第7話 力の差を思い知る

「いててててっっっ」

「おい、大丈夫か? お前、ちょっとの間だけど…固まってたぞ」


 アーリーンが心配そうにカミュアの顔を覗き込んでいる。見慣れた顔だ。悪魔のくせに優しい顔。同期の天使クラスには、アーリーンのファンも多い。スタイルや顔の作りを考えると、一般的にイケメンなんだろう。そんな風にアーリーンを分析したカミュアは回りを見渡す。どうやら、そろそろ本格的な片付けが始まるようだ。


「マ、マリアは? ラミアはどこに?」

「落ち着けって。マリアも、ラミアもボランティアの人もみな、片付けをしてる」

「エリックは?」

「最後に残り物をみんなで分けるんだと。その準備をしてるな」


 アーリーンは、顎でエリックの方をさす。カミュアはもう一度回りを見渡すと、マリアが配給の大きな鍋の側で人数分の器を用意していた。どうやらマリアは無事なようだ。


「良く聞いてくれ。アーリーン」


 カミュアが真剣な顔をしてアーリーンの腕を掴む。


「今日、マリアが死ぬ」

「まだ、そんなこと言ってるのか? ほら、俺たちも帰るぞ。十分ポイントは貯まったんだろ?」


 アーリーンは、ポケットに手を突っ込み出口に向かって歩き出す。


「待って! アーリーン」

「待てない」

「聞いて、僕はさっき先輩天使と一緒だった」

「え?」


「先輩が見せてくれた。マリアの未来を」

「おいおい。そんなことが出来るのは、神に近い天使族。数えるほどしかいない役職についてる奴だぞ」


 そんな天使に指一本でも触れられたら、アーリーンは一瞬で消え去る。それを思い、アーリーンは鳥肌が立つのを感じた。


「マリアは今日死ななければ、近い未来自ら命をたつんだ…。僕は…僕はどうすればいい?」

「カミュア…」


「ラミアを止めることはできないのかな。天使とか言ってるけど…。まだ見習いだけど…。マリアの幸せを願っちゃ…ダメなのかな」

「カミュア…」


 カミュアは唇を噛み締め、涙を必死にこらえている。カミュアが悪魔族であれば引っ張ってでも部屋へ連れ帰り、酒を浴びるほど飲んで忘れよーぜーって言えるのに…。アーリーンはなにも出来ず帰ることも出来ず、時間は過ぎていく。


 カミュアは怒られた子どもの様にボロボロ涙を流し始める。


「おいおい。カミュア、泣くな。俺がなんか‥お前を泣かしてるみたいじゃないか」

「…ひっくっ…ひっくっ」


 オロオロ。アーリーンはカミュアに触れることも出来ず、カミュアの回りをうろうろするしかなかった。


『もうすぐだ。もうすぐ始まる。ラミアの魂は、我々の手のなかだ』

「誰だっ!」


 アーリーンが振り向くと、そこにはさっきの先輩悪魔が笑っている。ニヤニヤした気持ち悪い笑顔だった。年寄りのホームレスの姿をしているがこれが本当の姿ではないはずだ。


 カミュアだけでなくアーリーンも、この先輩悪魔の迫力に動けない。それほど気味が悪い。


『ラミアに手を出すなよ。あの女から俺は呼ばれたんだ。俺の獲物だからな。分かってるよな。縄張りを犯したものは』


 ごくっ。アーリーンの息を飲む音が聞こえる。


『跡形もなく抹消される』


『お前は、見習いだな。いい機会だ、教えてやろう。天使は失敗しても卒業出来なかったとしても、悪魔として堕天使としてやり直せる。だがな…、悪魔は抹殺されたら…』

「ど、どうなるんですか?」


『消される。何事もなかったように、消去されるんだ。リセットされることはない。人間に堕ちることも許されない』

「うっ…」

『良く覚えておくんだな。見習いの坊や』


 先輩悪魔はアーリーンの頬をパチパチと二度叩いたかと思ったら、一瞬のうちにラミアの背後に移動し、カミュアとアーリーンを見てニヤついている。気色の悪い笑顔だ。


 このままだとラミアの魂は確実に悪魔に奪われる。もとより姉の婚約者を寝とった時点で、天国へのパスポートは失効している。


 「マリア、こっちの準備を手伝ってくれないか? カトラリーをセットして欲しいんだ」


 エリックの声が響く。マリアは微笑み、周りのボランティアの面々もエリックとマリアの方に注目している。


『今だよ、ラミア』


 悪魔の囁き。ラミアは鍋に先ほど持っていた小瓶の中身を流し込む。


「ラミア! ダメだーーーーーーーーっ!」


 カミュアはラミアのいる方へ駆け出す。カミュアは、鍋をこぼしてしまえば、皆がラミアに注目すれば、シチューを食べなければ、そんなことを願って叫んだ。

 

 ぐおぉぉぉぉぉん、がぉぉぉぉぉぉん。


 カミュアの声は無情にも先輩悪魔の仕掛けた結界に跳ね返された。



「ダメだ、マリア。それを食べてはいけない。お願いだから…食べないで」


 結界の外ではシチューがみなに配られ、最後の食事会がひらかれていた。誰もラミアの悪意に気づかない。


「マリア、疲れたでしょ? 子どもたちにも大評判のシチューよ。さぁ食べてみて」


 ラミアが不自然にマリアにシチューを勧める。その言葉に皆が操られるように、マリアの一口を期待して見つめている。


「こ、これが‥あの人の力なのか?」

「アーリーン? どうしたの? 震えてるのか?」

「震えてる? あぁ、そうだ。俺は…俺は今、猛烈に怖い」


「アーリーン、しっかりしてよ! この結界を破れるのはアーリーンしかいない」

「俺には無理だ…」

「じゃー、僕が」

「やめろっ。ぶっ飛ぶぞ。下手すれば、みんな巻き沿いを食う」


 アーリーンのこんな顔は見たことがなかった。この結界は破ることが出来ない、とカミュアは思い知らされた。これが本物の悪魔の力。


 結界の外では、マリアがシチューを口にするところだった。


「いただきます。とってもいい香りね」


 ぱくっ。シチューがマリアの口に入る。一口、二口…。




「マリアーーーーーーーーーっ!」




 マリアの手が止まった。周りのボランティアの面々もマリアの異常に気づく。手に持ったスプーンは器のなかにポトッっと落ちた。


「うっ…」

「どうしたんだ、マリア?」


 エリックの声が響く。それと同じくしてマリアが床に倒れ込み、周りが騒然となった。


「きゃーーーーーっ」

「マリア! マリア!」


 救急車を呼んで! と言う人。マリアを抱き抱えるエリックの側で、マリアの脈を計っている人。その中でラミアが立ちすくんでいる。


 するとアーリーンの持つストーンが輝き始めた。


「こ、こんな時に!」


 アーリーンはラミアと同調したつもりは全くなかった。それなのにストーンが反応した。カミュアの非難の目が注がれることを覚悟しなくてはならない。


「アーリーン? なぜ?」

「カミュア、俺は…」


 ストーンがくるくる周り始め、結界を吸い込む。結界の外では生き絶えたマリアの姿が。


「マリア!」


 すると…、本の少しの間の後、マリアの頭上から優しい光が降り注ぎ、天使の羽がヒラヒラと舞い堕ちてきた。周りの人間には見えないらしい。


『マリア…。迎えに来たよ。これで良かったんだね』


 聞き覚えのある声が聞こえる。マリアが望んだ最期だと言うのだろうか…。


 カミュアは今でも納得いかない。でもこの光は優しくて暖かくて、この光に包まれることで全てが穏やかに幸福さえ感じられる。そんな光だった。この光こそマリアにふさわしい。そう思えたのだ。


 マリアの魂はキラキラ輝いて光と共に天国へ旅立っていった。


 あっという間の出来事だった。カミュアは涙が溢れていた。悲しいとか悔しいとかじゃなくて、不思議な涙だった。


 アーリーンは、ストーンの闇の中で難を逃れていた。でもダメージは相当なものだった。


「アーリーン?」


 光のショーが終わり、カミュアは我に返った。急にアーリーンが心配になったのだ。慌てて後ろを振り返る。


「俺は大丈夫だ」

「大丈夫って…ふらふらしてるじゃないか!」

「やめろ、俺に触るな」


 駆け寄るカミュアを制し、アーリーンはよろめく。アーリーンからはいつもの余裕はなくなっていた。

 

「俺のストーン…」

 

 アーリーンが転がっているストーンを手に取ると、ストーンがアーリーンを包み込み、まるで闇のパワーで癒すように輝き出す。カミュアのストーンとは違い、青黒い光を放って。


「アーリーン?」


『可愛い後輩にプレゼントだ。ラミアのポイントをストーンに貯めておいたから。後輩に後で伝えておけ。見習い天使よ』


 どこから不気味な声が聞こえてくる。アーリーンはラミアと同調した訳じゃない。それを聞けてカミュアはホットした。アーリーンとの違い、天使と悪魔の違いを目の当たりにし、楽しい時間はそう長くないことをさとる。


 人間界は慌ただしく、警察も駆けつけている。ラミアとエリックのことも明るみになるだろう。この惨劇の結末を知らない方がマリアにとっては良かったのだろうと、今なら分かる気がする。


 アーリーンが回復するまで待って、二人は寮に戻ることにした。


 復活したアーリーンとは真逆に、カミュアはさっきから黙ってうつむきながら歩いている。寮への入り口が、とても遠く感じた。

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