5-3 チクショウがっ!!

 死人のような人間。その全てがばっとスカーレットたちを見た――

 それが何を意味するのか。床に転んだ姿勢のまま、スカーレットは悲鳴を上げた。


「気づかれたっ!?」

「お前が大声出すから!?」

「お前が倒れなきゃよかっただろが――んなこといいからさっさと立て!!」


 矢継ぎ早に言い合う。だがその間スカーレットが見ていたのは敵だ。感情のなかった目に意志が――と言うほどきれいなものでもなかったが――宿る。

 眼球だけをギョロつかせてこちらを見た男たちが、次に何をするのか――

 ダッとこちらに駆け出す敵たちを前に、スカーレットは悲鳴を上げた。


「逃げるぞ!」

「どこに!?」

「奥行け奥!! 訓練場の方! 階段見つけてとっとと上れ!!」


 決めたら後は躊躇わない。即座に二人は元来た室内を逆走した。ただし牢屋のほうには向かわない――そちらに逃げ道はない。

 告げた通りに、階段は訓練場の先にあった。必死にそちらに向かいながら、ジークフリートが叫ぶ。


「なんで階段なんだ!?」

「十人も一気に相手できるか! 狭い通路で一人ずつノすんだこういう時は!!」


 ジークフリートを先に階段へ向かわせながら、スカーレットは肩越しに背後を振り向いた。

 夜目が利くとは思えないのだが、敵はよどみなくこちらに殺到してくる。恐ろしいのはその表情が見えたことだ。目には感情の色も見えないのに、涎を垂らしながら猛追してくる。


(捕まったらどうなるかわかったもんじゃねえな――連中、操られてるだけなら殺すわけにもいかねえし! 冗談じゃねえっつーの!!)


 駆け様に足元の石片を拾うと、スカーレットは最も近づいてきていた男に投げつけた。顔面狙いの一撃は、どうやら眼球に直撃したらしい。痛痒を受けたようには見えなかったが、視界が狂って男は転倒した。それにつまずいて二人ほどが更に転倒する。


 先頭の男が転んだのだから、通行の邪魔にはなるはずだ。それで稼いだ時間のうちに、スカーレットも監視塔の階段にたどり着く。階段は螺旋状に上へと続いているが、幸運なことに幅はそう広くはない。

 不安なのはやはり老朽化が進んでおり、壁も足元も石材が砕け始めていることだが。


(上ってる途中で足元が砕けたら終わりか――体重が軽くてよかったなんて思う日が来るとはな!!)


「おい、後ろっ!!」

「――っ!!」


 反応できたのは、間違いなくジークフリートのおかげだった。

 咄嗟に横に跳んで――壁に激突しながら――一撃を避ける。元居た場所を通り過ぎたのは剣だった。剣は鞘に納められたままだったが、当たっていれば最低でも内臓がダメージを受けただろう。それほどの速さだった。


(もう追いついてきやがった!?)


 突き出された剣を持つ手をねじって男を壁に叩きつけながら、スカーレットは驚愕していた。最初に転ばせた男が通行の邪魔になることで稼げると思っていた時間がほとんどない。

 見る余裕はなかったはずだが、どうして時間が稼げなかったかは視界の内に写っていた。


 最初の男――とついでに他二人――はまだ倒れたままだ。彼らを避けることで、追撃を遅らせられると考えていた。

 だが敵たちはよりにもよって、倒れた男たちをそのまま踏みつけながら、最短の距離を詰めてきたのだ。


「こいつら、仲間意識がねえ……!?」


 心を操る? これはそんなレベルではない――心すら消してしまっている。

 舌打ちしながら、スカーレットは男から剣を取り上げた。さらに男の腹を蹴り押して後続の邪魔をする。仲間の体をぶつけられて、後ろにいた男はそのまま階段を転げ落ちていく――が。

 やはり後続は仲間のことなど気にも留めない。落ちてきた男二人を乱暴に押しのけ、次が眼を血走らせて追いかけてくる。


(こんなの付き合いきれるか!)


 内心悲鳴をあげながら、スカーレットは男たちに背を向けた。一応は稼いだ距離がある間に、必死に階段を上る。

 ジークフリートは途中で待っていたらしい。こちらが逃げてきたのを察すると、彼もまた階段を駆け始めるが。


「お、おい……大丈夫か?」

「何を心配してるかによる。ひとまず今は上まで行くぞ。プラン変更だ。そこまでは考えがある」

「じゃ、じゃなくて、お前は――」

「黙ってろ。舌噛むぞ」


 その先に何が続くのかを察して、スカーレットは冷たく言葉を差し込んだ。


(大丈夫か、なんて訊かれたら頷くしかねえだろうが。やせ我慢にも限界があるぞ)


 あとは無言で階段を上った。

 屋上に飛び出せば、広がっているのは闇色の大地の景色。

 かつてはここから見張りが周囲を警戒していたのだろう。こんな状況であっても見晴らしは抜群によかった。深い森に遠くにある大河、緩衝地帯とされている平原、ゾルハチェットだろうぽつぽつとした明かり、その全てが月明かりに照らされて見える。

 こんな時でなければ、見入っていたい景色だった。自分が――いや、“スカーレット・メイスオンリー”が育ってきた大地……


 悲鳴のような詰問が、物思いを中断させた。

 

「おい、この後どうするんだ! 逃げ場は――」

「ないなら作るさ」


 問いには手短に答え、スカーレットは欄干に近寄った。欄干と言っても膝ほどの高さの仕切りだ。昔の人間は、ここからうっかり人が落ちるかもなどと考えもしなかったらしい。


「おい、もうすぐ来る!」

「わかってるよ。だから先に、もう一度言っておくぞ」


 時間はもうない。それがわかっているから――

 スカーレットはむんずと、ジークフリートを腰から担ぎ上げた。


「な、あ、ちょ――おい!?」

「黙ってろ。舌噛むぞ」


 やはり、また冷たく告げて――


(さあて――度胸試しと行こうじゃないかっ!)


 スカーレットは、そのまま塔を飛び降りた。


「ひっ――――」

「――マスターキーっ!!」


 瞬間、魔具は世界に輝いて姿を変えた。

 小さな鍵から薄く広く、傘のように花開く。

 落下傘だ。ただしこの使用方法は“鍵”として正規の用途ではない。だからこそ、落下傘はそこまで大きくならず――落下の勢いは加速を続ける。


「~~~~~~~~ッ!?」


 ジークフリートの声にならない悲鳴。風を切る音。その冷たさ――全てを体感し、そして地面に足がつく。

 全身を貫く衝撃に、スカーレットは悲鳴を上げた。歯を食いしばることだけで全てを耐え抜く。足から頭へと衝撃が貫いて……消える頃に、ようやく目を開く。

 幸いなことに、足は折れていなかった。全身が軋んでいるが、怪我もない。死を覚悟するほどの落下速度だと思っていたが、体感以上に落下傘はうまくいったようだ。

 担いでいたジークフリートはといえば、目を真ん丸に見開いている。手を離すと地面にべしゃりと落ちたが、息も絶え絶えに言ってきた。


「し、死ぬっ……!? 死ぬ……かとっ!!」

「大袈裟だな。文句言うなよ、結果オーライだろ?」


 幸いにも舌は噛まなかったようだ。それに苦笑すら覚えながら、肩をすくめると。


「ど、どうしてそんな、ケロッとしているんだ……!? し、死にかけたんだぞ……!? そ、そもそも先に何をするか言え!?」

「時間なかったんだよ。別にいいだろ死んでねえんだから。死にそうな目に合って死ななかったんだ、小躍りして喜んでろよ。死ぬよかマシだ」

「……お前、本当にどんな人生を送ってきたんだ?」

「うるせえっつったろ。それより……」


 と、スカーレットは元来た塔の頂上を見上げた。屋上はここからでは死角となって、見通すことはできないが……

 いくら待っても、敵たちが屋上の欄干に近寄ってくることはない。それで予想通りだと察した。


「やっぱりな。連中、想定した範囲内の命令しかこなせないんだ。オレたちを見失って、次の命令がないから行動できないでいる……それか、与えられた命令が単純すぎて、次の行動に移れないでいる」

「命令……ボクたちが逃げ出したら、追いかけて捕まえろ、とかか?」

「たぶん、もうちょいヘボいな。視界の中にオレたちがいたら捕まえろとか、そんなんだ。知能はそんなに高くねえな……」


 心を操る術と聞いて身構えていたが、実態はそこまで便利でもなさそうだ。何でも言うことを聞かせられると聞くと恐ろしいが、そこまでの柔軟性はない。であれば相手にとって予想外の手を打てば無力化できる。

 出し抜くのに苦労はしないだろう――あのニールとかいう騎士に出会わない限りは。


「それより次だ。連中は撒いたが、次はどうする?」

「つ、次?」

「逃げるか、隠れて助けが来るのを待つかだ。連中、あの通りに単純だからな……案外、城の中に隠れてた方が見つからずに済むかもしれねえぞ」

「……さっき、外に出ればよかったんじゃないか?」

「外は地面が中庭より低いんだよ。片手でお前持って、片手で落下傘掴んで、もし手を滑らせたらどうすんだ? この際先に言っとくが、お前と落下傘のどっちを先に手放すかっつったら、まず間違いなくお前だぞ」

「……生き残ったら抗議してやる」

「へーへー、お好きなように。まあどうしようもなくなったら、本気でそうやって逃げるしかねえんだが――」


 と。


『ダメ……』

「――……」


 不意に聞こえてきた声に。

 スカーレットは束の間、呼吸を止めた。


「……おい? どうした?」


 訊いてくるジークフリートには手をかざすことで間を取って、虚空を睨む。

 何もないはずの空に――だが手を伸ばせば届きそうなほどの距離に、人影が一つ浮いている。

 

 そこにいたのは、いつもの通りにあの女だった。赤い髪、赤い瞳、赤いドレスの、自身の相似形。超然とした美しさの、赤い女――


 レディ・ローズレッド。

 スカーレット・メイスオンリー。


 自身と同じ名を口の中で転がしながら、“彼”は軋るように問いかけた。


(よお。随分と出てくるのが遅かったじゃねえか?)

『…………』

(さっきのダメって、どういう意味だ。ここから逃げるなって、そう言いたいわけかお前は?)


 女は――答えない。

 何を考えていきなり姿を現したのか、それさえも言わない。その様子に苛立ちを噛みしめる。

 心がささくれ立つのは、勝手とはいえこの女を読み違えたことだ。時折見せた、思い詰めたような表情。邪神の花嫁などなりたくなかったと、言外に語っていたその顔に、思わず絆されかけていたが――

“彼”は噛みつくように念じた。


(あーあーそうかい。結局お前は“そっち側”か。そうだよな、元はといや、そのためにオレを“こんな風”にしたんだからな。だが生憎だな、この際だからハッキリ言うぞ――オレは、お前じゃない。お前の望むとおりになんて――)

『――違うっ!!』


 唐突に言葉を――それも激情を伴った強さで遮られて。


「…………?」


 その時初めて、“彼”は女の表情をハッキリと見た。

 女は、泣いていた。はらはらと、涙をこぼしながら――それでも、“彼”から目を離さずに。

 堪えていた何かを吐き出すように――泣きながらも、まなじりを吊り上げて叫ぶ。


『迷ってた。もう、何も変わらないからって。もう、どうしようもないからって……だけど、あなたが、言ったから――言えば、やってくれるって!!』


 その姿に、しばし呆然と“彼”は女を見入った。

 それは正確には“彼”が言ったのではない。言えばやってくれるのかと、そう女が訊いたのだ。その時には、“彼”は答えなかった。

 だというのに、今はそれにすがるように。感情の勢いが続かなかったのか、項垂れたままに言ってくる。


『お願い、聞いて。私には……私の時には、できなかった。私の時には、可能性が与えられなかったから……あの人と、あの子を救えるだけの可能性が……』

「…………」

『初めて、手が届くかもしれない。これがたぶん、最初で最後の……』


 女は一気にまくし立ててくる。“彼”には理解できないことを――あるいは、女にはできなかったことを。

 そして、女は小さく答えた。

 “彼”が今、逃げてはならない理由を――


「そう、いうことを――っ!!」


 咄嗟に思い浮かんだ言葉は。

 誰にぶつけていいものかすらわからない、この言葉だけだった。


「――チクショウがっ!!」

「あ――オイっ!?」


 ジークフリートの悲鳴を置き去りにして、スカーレットは駆け出した。

 中庭を突っ切る。もしかしたらまだ他に見張りが残っていたかもしれないが、もはやそんなものはどうでもよかった。それどころではない――本当に間に合わないかもしれない。


 ようやくわかった。何をかといえば、昨日女が迂闊に口にした言葉の意味をだ。そして“彼”も、迂闊に聞き逃した。

 スカーレットがさらわれたあの日。あの湖の前で、女が言った言葉があった。私たち”が邪神の生贄に選ばれたと。

 その言葉の意味を、真剣に考えていなかった。あの時は特に気にせず、聞き流した。それこそが致命的なミスだった。


 目指したのは、礼拝堂だった。かつてカールハイトから独立したばかりの頃、故郷の教えを説く場所として用意されていた。今もなお、築城の際には用意されることがある。そこに入るのがカールハイト国教でなくとも。

 城主の居館の隣に築かれた、砕けたステンドグラスの館――


 閉ざされていた扉を、スカーレットは蹴破った。


 扉は粉々に吹き飛んで、室内に月明かりを取り込む――だがそんなものなど必要なく、その中は煌々と照らされていた。壁に立てかけられた燭台、頭上で輝くシャンデリア――それら全てのろうそくの明かりで。

 そこは祈りの間だった。ただし、本来なら信徒たちが座るはずだった椅子は既にない。明らかに邪魔だったからだろう――何の邪魔かといえば、これから行うことのだ。儀式の。


 がらりと開かれたその床に、陣が描かれている。びっしりと描かれた血の文字で真っ赤に染まった、魔法陣。

 その真ん中に、ぽつんと人影がある。血の気のない顔で、力なく床に横たわる、美しい少女……

 後ろから追いかけてきたジークフリートが、彼女の名を叫んだ。


「――ツェツィっ!?」


 そして彼女の傍に控えていた敵が。


「随分と……遅かったではないか? ええ? 我らが姫君――いや、贄よ」


 ニールの首から生えた……顔のない老人が、薄気味悪く笑っていた。

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