第6話 大人の話・大人の事情

 カラン。氷が溶ける音が聞こえる。

 ここは学園の教師達が集まるラウンジ。もちろん中立エリアの中にある。しかし、どの位置にあるかは教師以外誰にも明かされていない。瞬間移動ができる彼らにとっては、入り口なんてどうでもいいことなのだ。


 照明を落とした大人の雰囲気漂うバーカウンター。そこでミッシェルとカイト、大人が二人酒をみ交わしている。今はミッシェルが結界をはっているので、他の教師は入ってこれない。


「どう思う?」


 最初に口を開いたのはミッシェルだった。ブランデーの氷を指で回しながら、いつになく真剣な顔をしている。


「アーリーンの背中、左脇辺りだったかな? ミッシェルも見たか?」


 白ワインを片手にカイトが聞く。


「あぁ」

「お前、アーリーンの印を見たくてあんなことしたんだろ? 悪趣味だな」

「分かってたか。流石に、脱いでくれとは言えないだろ? で、どうだった?」


 ミッシェルはぐいっとブランデーを飲み干す。くっ~。喉に響く。鼻から抜ける深く甘い香りが気に入っていた。人間の作るものはうまい。


 ミッシェルが空のグラスをカウンター奥に滑らす。すると、しばらくして酒が注がれミッシェルの元にグラスが戻ってくる。何杯でも酒を楽しめるのだ。許された大人だけが楽しめる快楽的システム。


 ミッシェルはグラスを揺らしながら、つまみにピーナッツを一粒口に投げ入れる。


「ララは本気でアーリーンを喰いかねなかったからな。その前に確認したかったんだよ」

「アイツも気づいたんじゃないか」

「さぁな」

「アーリーンの印とカミュアの誕生は…何か関係があるのか?」


 ミッシェルはいつになく口が重い。そしてお酒を飲むペースも早かった。飲み過ぎだぞ、とカイトがミッシェルの腕を掴み制する。


「巻き込んどいて何なんだが…。まだ言えない。はっきりさせたいんだ」

「ミッシェル、みずくさいぞ。僕をカミュアの指導者、いや…守護者にしたかったのか? 何が起きてるんだ?」


 ミッシェルはグラスを両手で掴み、グラスに目を落とす。氷が溶けカランっと音がした。


「戦いが始まってるんだ。人間界を巻き込んだ大きな戦いが」

「それって、都市伝説ばりの予言の書の話だろ?」


 ミッシェルが大袈裟に話を膨らましてるんだと考えたカイトは、白ワインを一気に飲み干し、ミッシェルと同じブランディーを選択する。


「そう悠長ゆうちょうにしてはいられないんだよ。カイト」

「うん?」

「人間界のニュースを見てるか?」

「あぁ。やりすぎ悪魔の取り締まりをするのも僕の仕事だからな。ニュースは嫌でも耳に入るさ」

「ははは。悪魔だけじゃなくて、怠慢たいまんな天使の取り締まりもだろ? 悪魔だけが悪いわけじゃない」

「すまない。そうだよな」


 氷がジリジリ溶ける音だけが聞こえる。カイトはミッシェルが話してくれるのを辛抱強くまった。


 ミッシェルは学生の頃から変わった悪魔族だった。

 悪魔も天使もない。仲間を思いやる心が大事なんだと、いつも力説していた。それぞれの仕事を忠実にこなす。その中でどう人間が判断し生きていくのかが大事なのだと。カイトはそんなミッシェルの考え方に賛同した。天使族ではあるが、ミッシェルといると何となく心が落ち着く。天使族の中にも偽善的な考え方の年寄りもいるからだ。

 だから今回、ミッシェルからの誘いにカイトは乗った。ミッシェルの期待に応えるために。


「ニュースを追いかけてるなら、お前も気づいてるんじゃないか?」

「何を?」

「ここ何年かの間で、猟奇的な事件が多発してる」

「あぁ。それは僕も感じてるよ。でもそれは人間が作り出したメディアや道具が多様化してるからだろ?」

「そうであれば良いんだがな」


 ミッシェルはグラスを空にし、もう一杯新しいグラスを用意する。


「飲み過ぎだぞ」

「飲まないとやりきれないことがあるんだよ。お前も飲んだらどうだ?」

「…」


 カイトもミッシェルにあわせて、次のグラスを用意する。


「猟奇的な事件…。悪魔の暴走なのかと思って俺も調べてみたんだ」

「それで? 何か見つかったのか」

「いくつか不可解なことが起きてる。人間界に悪魔が降り立っているんじゃないか。人間に混ざって生活しているんじゃないか。そう思えば辻褄が合うことがたくさん起きてる」

「それって…。そんなこと、あり得ないだろ?」


 ミッシェルは黙ってカイトに顔を向けた。その目は赤く潤んでいた。酒のせいなのか泣いているのか、カイトには判断がつかない。


「俺も最初はそう思ってた。それに…」

「それに?」

「お前もこの前遭遇しただろ? マリアの魂を導いた時に…。強烈な闇のパワーをまとった奴を」

「あぁ、あの時…。あそこにいた悪魔族の男、確かに闇の力が強かったな。誰なんだ?」

「わからない…。最初、お前がマリアを迎えに行くことを知った悪魔族が、嫌がらせで闇の力を放ったと考えたんだ」

「そうじゃないのか?」


「いや…。最初はそうだったのかもしれない。でもカミュアに聞いたんだ。あいつ、一旦いなくなってまた戻ってきたらしい」

「それが何か?」

「はっきりそうだ、とは言えないんだが…。あいつの目的は、アーリーンだったんじゃないかと」

「ど、どうしてそうなるんだ? 飛躍しすぎだろ?」


「お前もアーリーンの刻印を見たんだろ?」

「あぁ」

「あれは、人間界でも都市伝説になっている、モ…」


 カイトはグラスをミッシェルの首筋に押し当てた。冷たいじゃないか! ミッシェルが驚いて、グラスを払い除ける。

 カイトの顔が厳しさを増した。


「それ以上、その名前を口にするな。気色悪い」

「お前もわかったんだろ? 闇の力が威力を増してるって」


 その男、悪魔界でも恐怖の象徴として今も存在している。何百年も前に封印されたはずのその男が復活したとでも言うのだろうか? もし彼が復活を遂げ、悪魔族が立ち上がりさらに強い闇を得たら、人間界を巻き込んで世界の秩序は奪われる。天使族も壊滅させられるだろう。


「あいつは封印された」

「でも、奴の血を受け継ぐものが現れた」


 カイトはミッシェルの胸ぐらを掴み激怒した。ミッシェルからはグラスと同じアルコールの匂いがする。


「そ、それがアーリーンだっていうのか?」

「あぁ。あの刻印が何よりの証拠だ」

「そんな馬鹿な」


 カイトはミッシェルを離し、ぐいっとグラスの中身を飲み干す。


「じゃぁ、何でお前は…、アーリーンを側に置く? どうして学ばせる?」

「どうしてだろうな〜? あいつ、いい目をしてるだろ? 俺はあいつが気に入ってる」

「それが理由か?」


 ミッシェルはカイトにもう一杯、酒をつぐ。


「いや、それだけじゃない。さっきも言ったろ? 戦いは始まってる。奴が蘇ろうとしてる。考えただけで恐ろしいよな」

「お前…」

「俺は、アーリーンが奴の蘇りの道具にされないように、守りたいんだ。アーリーンは、俺が言うのも変なんだが、悪魔族には不釣り合いなほどピュアな心を持ってる」

「そうだな」

「だから、カミュアをアーリーンの側に置いた。何かが起きた時、アーリーンを止められるのはきっと娘のカミュアだけだ」


「そしてそのカミュアを、俺に守ってほしいと?」


 ミッシェルはカイトの方を向き、訴えかける。


「あぁ。その時が来たら、頼む。俺は人間界ではカミュアに触れることができないからな」


 ミッシェルの願いがカイトに伝わった。昔から変わった奴だと思っていたが、ここまで大きなことを抱えているとは…。酔い潰れて寝入ってしまったミッシェルの空いたグラスに乾杯をし、カイトは自分のグラスの残りを一気に飲み干した。



 ミッシェルの結界は破れ、いつしか他の教員が集まるようになっていた。


「お前の願い。一級天使カイトが聞き入れた」


 寝入ったミッシェルの肩に制服のコートをかけ、カイトはバーを出て行った。

 あの場にララがいなかったのは、この話慎重に進めるべき段階だから。とカイトは理解した。

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