5-2 おい待てバカッ!?

「……兵士詰所か? ここ」


 牢屋は地下にあったらしい。階段からそっと顔だけ出して、スカーレットはぽつりと呟いた――まあ牢屋をどこに置くかを考えた場合、兵士なり警察なりが近くにいる場所が妥当だろうが。

 牢屋が暗かったのは明かりが少なかったからだが、兵士詰所が暗いのは既に時間帯が夜だったからだ。隙間から差し込む月の光が、周囲を淡く照らしている。

 隙間――そう、隙間だ。兵士詰所の壁はレンガ積みで作られていたようだが、長い年月の中で風化したのか、ところどころ砕けて隙間ができていた。

 鼻をひくつかせれば、石とも砂とも埃ともつかぬ、老朽化の匂いがかぎ取れる。ここが放置されていた期間は、ちょっとやそっとではなさそうだ。


 背後のジークフリートを手の仕草だけで呼びながら、スカーレットはそっと先へ進んだ。

 詰所の間取はシンプルなようで、酒場のようにも見えなくはない待機所と、その奥にある訓練場兼武器庫、そして牢屋に続く階段を隔離するための小部屋しかない。

 訓練場のほうには、上へと向かう階段があったが。おそらくは監視塔への階段だろう。ここが本当に兵士詰所なら、周囲を見張るための塔があるのが普通だ。


 辺りを警戒して、スカーレットは二つ悟った。一つ目は、周囲に人の気配はないこと。

 もう一つをスカーレットは呟いた。


「……もしかしてここ、ガルグイユ古城塞か?」

「……どこだ、そこは?」


 辺りをきょろきょろと見回しながら、ジークフリート。その姿は警戒というよりは、オバケが出ないか怯えているようではあったが。

 声を潜めながら、スカーレットは囁いた。


「大昔に諸事情あって、破棄したままほったらかしにしてた砦だ。解体するにも金がかかるってんでな。前線も今の緩衝地帯――カールハイト側に移動したから、戦略拠点としての使い道もなくなった。今となっちゃあ、ただのでっかい廃墟だよ」


 ゾルハチェットと同時期に建てられた戦略拠点だが、こちらはゾルハチェットほど大きくはない。当時の貴族たちが生活用の拠点に使っていた、一応は攻め込まれても戦えるという程度の出城だ。ただし前線がカールハイト側に押し上げられると、早々に役割を失った。

 ゾルハチェットとの違いは、こちらは生活拠点にすらならなかったというところだ。街を構成できるほどの環境ではなく、結果として早期に討ち捨てられ、解体する金も時間もないからとそのままにされた。


「なんでそんな場所だと?」

「この建物の古ぼけ具合もあるんだが……一番の理由は時間だな。ゾルハチェットから……馬なら東に四半日も走れば着く場所にある」


 スカーレットたちをメイスオンリー邸から誘拐して、半日程度でたどり着け――かつ、牢屋があるような本格的な隠れ場所となると、思いつくのはそれくらいだ。

 それにしたって百年近くは放置された廃墟だ。この詰所にしたっていつ崩れるかもわからないような代物で、他もおそらく同様だろう。アジトに使うとしてもどうかと思うレベルだが……


「……使える防具の類は残ってねえな。まあそりゃそうか。鎧だの盾だのも立派な財産だしな。捨てる砦に残してくはずもねえか……」

「そもそも、残ってても使えるのか? その……錆びるんだろう? 金属って」

「そらまあな。つっても丸腰よかマシだろ」


 もっともなのだが微妙にずれたことを言ってくるジークフリートに言い返しながら、スカーレットは室内の散策を諦めた。

 そっと詰所の入り口まで近づき、しゃがみ込んで外を窺う――といって夜だ。月明かりのおかげで多少は明るいとはいえ、遠くを見通せるほどではない。


 それでもわかることはあった。外はおそらく中庭になっている。城塞の中庭だ。

 周囲をくるりと高い石壁に覆われ、内部に取り込んだ者を逃がさないような造りをしている――実際には逆だ。外の者が容易に入れないようになっているのだが。

 その中庭に黒い影がいくつか立っていることに気づいて、スカーレットは改めて息を潜めた。

 おそらくは、昨日の襲撃者たちだ。おそらく、というのは彼らの格好が昨日と違っていたからだが。今は覆面をつけていない――顔が見えたからと言ってそれで何かがわかるわけでもないが。


 彼らは何をするでもなく、何かを待っているかのようにそこに突っ立っていた。

 見張りという様子でもない。数は十人ほど。その誰もが、誰かと何かを話すでもなくそこにいるだけというのは異様だが……


「……なにか、様子がおかしくないか?」


 と、戸口に手をかけ、スカーレットの上からジークフリートが覗き見つつ、言ってくる。

 それはコムニアの日の襲撃の頃から思っていたことであり、今更言うまでもないことだが。動いていた時は動いていた時で奇妙だったが、今のように直立不動のままというのも確かに異様ではある。

 というか……と、スカーレットは気づいたことをぽつりと呟いた。


「……あいつら、まばたきしてなくねえか?」


 身じろぎどころか、本当に一度もまばたきしていない。眠たげに垂れ下がったまぶた、だらしなく半開きの口、表情らしい表情のない顔、微動だにしない姿勢。見ようによっては死体が立っているように見えなくもない。

 だが呼吸はしているようだ。生きている……のは、間違いないはずなのだが。


「なんつーか……明らかになんかおかしいってのはわかるんだけどな。具体的に何がどうなってるからああなってるってのがわからんのが――」

「――洗脳だ」


 と、不意にジークフリートが、ぽつりと漏らした。

 愕然と、どこか信じられないものを見たような声音で、


「父上から聞いたことがある。古の邪神を崇める司祭たちは、人の心に影響を与える力が使えるって。彼らも、もしかしたら……どうした? 変な顔して」

「……いいや、なんでも」


 まるっきりあの女と同じことを言われて、思わず口の中に苦みを感じてしまったが。

 思い出していたのは、その人を操る力を語る、ジークフリート自身のことだった。


(そーいや、こいつも似たようなもん持ってんだったか?)


 “畏怖と鼓舞”とかいう、人の心に干渉する術だ。まさしく、神から授かった力。

 女の言葉とジークフリートという実物、どちらか片方だけだったなら笑い飛ばしてもよかっただろう。だが二つ合わさるとどうしようもなく、スカーレットは苦々しく呻いた。


「んじゃあいつら、邪神の司祭だかなんだかに操られてるってことでいいのか?」

「だと……思う。たぶん、単純な命令しか実行できないんだ。だから、さっきみたいにボクたちを四つん這いになっても追いかけようとしてきたし、今はただ突っ立ってることしかできない。どうして邪教がボクたちを狙ってるのかはわからないけど……」


 ジークフリートの言葉を聞きながら。ふと覚えた違和感をスカーレットは呟いた。


「ニールだっけか、お前の護衛騎士。あいつはアレより上等に操られてたな」

「……そうなのか?」

「……そういやお前、いの一番に気絶してやがったな」


 責めるつもりではなかったが、ぼやいてから考え込む。

 気になるのは、他の者たちとニールの違いだ。他の者たちと違って、ニールには奇妙な生首が生えていた。それも、こちらを認識して嘲っていた。

 ニールの意識はなかったように見えたから、あの生首がニールの操っていたのだろう……となると、アレが邪教の司祭とやらか。


(人の心を操るだけでなく、寄生して体を思い通りに動かす能力、ねえ……なんともまあ、気色悪い話だが)


 と、思い出してスカーレットは訊いた。


「そーいやお前も力使えるんだろ? あいつらには効かねえのか?」


 自己申告が正しいなら、畏怖は本気を出せば相手を金縛りにするほど強力だと言うが。


「わからない……でも、たぶん畏怖はダメだと思う」

「なんで? 試したのか?」


 訊くと、ジークフリートは渋々頷いた。試したとするのなら、タイミングは昨日の襲撃の時だろう。自分の力が通用しないと認めたくなかったのだろうが。


「んじゃ鼓舞は? つっても、名前からして味方に使うもんか? 連中の心に声を届けて無理矢理叩き起こすとか――」

「…………」

「……? おい?」


 急に黙りこくったジークフリートに怪訝を向ける。


「鼓舞は……わからない。使えないんだ」

「……なんで?」

「使い方が、わからない。どう使えばいいのかも。そもそも……感じたことがないんだ。鼓舞の力を。父上はボクに出来ると言ったけど……」


 ボクにはわからない、とジークフリートは言って項垂れる。

 これでは間接的にだが、ジークフリートが役に立たないことを念入りに確認しただけだ。それを取り繕うつもりで、スカーレットは極力明るい声を出した。


「そーかい。ならまあ、ズルはなしってことだな……さて、どうしたもんか……」


 なんにしろ、早々うまい話はないということだ。だからこそ、どうにか切り抜ける方法を考えなければならないのだが。


「……お前が斧で、アイツらを倒してくるのは?」

「あのなあ……言っとくけどアレ、うちの領民だぞ。それをぶっ殺せってか? 操られてるだけなら悲惨どころじゃ済まねえぞ?」

「それは、そうだけど――」


 ――と。


 嫌な予感を感じたとしたら、まず間違いなくこの時だった。

 はらりと、何かが崩れる音――例えるなら、風化して脆くなった石材を握りしめた時のような。

 が、スカーレットの手の甲を撫でる――


 何が起きたのか。スカーレットは見ていなかったが、音で悟った。

 ジークフリートが掴んでいた、戸口。スカーレットの上から前のめりに外を覗き込んでいたので、転ばないように思いっきり握りしめていたのだろう。

 そこが崩れて――更にバランスを崩して、ジークフリートが足を滑らせる。

 絶望的な声音は、たった一音だけだがよく響いた。


「あっ」

「おい待てバカッ!?」


 そしてどさっと――あるいはペチャっと。二人一緒に、詰所の戸口につんのめるようにして倒れ込む。

 

 ――そして全ての敵がこちらに振り向くのを、スカーレットは絶望的な心地で見ていた。

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