声で泣き叫んでしまえば、少しはスッキリするのだろうか…。

 そんな事を考えていた時、天使族の部下から連絡が入った。


『カイト様、人間界での処理が完了いたしました。これから帰還いたします』


 カイトは現実に引き戻され、涙を拭った。


「分かった。ご苦労だった」


 カイトはゆっくりと立ち上がり、やり残したことを終わらせるため、カミュアたちのいる学園に向かった。


* * *


 ここは中立エリア。いつもならカミュアとアーリーンが仲良くライトのスイーツで盛り上がっている場所なのだが、今は誰もいない。


 ライトは人間界から持ち帰った本をテーブルの上にそっと置き、エプロンを着ける。この格好の方がなんだか落ち着くから不思議だ。


「お帰り。大変なことを頼んでしまって申し訳なかったね」


 柔らかい風と共にカイトが中立エリアに現れ、ライトにねぎらいの言葉をかけた。


「カイト様。ありがとうございます。全ての処理が無事完了し、人間界は落ち着きを取り戻すかと思います」

「そうか…。すまなかったな」


 カイトは疲れ切った顔をしていた。ライトにもその心労が手に取るようにわかる。


 ライトにとってもミッシェルは特別な存在だった。だからカイトのとった行動に対して、少なからず意見を言いたいと思っていた。でも今のカイトを見たら、自分たち以上に辛い気持ちを抱えている様で、何と声をかけてよいかライトは分からなくなっていた。


「カイト様。何かお飲み物をお淹れいたしましょうか?」


 ライトはそう言いキッチンへ向かう。いつもの様に振舞うことが精いっぱいだった。


「いや、大丈夫だ。君も疲れているだろう? 麗羅レイラたちは…?」


 ライトたちと共に行動をしていた、スティングと麗羅レイラの姿が見えな。カイトは心配そうな顔をライトに向ける。


麗羅レイラ様は、大変お疲れのようで、先ほど自室にお戻りになられました。しばらく横になるとおっしゃっておられましたので、今はそっとしておいてさしあげた方がよいかと…存じます」

「そうか、彼女も良く働いてくれたのだね」


 カイトとライトがアイランドキッチンを挟んで話をしていると、ふわりと優しい光の渦が巻き起こり、カイトが今一番会いたくないと思っていたルーナが中立エリアに現れた。


「ルーナ様」

「ルーナ」


 ルーナの目もまた腫れぼったく、泣きはらしたような顔をしていたが、凛とした姿はさすが女神といった貫禄をかもし出していた。


「カイト、ライト。ご苦労さまでした」

「ルーナ」


 カイトはまともにルーナの顔を見ることができなかった。

 ルーナは静かにそんなカイトに歩み寄り、優しく抱きしめた。全てを許す暖かいハグだった。


「ルーナ」

「何も言わなくていいの。何も」


 カイトは心が破裂しそうになるのを、じっと耐えるしかなかった。自分が泣き崩れたら、ルーナやカミュアは誰に怒りを向ければいいのかわからなくなるだろう。そうカイトは思い、ぐっと我慢することを選んだ。


「辛かったですね。ミッシェルも酷い人。あなたにこんな辛い思いをさせるなんて」

「ルーナ」


 ルーナはそっとカイトから体を放し、カイトを見つめる。その目は慈愛に包まれた優しい眼差しだった。全てを許す、神の眼差し。カイトは波立っていた心がゆっくりと穏やかになっていく様な気がしていた。


「ライト。ご苦労様でした。戻って早々で申し訳ないのですが、みなを呼んできて欲しいのです」

「承知いたしました」


 ルーナはライトにそういうと、ライトが持ち帰った本に目線を移した。


「カイト、これですね?」

「あぁ、マイクという邪悪な悪魔のモノとミッシェルのモノだね」

「まだ表紙に名前が刻まれていないようですが…」

「そう、最期の儀式を施してないんだよ。僕にはできなかった」


 そう…。といいルーナは本に手を伸ばした。


 両方とも濃紺、黒に近い色の表紙で製本されていた。悪魔族専用の図書室で見かけた本のカバーに酷似している。


 そうなのだ。天使族に祓われた悪魔たちは、通常完全に消去される。

 それとは別に、悪魔を引退し人生を全うした悪魔は、子孫に魔力を継承し悪魔族の手で生き様を綴った本の中に魂が移される。それを思い出したカイトは咄嗟に本の中に魂を封印する悪魔祓いを選択したのだ。


 この場合、本を燃やすことで完全に悪魔を消去することができるのだが、ただ燃やせばいいということではなく、その儀式には莫大なコストや労力がかかる。少なくとも天使族が好んで本の中に悪魔を封印することはない。


「みんなと一緒に最期の儀式を執り行い、燃やすのではなく表紙を完成させたいんだ。そうすれば名前が本に刻まれ、悪魔族専用の図書室で保管ができるはず」

「そんな儀式、天使族の手で今まで行われた記録はないのよ。無理よ」

「分かってる。だからアーリーンの力が必要なんだ。やってみないと分からないだろ?だからここに持ってきてもらったんだよ」


 カイトは本に指を添えた。指先からも邪悪な気がビンビンと伝わってくる。


 名前が刻まれない限り図書室に保管することはできない。この状態で本が放置され、誤って封印が解かれれば大問題になるだろう。それだけは避けたい。


「2冊っていうところが、厄介ね。ミッシェルのものだと分かれば封印を解けるけれど…」

「そうだね。マイクを解放してしまったら、僕の力ではどうにもならない。あいつはそれほど力を持っていたよ。奴を完全に封印するためにも、本に名前を刻んでしまった方がいい」

「でも、そうしてしまったら、あの人をもう解放することはできないのね」


 難しい選択を迫られ、カイトはカミュアやアーリーンがいつでもミッシェルに会える様に、悪魔族専用の図書室で保管できる道を選択したのだ。


「カミュアたちにも、きっとあなたの気持ちは届きますよ。カイト、いろいろありがとう」

「ルーナ、本当にすまなかった。もっとやれたことがあったかもしれない」

「いいのカイト、謝らないで。ミッシェルの覚悟を分かってあげられるのはあなただけなのだから」


 ルーナの目にも涙が浮かんだ。


「ママ!」


 カミュアの声が聞こえ、エレベーターからカミュアとライトが現れた。続いてアーリーンとジェイクが続く。


「カミュア!」


 パタパタパタと足音を立て、カミュアがルーナに抱きついた。


「ママっ。ママ」

「泣かないでカミュア。ミッシェルが悲しむわ」


 ルーナはひざまずきカミュアを抱きしめる。そして愛おしそうにカミュアの頬を両手で包み込んだ。


「ミッシェルは、あなたを愛していたわ。誰よりも」

「うん。ぐすんっ」

「それを忘れないで。あなたが一人前の天使として活躍することを心から楽しみにしていたの。だからいつまでも泣いていてはダメ。わかるかしら?」


 ルーナも涙を流してカミュアに語りかける。


「ぐすんっ。ママ」


 ルーナはアーリーンの存在にも気づき、側に来るように手招きをした。


「アーリーン。あなたも頑張りましたね。辛い役目をさせてしまって、ごめんなさい」

「ルーナ。俺…、俺がしくったから。ミッシェル先生が…。俺…」


 アーリーンも必死で我慢していた感情が溢れだして、ボロボロと涙する。男としてカミュアの前で泣くことなんて決してあってはならないと誓っていたのに。ルーナの前では幼い子どもの様に、涙が止まらなかった。


「あなたのせいではないわ。ミッシェルが選んだ道なのだから。誰のせいでもないの。もちろんカイトのせいでもないわ。全てはこの世界の均衡を守るため、彼が選んだ道なの」


 ルーナの穏やかで優しい声があたりを包み込む。不思議と心が穏やかになっていく。


 ちーーーーーーーーーん。カミュアが鼻をかんだ音が聞こえた。穏やかな雰囲気が一変し現実に戻された気がしたが、みなの顔にいつもの笑顔が戻ってきたようだった。


「カミュア…」

「あ、ごめん」


 アーリーンの服にカミュアの鼻水がべろ~んとくっついた。きちゃない。と思ったけれど久しぶりにカミュアと話した様な気がしてアーリーンはホッとした。

 マイクの手によって、成人の悪魔の羽が生まれたアーリーンはカミュアとの違いを嫌と言うほど感じさせられていたから、いつも通りのカミュアの姿を見ることができて心から安堵したのだった。


「これから、あなたたちにおこなってもらいたいことがあるのです」


 ルーナは立ち上がりそう切り出した。


「中立エリアにある保管庫で、最期の儀式を執り行いたいの。彼を本の中に完全に封印する儀式を」

「ママ!?」


 皆がルーナの言葉に驚き、息を飲んだ。ルーナはカイトと話をしていた悪魔祓いについて、これから行うことについて細かく語った。その間誰もが真剣に話に聞き入っていた。


 話が終わると、今中立エリアにいる全ての者が希望にあふれた視線をルーナとカイトに向けた。少なくともミッシェルの魂が完全消去されていないことに、誰もがホッと胸をなでおろした。


「カイト。ありがとう! 僕、もう二度とパパに会えないと思ってたっ。ありがとうも言えないのかって」

「カミュア、泣かないでくれ。こんなことしかしてやれなかった僕を許してくれ」


 ルーナも涙をそっと拭く。その姿を見てアーリーンは不安になる。ルーナは確か、悪魔族の手で儀式を執り行うと言っていた。悪魔族として課せられたモノがアーリーンに大きくのしかかる。


「お、俺は何をすればいいの?」

「あ、ごめんなさいね。アーリーンとジェイクには保管庫にある呪文の書を使って、儀式を進めてもらいたいの」

「えっ? ぼ、僕もですか?」


 そうよ? 何か問題でも? って顔でルーナはジェイクを見つめるから、ジェイクは助けを求めてカイトを見つめた。

 見つめられたカイトは、にっこりと大きく頷く。


「さぁ。みなさんの入室許可は貰っているので、行きましょう。カイト準備はいいかしら?」

「あぁ。アーリーン、本を持ってくれないか?」

「あ、うん」


 アーリーンは本を受け取った。ここにマイクとミッシェルの魂が封印されていると思うと、ドキドキする。そして、マイクに手をかざされた時に感じた高揚感を思い出しブルっと身震いした。

 中立エリアにいるせいなのか、背中の刻印は何も感じない。


「アーリーン、僕が持とうか?」

「いや。俺が運ぶよ」

「そうね、ここからは悪魔族の二人が執り行った方が良いわ」


 カミュアは何だか寂しそうだったが、大人しくルーナの言葉に従った。


「ライト、すまないが儀式が終わるまで待っていて欲しい」

「ごめんなさいね」

「いえ。承知いたしました。終わられるころに、何か召し上がっていただけるよう準備しておきます」


 ありがとう。よろしくね、と言いライトをダイニングルームに残して一同は保管庫へ向かった。

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