第13話 アーリーンの覚醒

「待っていたよ。さぁこっちだ」


 マイクは暗いアトリエヘアーリーンを招き入れる。そこには生贄になった8名の少女たちの似顔絵が壁一面に飾られていた。

 中央のリーゼルの前でマイクが振り向きざまに尋ねた。


「分かっているよ。印が疼くんだろ?」

「なっ」


 マイクは奇麗な氷の様な顔でアーリーンを見つめている。

 アーリーンはこの部屋に入ってから背中の刻印が激しく燃える様にマイクに反応しているのを自覚していた。


「君は、同族悪魔族だね。そうなると、妹のカミュアさんも悪魔族といったところか」


 マイクは舐めるようにアーリーンを見つめ、ペロリと自分の指を舐めている。奇麗な顔の男がするからこそ、一層不気味さが増して見える。


「どうしたんだい? 痛みがあるのかな? 汗をかいてるね」

「くっ……」


 アーリーンは立っているのがやっとだった。刻印の内側から熱いモノが、体全体に血の巡りのように駆け上ってくる。額から汗がにじみ出ているのが自分でもわかるほどだ。痛みをこらえるので精いっぱいで、反論すらできずにいた。


 何も答えないアーリーンを、マイクは面白そうに眺めている。


「そうか、まだ君は見習いなんだな? なぜここに来た?」

「し、知らねぇ~よ。そんなの」

「ほぉ~。君は本当の自分の姿すら知らないとみた。面白い」


 マイクは一歩アーリーンに歩み寄る。そしてアーリーンの顎を掴み上げ、片方の手をアーリーンの頭上にかかげた。


「手伝ってやろう」

「な、何を……?」


 マイクの爪がアーリーンの顎に食い込む。

 それと同時に体中の血が勢いよく、背中に向かって流れるような感覚に襲われた。しかも背中の痛みは今までにないほど、焼けるような激痛を伴っている。


「うっ……あぁ……っっ!」

「お前はどんな翼を持っているんだろうな」

「あぁ…………ぁっ」


 たまらずアーリーンは膝をつき、うずくまってしまった。すると、制服の背中の部分がバリバリと破れ始めた。


「いいぞ。あの方の器として真の姿を、私に見せてくれ!」

「あ”ぁぁぁーーーーーーーーーーっ」


 アーリーンの声がアトリエ内に響き渡り、生まれたての鳥のように、体液にまみれ濡れた翼が現れる。そしてまるで鳥が翼を乾かすように、アーリーンの翼が大きく羽ばたいた。


「ハァ……。ハァ……」

「立派だな。いいぞ。これはいい。美しい。いいぞ。私は美しいモノが大好きだ」


 アーリーンは肩で息をし続けている。体の底から力が湧き上がってくるような高揚感がアーリーンを支配する。


「さぁ、お前の手で最後の生贄を私に捧げよ」


 マイクは嬉しそうにアーリーンに命じた。そう……カミュアの魂をマイクに差し出せと言っているのだ。


「アーリーン!?」

「アーリーンさん!?」


 今のアーリーンの声に気づいたカミュアとジェイクがアトリエに飛び込んできた。そこに見たものは、大きな翼を広げて苦しそうにしているアーリーンの姿だった。


「アーリーン!」

「ハァ……。ハァ……。く、来るな。ハァ……」

「どうしちゃったんだよ。アーリーン!」


 カミュアがアーリーンの元へ駆けつけようとしたその瞬間、マイクも大きな黒い翼を広げアーリーンに囁いた。


「アーリーン。れ。我に生贄を差し出すのだ。目の前にいるカミュアを我に」


 その言葉でアーリーンの瞳が赤く光った。そして両手を前に伸ばし、カミュアの首を捉えた。


「なっ。アーリーン?」

「カミュアと言ったな。アーリーンは目覚めたのだよ。本当の悪魔になるべくな」


 ギギギギっ。徐々にアーリーンの手がカミュアの喉を締め付ける。


「くっ……、苦しい……。アー……リ……ン」


 カミュアの顔が苦しみに歪み、マイクは歓喜する。そんな中、アーリーンは無表情のままだ。

 カミュアは耐えきれずアーリーンの腕に爪を立てた時、カミュアの体にも異変が起こった。そう、カミュアの背中からも翼が生まれ出たのだ。


「なっ。お前は、天使族なのか? 兄妹きょうだいではないのか!?」


 マイクの言葉もカミュアには届かないほどカミュアは苦しみに耐えていた。

 アーリーンとカミュアが持っているリングのおかげで、アーリーンはカミュアに触れていられる。だからカミュアが天使として覚醒したとしても化学反応は起きなかったのだ。


「何故だ?」


 マイクには理解できないことが目の前で展開されていく。


「う……や……っ。やめて……。アーリーン」


 カミュアが声を絞り出す。

 アーリーンは手を緩めず腕をゆっくりと上へ挙げていく。そのためカミュアは、つま先立ちにならなければならなかった。


「お前、その翼……。悪魔族でもあるというのか?」


 マイクが成り行きを見守っていると、徐々にカミュアの翼が白から黒へグラデーションを帯びてきた。カミュアの中にいる魂が抜け落ち、全てが黒ずんでいくかのように。


「アーリーンさんっ!」


 ドスンっ。鈍い音が室内に響く。


 ジェイクが勢いをつけて、アーリーンにタックルした音だった。その反動でアーリーンは壁にぶつかり、カミュアは床に投げ出された。

 一瞬の出来事だった。おそらく、ここにいる誰もが何が起きたか理解するまでに時間を要しただろう。


「しっかりしてください! アーリーンさん」


 ジェイクがアーリーンの腰にしがみ付き、涙ながらで訴えかける。「カミュアさんを助けて!」とジェイクが泣き叫ぶ。


「いてっ……」


 痛みがアーリーンに正気を取り戻させた。

 アーリーンは倒れているカミュアに駆け寄るがマイクから激しい蹴りをうけ、左肩に痛みが走る。その痛みがさらにアーリーンを正気にさせることも知らずに、マイクは顔を憎しみで歪め、低く腹に響くような声でアーリーンに話しかけた。


「私の言うことが聞けないというのか? アーリーン」

「もう……お前の指示は受けない。器だかなんだか知らないっ。俺は俺だ!」


 アーリーンはきつくカミュアを抱きしめ、マイクから守る体制をとる。それがマイクの怒りに油を注いだ。


「少し痛い目を見ないと分からないようだね」

「もう、誰も傷つけたりしないっ。お前を地獄へ送り返す!」

「はっ? 笑わせてくれるね。お前にそんな力はない」


 アーリーンはマイクがそう言い終わる前に、飛び掛かった。そして顔面に拳を叩き込む。


 ドスっ。アーリーンの拳がマイクにヒットした。


「ギャァーーーーーーーーッ」


 アーリーンの指にはミッシェルから受け取ったリングがはめられている。それは天使族に触れても化学反応を起こさない魔法のリング。聖なる力を吸収してくれるリング。


 それがマイクの頬をえぐったのだ。ため込まれた聖なる力が放出された。


 綺麗だったマイクの頬はジュージューと音をたて、煙を吐き出しながら溶け始めている。醜く皮膚がただれ落ち、床にポタっと雫が落ちる。


「あぁ……ぁぁ。私の顔が、私の……わたしの」

「お前だけは許せない! 犠牲になったみんなの為にも、俺はお前をぶっ殺す」


 アーリーンは同じ場所にもう一度拳を叩き込む。マイクは頬に手を当て、後ろによろめいた。


「アーリーンさん!」

「ジェイク。ありがとう! 俺はもう大丈夫だ。それよりこれを使ってあいつを、あいつの力を封じてくれ」


 アーリーンは、スマホをジェイクに投げ渡した。そこにはミッシェルから言われた魔法陣を起動させることができるアプリが入っている。このアトリエは狭い。隣の美術室であれば上手く起動させることができるはずだ。


「えっ? 僕わからないです」

「お前ならわかるさ。頑張れ! そして、先生たちを呼ぶんだ。頼んだぞ!」


 マイクはよろめきながら、壁を伝って美術室に向かおうとしている。ジェイクはスマホを受け取り、アワアワするしかなかった。


「早くっ。早く行け!」

「アーリーンさんは!?」

「俺は、カミュアを助けに行く。俺のせいで、あいつの魂はいま地獄にいるはずだ。今なら間に合う。頼む! 俺はカミュアを迎えに行く。お前は先生たちが来るまで奴の足を止めるんだ!」


 ジェイクはアーリーンに大きく頷いた。「カミュアさんを助けてください」と言いマイクを追う。それを見届けたアーリーンは、床に手をつき念じ始めた。


「我が父サタンよ。我が願い叶えよ。我が名はアーリーン。悪魔族アーリーンがここに願う。扉よ開け。そして全てを受け入れよ」


 アーリーンの言葉と共に、床がアーリーンのてのひらを中心にして液状化していく。そしてアーリーンはその波に飲み込まれていった。


―― 待っててくれ。カミュア!

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