5-4 くたばれ、クソッタレ

「――ようやく予定通りの贄が揃った……これで、また、始められる。我らが神の降臨の」


 ニール――から生えた生首――が何か言っているのを――

 スカーレットは、だが聞いていなかった。


「――マスターキー!!」


 絶叫と共に魔具を励起する。ただしいつものように、身の丈以上の戦斧にはしなかった。室内での取り回しを意識して普段の半分ほどのサイズだが、それでも子供が握るには十分に大きい。

 それを手に駆け出し、出来うる最速で敵に飛びかかる。

 力任せに叩きつけた一撃を、だがニールは受け止めてみせた。いつの間にか抜いていた剣で、振り下ろした斧を受け止める――ただし片手でだ。

 ニール自体は口も半開きで、起きているとも思えない顔をしていたが。嘲りはその隣から――首から生えた生首から放たれた。


「おうおう、此度の贄は血気盛んではないか……やはり、“いつも”と違う。お主の身に、何があった……?」

「知らねえな。テメエのこともだ……!!」


 歯を軋らせながら全力で押すが、びくともしない。いくら“彼”に戦闘経験があろうと、所詮は子供の膂力だと思い知らされる。

 だからこそ付き合わず、スカーレットは斧を押す手から瞬時に力を抜いた。拮抗していたバランスを崩し、長身の敵の真下に潜り込むように一歩を踏み込む。

 心臓狙いで放った拳は、だが余裕をもって後ろに跳んだことで避けられた。更に間合いを取るように二歩、ニールは後ろに跳ぶ。


 先ほどまでの操られた男たちとは様子が違う。やはりあの生首が直接ニールの体を動かしているのだろう。ただし、動きは完全に一線級の騎士のそれだった。

 生首の表情はわからないが、おそらくは笑っているのだろう――嘲りを声に滲ませながら、それでも不思議そうに首を傾げる。


「ふむ……見た目には、変わらない。魂の質も。だというのに、この変わりよう……わからぬな。この期に及んで、どんな可能性を手繰り寄せたと……?」

「ジークフリート」


 独り言を放つ敵を睨んだまま、スカーレットは少年の名を呼んだ。

 そして一瞬だけ、スカーレットは視線を床に落とした。先ほどまでここはニールがいた場所だが。傍らにはツェツィーリアが、ぐったりと倒れ込んでいる。


「す……ぁ、れ……」


 気絶しているのかとも思ったが、違った。彼女には意識がある……熱にうなされているときのような、焦点の合わない瞳がスカーレットを見ていた。

 弱々しく呟かれたのは、スカーレットの名だ。怯えている。だがもはや泣けないのだろう――ツェツィーリアは何かされたのか、傍目に見てもそうとわかる程衰弱していた。


 できることなら、笑ってやりたい。だがきっと、今の“彼”には笑えない。こんな表情を見せるわけにはいかない。

 だからジークフリートに、手短に続けた。


「時間がない。ツェツィーリア様を背負え」

「あ、ああ」


 ようやく、ジークフリートが動き出す。彼の行動はこの中では最も緩慢ではあったが、それでも誰にも邪魔されなかった。

 ぐったりと力のないツェツィーリアの体を、どうにか背負う。それを気配だけで見届けて――彼にだけ聞こえるように告げる。


「そしたらそのまま、とっとと逃げろ」

「で、でも……お前は……?」


 不安と恐怖に滲んだ躊躇いを聞きながらも。注意は一瞬もニールから外れなかった。

 血の沸騰を心臓の鼓動で感じる。昂揚とは違う――これまでの敵とも違う。一度戟を交わしただけだが、それだけでわかるものもある。仮にも近衛騎士としてあの若さで召し上げられた男だ。ニールは気を抜いて戦える相手ではない。

 この体では、勝てるかどうかわからない敵だ。ひりつく肌の震えを隠しながら……囁く。


「オレはこいつをやってから行く。だから、先に行け」

「そ、そんな……ボク一人で……?」

「しっかりしろ! 兄貴だろうが!!」


 声を荒らげれば、それ以上ジークフリートは何も言ってこなかった。

 だから邪魔をするとすれば、それはやはりニール――いや、生首だった。


「おっと……そうはいかぬ。やらせぬよ……」


 言うなり、ニールは手をかざした。スカーレットにではない――それより遠くにだ。

 キィンと異質な、何かが唐突に固化する音。ハッと背後を振り向けば――飛び込んできた入り口を、半透明な幕が塞いでいる。

 慌ててジークフリートが幕を叩くが――


「なんだ、これ――びくともっ……!?」

「逃がさぬ。もう待てぬのだ」


 その声だけは――

 生首の語るその言葉だけは、嘲りの気配はなかった。感じ取れたのは焦燥の気配だ。恐れている。何かを。

 その声音でもう一度繰り返す。真に迫った怖れを滲ませて。


「これ以上の予定の遅れは、あの方を怒らせる……もう、遅れるわけにはいかぬのだ……」

「……そうかよ」


 低く唸るように、スカーレットは囁いた。

 正直なところ、どうでもよかった。相手の事情などというものは、何もかもがどうでも。

 これ以上聞く価値がないとわかった。だからもう、“スカーレット”にとってその男がなんだろうとどうでもよかった。


 ――だからスカーレットは飛び出した。


 腰だめに斧を構えて突撃する。主導権はこちらが握る、そのためにこちらから仕掛ける必要があった。

 ニールは剣を構えていない、ように見せて、誘っている。まだ剣は無造作に垂れ下がったままだ。戦闘態勢には見えない――


 だが。


 間合いに踏み込んだ瞬間、剣は蛇のように跳ねた。

 下方から上方へ、鋭く伸びあがってくる。恐ろしいのはそれが手を軽く振っただけにしか見えなかったことだ。なのに異様に早い――必殺の威力がある。攻撃の技量は確かに騎士のそれだった。


 一撃を盾のように斧で受け止めて、スカーレットは更に一歩踏み込んだ。

 徹底したインファイトを相手に強いる。完成した体格の大人にちっぽけな子供の体重で挑むのは無謀であったが、一方でスカーレットが見出した勝機もまたこの距離だった。


(長期戦は望めない――急所を貫いて一撃で仕留める!!)


 斧は武器としては使わない。左の貫手で眼球を狙った。

 騎士の定石にはない邪道の一撃。ニールは大げさに体を仰け反らせた。それで貫手は回避したが、体勢を崩して反撃に持ち込めなかった。


 その隙に今度は斧の石突で刺突を放つ。心臓狙い――に見せかけたフェイント。途中で軌道を変え、ニールの太ももを狙う。ニールはこれも、大げさに剣で叩き落とすことで回避した。フェイントに釣られ、最小の防御に失敗した。ニールはたじろぐ様に一歩下がる。

 追撃のために踏み込もうとすれば、更にニールは後ろへ下がった。下がり際に一薙ぎして、スカーレットの接近を拒絶するが。


(今の動きは、騎士の動きじゃない――格闘戦には慣れていない?)


 その動きで悟った。

 おそらく生首は、体の使い方は自身のものにできるのだろう。ニールの動きをニールとして再現できる。だが実際の戦いに臨んでいるのはニールではない――生首だ。だから体の覚えた型の通りに攻撃は出来ても、咄嗟の防戦では一歩遅れる。

 これは隙だ。本物の騎士を相手にしなくていい。勝負勘がただの素人なら、大人と子供の力量差でも覆せる――


 だが。


「我らが姫よ。何を勘違いしているのか知らないが……」


 ニールから生えた生首が、苛立たしげに囁いてくる――


「お主、自分が殺されないとでも思っているのかね?」


 刹那、ニールは逆襲に転じた。

 床を踏み砕くほどの脚力で。数歩分の距離を一歩で詰め寄ってくる。まばたきほどの余裕もないその一瞬で、既にニールは目の前にいた。

 必殺の距離で、上段から容赦なく振り下ろされる一撃。受けていれば、斧ごとスカーレットは潰されていただろう。右足を軸に回る咄嗟の体裁きで、スカーレットは剣の右方に体を滑らせた。


 次いで下方から胴を狙う横薙ぎ。斧の腹で受けながら、スカーレットは逆らわずにその場から跳んだ。

 相手の膂力がスカーレットの体を吹き飛ばす。ゼロ距離から引きはがされ――更にまだ終わらない。一歩で三歩分の距離を追いかけてくる。地に足をつけた時には、すでに敵は次撃を構えている。


「ちッ――」


 刺突、横薙ぎ、振り下ろし――嵐のように続く連撃を敵の懐でどうにか避け続けながら、スカーレットは舌打ちした。切り結ぶなどというものではない――どうにか最小限の回避で敵の攻撃をやり過ごし、その度に頬を、腕を、足を、薄皮一枚切り裂かれ続ける。

 この攻勢をニールが続ける限り、スカーレットは反撃できない。そしてひとたび防御をミスればスカーレットは負ける。

 だからだろう、嬲るように生首が叫んだ。


「死ななければよいのだよ――その瞬間までは!! お主を倒し、ガキを引きずり倒して贄を取り戻したら、それで終わりだ!! この程度は余興にすぎん――」


 そうして繰り出される横薙ぎの一撃を――

 スカーレットは、受け損なった。


「――くっ!?」


 力任せの一撃に、体ごと後ろへ吹き飛ばされる。今度は自分から飛ぶことすら間に合わず、受け身も取れずに床に落ちた。

 衝撃を殺さず床を回転して立ち上がるが――この隙が致命的なものだと、スカーレットは気づいていた。

 腰だめに剣を構えたニールが、贄を串刺しにしようと一歩を踏み出す――


 その、刹那。


「――ニール――」


 ハッと叫びに振り向けば、ジークフリートがこちらを――いや、ニールを睨んでいた。

 ツェツィーリアを背負ったまま、弓のように片腕をかざしている。

 力を突きつけるようにして、彼は叫んだ。


「お前は、止まれ……!!」


 そして吹き荒れたのは、風だった。無風の風――だがひとたび呑まれれば心を蝕む。

 クリスタニアの王族が使えるとされる加護の力。相手の心に干渉し、敵に恐怖を植え付ける――“畏怖”。本気で力を使えば、誰もが身動き一つできなくなるとジークフリートは言った。

 果たしてその一瞬、確かにニールの動きは硬直したようだった。神々から授かったという加護の力が、ニールと生首の心を縛り付ける――


 だが。


「効かぬ――効かぬわ!!」

「なっ!?」


 金縛りを一瞬でほどくと、生首はジークフリートに獣のように吠えた。


「その出来損ないのような加護で、儂をどうにかしようだと!? 驕るな! ただの小童風情が!!」

「そんな……どうして……!?」

「聖なる龍などと驕りおって――同格なのだ!! 我らの崇める神と、貴様らの崇める神は!! その末裔ごときがこの程度で儂を止めると!? 笑わせてくれるわ!!」


 ジークフリートの畏怖を完全に無効化して、ニールは勝ち誇る――


 ――その隙を、スカーレットは逃さない。


(勝機は、今!!)


 止まったその機先に、スカーレットは飛び出した。

 踏み込みの音は二つ。スカーレットだけではなく、ニールもこちらの動きに即応して踏み込んでくる。敵が油断していなかったことはそれで悟った。

 だがスカーレットは構わなかった。


(相手より速くある必要はない――)


 これは邪道の戦術だ――戦闘の素人にはわかるまい。

 だから、スカーレットはわざと踏み込む二歩目を緩めた。

 表情のないニールの隣で、機先を制したと男が笑う――


 その一撃。こちらの心臓か、肺か――どこにしろ、刃が内臓に突き立つまでの、その一瞬。


 突き出された刺突の軌道に、スカーレットは左腕を添えた。


 盾はないが――その一瞬に左手で、剣を跳ね上げて軌道を変える。

 左腕を盾にした決死のパリイ。滑る刃が前腕を深く裂きながら――それでもスカーレットを殺せない。


「――は?」


 激痛に苛まれながら、スカーレットは笑った。


「くたばれ、クソッタレ」


 そして振り抜いたスカーレットの斧が、ニールの体ごと男の生首を斜めに裂く。


「……――――――ッッッ!!」


 悲鳴は――すぐには聞こえてこなかった。嘲笑も。哄笑も。

 ただ激痛に引きつる呼吸の音だけを聞き――そして。


 失念していた。相手は騎士の体を借りているだけで、


(しまっ――!?)


 刹那。


「貴様――貴様ああああっ!!」


 突き抜けた衝撃が、スカーレットの意識を粉々にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る