第10話 アリスの罠

 礼拝堂には何人かの女子生徒が、有志で行うミラノのお別れ会の準備をしていた。


 この3年の間で不思議な死を遂げた生徒は何人もいるが、今回は学園理事長の孫でかつ学園の生徒会長の大切な幼馴染の死ということもあり、発起人のアリスの掛け声でり行うことになったのだ。


 参加者は制服に黒のベールを被っている。


 礼拝堂にはミラノの笑顔の写真と色とりどりの花束、そしてお菓子などが飾られていた。そして参加者の手には蝋燭と一輪の花が用意されている。


「アーリーン? 大丈夫か? 無理しないで」


 カミュアが礼拝堂の入り口で心配そうにアーリーンを見つめている。


 確かに礼拝堂の中はカイトが言っていたように神の加護であふれていた。神聖な場所であることはアーリーンですら感じとることができたし、足は震え最初の一歩がなかなか踏み出せない。足を踏み入れた途端、激痛とともにこの体が消え去ってしまうのではないかという恐怖がアーリーンを襲う。


「イヤ…。大丈夫、大丈夫だ」


 満面のやせ我慢の笑顔でカミュアに微笑むアーリーン。


 アーリーンは大きく息を吸い込み、礼拝堂に一歩足を踏み入れた。カミュアはそんなアーリーンの腕を軽く支えるように並んで歩く。


 アーリーンの持っているお守りが身体全体を包み込むように強固な結界を生み出していた。アーリーン本人も気づかない程度に、体に膜が張られたようなものだった。そんな不思議なことが、神聖なパワーを跳ね返してくれる。


 この力が、カミュアの父と母であるミッシェルとルーナの結婚生活を成就させていたのかもしれない。


 アーリーンは神の力を感じつつ、まっすぐにアリスの元へ歩き始めた。アリスの表情も見て取れないが、彼女こそ礼拝堂の空気に耐えられないのではないか?と思うくらい、がっくりと肩を落とし涙にくれているようだった。


「アーリーン。気分が悪くなったら言ってよね。僕一人でも大丈夫だから」

「心配しなくても、何ともなさそうだよ。俺もビビったけど、モーマンタイだ」

「良かった」


 カミュアが本当にほっとした笑顔でアーリーンに微笑む。もしかしたらこの礼拝堂でカミュアに愛を誓うことができるんじゃないか!? という淡い期待がアーリーンの脳裏を横切る。


 カミュアはそんなアーリーンの気持ちなんてお構いなしに、ミラノの写真の方へ進んで行ってしまった。おそらく…アーリーンは大丈夫と判ったからだとは思うが、悲しいかなアーリーンは置いていかれた子犬のような顔をしていた。


 ま、仕方ない。これがカミュアなのだ。


 女子たちはミラノとの想い出話を涙ながらに語っていた。アリスも参列者の話を聞きながら、時折涙をぬぐう仕草をしている。そんなアリスは本当にお人形の様に奇麗で美しい所作しょさをしていた。この前会った時よりもさらに美しさが増したような気さえする。


「みなさん今日はお集りいただき…、本当にありがとう。ミラノは本当に素敵な女性でした。幼い頃からいつも私の後ろを追いかけ、何をやるのも一緒に過ごしてきました」


 アリスは参列者の前に立ちミラノとの思いでを語り始めた。

 周りの女子たちはアリスの言葉に涙を流している。


 アーリーンには、全てが茶番に見えた。誰一人心からミラノの死を悲しんでいる者はいないように見える。そんなことを思いながら、アーリーンはカミュアを目で追う。


 そこには号泣しているカミュアがいた。


「えっ? マジで?」


 何故一緒になって泣く? アーリーンは心配になって来た。なにかアリスの術に惑わされているかのような危険な香りがする。


 最後、参加者全員でミラノの魂を神が天国に導いてくれるように祈りを捧げ、お別れ会は終わりを迎えた。多くの生徒が花束を献花台に供え、アリスに挨拶をする。元気を出してねと。それにアリスは小さく頷き、時にはハンカチで涙をぬぐう仕草を繰り返していた。


 残されたカミュアは、まだ泣いている様だった。そのカミュアの背中をそっと支えながらアリスがアーリーンの座っている入り口近くの席までやってくる。


 アリスは黒のベールに黒のレースの手袋をはめていた。そして長く美しい髪は金色に輝いている。本当に人形の様に全てが完璧に見えた。


「アーリーンさん。来てくれてありがとう。ミラノを気にかけてくれて」


 アリスはそっとベールを上げ、アーリーンに挨拶する。まつ毛が涙で濡れ、キラキラしていた。本当にミラノの死を嘆いているのだろうか。

 カイトは言っていた。ミラノはとてもキレイに、まるで映画のワンシーンであるかのように穏やかに美しく整えられていたと。それはアリスのミラノに対する想いから成せられたことなのかもしれない。


 少なくとも、今のアリスの涙を疑いたくはなかった。


「イヤ。声をかけてくれてありがとう。俺たちはまだミラノに出会って間がなかったから。声をかけてもらえるとは思っていなかったよ。それより…君はとても疲れている様に見えるけど?大丈夫かい?」

「えぇ…。どんなに悲しくても、私たちはミラノの分まで生きていかなければ。そうでしょ?」

「あぁ。そうだな」


 カミュアはまだ泣いている。


「アリスさん…。僕…」

「カミュアさんも、ありがとう。最期の日ミラノと一緒にいてくれたって聞きました。本当にありがとう。彼女はいつも一人だったから…」

「ミラノさんは本当に優しかったんだよ。ぐすんっ」

「えぇ。そうね」


 アリスはカミュアのベールを上げ、とても愛しい物でもを見るような熱い視線をカミュアに投げかけながら、カミュアの髪にそっと触れる。

 その目はとても怪しげで美しい。アーリーンは背中がぞくっとした。


「奇麗ね」

「えっ?」

「あ…、いえ…。カミュアさんはとても奇麗な瞳をしているのね」


 アリスは少し寂しい顔をのぞかせ、アーリーンとカミュアを交互に見つめる。


「ミラノから聞いています。学園内の案内をするお約束をしていたのですよね?」

「あ、あぁ。結局実現しなかったけどな」

「それ、私が代わりにご案内いたしましょう」


 アリスは再たびベールをかけ直し、出口へと向かう。


「明日またお会いしましょう。もしご興味があれば、ミラノが残した絵画もありますの。あれが彼女の遺作になってしまったけれど…。彼女はとても絵が上手でしたのよ」

「僕、知らなかったよ」


 まだ会って間がないのだから知らなくて当然だ。そんなカミュアにアリスは振り向き微笑む。


「私たち美術部員でしたの」


―― きたっ。アリスが明らかにカミュアを誘ってる。


「カミュアさんをモデルに絵を描いてみたいわ」

「えっ?」

「あ…ごめんなさい。急に変な話をしてしまいました。この学校にはさまざまな部活動もありますから、明日ご案内させていただきますね」


 有無を言わせない迫力に、アーリーンもカミュアもポカンとする他なかった。さきほどまでミラノの為に涙を流していた人物と同一人物とは思えないほどの女王様ぶりだった。


 二人はアリスの背中が見えなくなるまで、無言でアリスを見送っていた。



「アーリーン」


 カミュアはグイっとアーリーンの制服のマントを掴んで離さない。そしてアーリーンの名を呼ぶ声が、微かに震えていた。


「カミュア、これからは俺から離れるな。もし俺がいない時は、ジェイクかライトの側に。いいね」

「アーリーン?」


 アーリーンはしっかりとカミュアの手を握り、二人は礼拝堂を後にする。


 カミュアは今、この感覚をどうアーリーンに伝えればいいのか、言葉が思い当たらなかった。アリスに触れられた時、心の奥に黒っぽいもやが湧いた様な気がしたのだ。それは今アーリーンの手に触れたことで、心地よく血の巡りの様に体中に広がっていく。


 これはミッシェルが恐れていたこと。カミュアの中で眠る悪魔の血が目覚める予兆。


 ただ、カミュアですらこの感覚が何なのか、今はまだ分からずにいた。

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