4-4 あんた、誰だ

「よお。お前、人から恨み買ってたりするか?」


 思わぬ事態に頬を引くつかせながら――

 どうにかスカーレットは、隣で似たような表情をしているジークフリートに問いかけた。


 似たような、というのはすなわち、微妙に違うということだ。

 スカーレットはかろうじて頬を持ち上げて、冷や汗をかきつつもやせ我慢のように笑っているが。対するジークフリートは……まあ、笑ってはいなかった。

 ひとまずはまだ落ち着いているようだが。内緒話のように声を潜めて訊いてくる。


「ボ、ボクのせいか? お、お前狙いじゃなくて?」

「おいおい、これでもオレは品行方正な箱入りお嬢様だぞ? 恨みなんか買ったこともねえよ」

「箱入りお嬢様って、嘘だろ――いやそれはともかく。恨みなんか、ボクだって買ったことないよ!」


 だが実際にこういった場面に出くわすと、もはや乾いた笑いしか出てこない。

 かついでいたバッグを肩から下ろしながら、スカーレットは敵――だろう、おそらく――を見やった。森の茂みからのっそりと姿を現した、三人の男。


 顔は覆面で隠していてわからないが、ほつれた服の様子から平民だろうとは察する。恐ろしいのは、その三人がどう考えても一度は使用しただろう、赤く錆びた剣を携えていることだが。

 本当の意味で問題なのはそれよりも、どうして、何のために彼らがメイスオンリー家所有の森の中に入ってきたのかだった。


(これも、敵の仕掛けか……?)


 もっとも安直なのは、それだった。邪神復活のために、スカーレットたちを生贄に捧げるための。だがそれを断定できない理由も、メイスオンリー家にはあった。

 国境守護を司るメイスオンリー家は、一方で最も敵国人を殺した一族でもある。また領の統治機構を担う国境警備隊の指揮者でもある彼らは、その対価として犯罪者からも大層恨まれていた。メイスオンリーというだけで恨まれる理由には事欠かない。

 加えて王族もここにいるとなれば、襲撃の理由は両手の指の数では足りないだろう。それだけに相手の目的が読めない。

 ひとまずは敵を睨みながら、スカーレットは囁いた。


「お前、実戦経験はあるか?」

「え?」

「ないなら役に立たねえから、逃げる準備だけしとけ。死にたくねえなら言うこと聞け。文句は聞かねえぞ――」


 口早に言いながら、相手の反応も確かめずに身構える。

 会話をしながらも、スカーレットの注意は敵からひと時も離さなかった。見ていたのは敵の目だ。覆面に隠された顔の中で、唯一見えている目の動き。


 感情も見えないくせにぎょろぎょろと動く瞳が、スカーレットを捉えた――


(っ、来るかっ!!)


 ――瞬間、スカーレットは飛び出した。

 敵も同時にだ。横一列に並んで、三人駆け出してくる。


 正面に走り出していたなら、スカーレットはすぐさま囲まれただろう。だが彼女は手始めに、持っていたバッグを右端にいた男に投げつけた。右端の男は避けずに受け止めたが、それで数拍は足を止めた。


 合わせて自身は左に駆け出す。ただし離れすぎない。左端の男が邪魔になって、正面の男がスカーレットに近寄るには迂回しなければならない位置を取った。つまりは左の男の至近距離に。

 

(一対多戦闘は速攻が肝心! 数で押される前に、局所的な一対一をで無力化する。最悪の場合、殺してでも――)


 剣を持った敵相手に肉薄を決意する。懐へとスカーレットは手を伸ばした。握りしめるのは小さな鍵。それを手にして叫ぶ――


「マスターキー――」


 その機先を。


『――ダメっ!!』

「……っ!!」


 咄嗟の悲鳴に止められて、スカーレットは息を止めた。

 わずかな停滞が隙となる。先制したのは敵の方だ。無造作に振り上げた剣を力任せに振り下ろしてくる。動きこそ素人だが、その速度は異様なまでに速い。

 体裁きと最小の見切りで、スカーレットは体を進ませた。避けるのではなく、振り下ろされる剣の軌道、その横すれすれに体を滑らせる。


 完全なゼロ距離まで踏み込んで。更にスカーレットは踏み込んだ。

 駆けた速度を加味して打ち込む質量打撃。突き出した肘を心臓に叩きこむ――全盛期であればそれだけで人を殺せたほどの一撃だが。


(くっそ――この体じゃ軽すぎるか!)


 返る衝撃の軽さで、そこまでの威力はないことを悟った。体重も一瞬の速度も足りない。練度もだ。

 まだこの体を完璧に使いこなせていない――それを思い知る。

 だがそれでも有効打だったには違いない。平時では聞くことのない喘鳴と共に、一人目の男は動きを止めた。

 呼吸ができないのか胸をかきむしるようにして倒れ込む――その男の手から剣を奪い取る。


 わずかに出来た猶予の中で、“彼”がしたのは考えることだ。

 先ほどの悲鳴。あれはあの女があげたものだ。殺す気で迎え撃とうとしたこちらを止めた。それで静止の理由も、敵の目的にも気づいた。

 思い出したのだ――スカーレットにとっての“敵”、邪教の司祭とやらは人を操ることができると。つまりは、これもそういうことだ。敵の仮面から覗く感情の見えない瞳は、なるほど確かに操られているように見えなくもない――

 

(だからって、もうちょい先に言えってんだ!!)

 

 胸中で罵声を上げながら、スカーレットは倒れ込む男の体があった空白を剣で薙いだ。その時には既に二人目の男が近づいてきていたからだ。

 一人目の男が倒れたことで出来た空間から、スカーレット目掛けて剣を放っている。それを迎撃する形だ。

 横薙ぎの剣を、敵の振り降ろす剣の軌道に重ねて打ち払いながら――スカーレットは止まらない。


 衝撃に痺れる手に舌打ちしながら、スカーレットは一人目の男を踏みつけた。

 動けなくともこちらを掴もうとする一人目の手をすり抜けて、更に踏み台にする。全力で踏み抜いて、飛びざまに膝を二人目の顔面に叩き込んだ。

 これで敵を殺せはしないが、それでも二人目も転倒させる。痛打の影響も加味すれば、すぐには動けるようにはなるまい。


(殺すなっつーならそれでもいい。やりようはある。切り抜けるだけでいいのなら――)


 着地と同時にスカーレットは最後の敵を探した。

 三人目――最後の男はこの数秒の間に、ターゲットをジークフリートのほうに切り替えている。ジークフリートはまだその場から動いていなかったが、かえって都合はよかった。むざむざ戦いを挑んで捕まっていたなら、そこで終わっていた。


 背中を向けたままの三人目に、スカーレットは剣を投げつけた。狙いは足だ。錆びた剣では貫くことはできないが、それでも引っかけて一瞬でも躓けばいい。

 それを狙っての行動だったが。

 多少は運が残っていたらしい。剣は男の左ひざを後ろから叩いた。関節に予想外の負荷がかかり、更には足に剣が絡まり、三人目の男がその場にすっ転ぶ。


 恐ろしいのは、それでもなおジークフリートを掴もうと手を伸ばし続けたことだ――男は受け身を取らなかった。転んだことにすら気づいていないかの如く。

 その動きはまるで、ジークフリート以外は視界にも入っていないかのようで――


(これが、洗脳って程上等なもんか……?)


 スカーレットのイメージでは、洗脳とは相手の思い通りにさせられることだと思っていた。だがそれにしては挙動がおかしい――盗み見るように、サッとスカーレットは背後を見やった。そこには二人の男が転んでいる……まだ。

 立ち上がることもせず、地べたをはいずりながら手を伸ばしてくる。あまりにも距離は遠いのに……その動きは、明らかにスカーレットの体を掴もうとしていた。

 立ち上がることも、詰め寄ることも忘れたかのように。その姿は、やはりコムニアの日の襲撃者たちと被って見えるが……


「な、なんなんだ、こいつら……」

「ぼさっとしてんな! 逃げるぞ!!」


 怯えるジークフリートを怒鳴りつけて、スカーレットは茂みを指差した。同時に駆け出す。敵はまだ倒れている。その間に逃げなければ――

 駆け出せば、その後ろをジークフリートもついてきた。敵もだが、彼らは立ち上がらずに四つ足で追いかけてくる。当然そんな動きは不自然なので追いつかれるはずもないが。


 茂みから飛び出してハイキングルートに戻る。ジークフリートが並ぶのを待って、スカーレットはまた駆け出した。

 と、恐怖に歪んだ声で叫んでくる――


「なんなんだ、あれは……!? メイスオンリー領には、あんな変な奴らもいるのか!?」

「“も”って言うな! いくらうちでも文明忘れて四足歩行する奴らは管轄外だ! お前の知り合いとかじゃねえのか!?」

「そんなわけ――ニール!!」


 と。


 不意にジークフリートの注意が逸れ、スカーレットもハッと彼の見た先を追いかけた。

 しっかり整備されたとは言い難い林道の真ん中に、ぽつんと一人の男が立っている。帯剣した若い男――スカーレットを嫌っている騎士、ニールだ。

 だが。


(なんだ? どうしてこいつがここにいるんだ? このガキを探しにきたにしちゃ――)


 ふと違和感を覚えてスカーレットは目を細めた。

 タイミングが良すぎる。何よりも感じていたのは警鐘だった。後頭部の辺りで感じる、イヤな予感。それも明確に、死へと近づくことを予期する類の。

 何故それを感じたのか。それがわからないでいる間に――ジークフリートが加速した。顔に安堵の表情を浮かべ、ニールに近づいていく――


「ニール! よかった、いい時に来てくれた!! 助けてくれ、襲われてるんだ――」


 その声を。


『――ダメっ!! “それ”は違うっ!!』


 不意に遮ったのは、女の声だった。

 切羽づまった――あるいは恐怖に引きつった、女の声。ジークフリートには聞こえるはずがない。それでも警告のための――

 ジークフリートがその声を聞いたはずがない。


「……え?」


 だがそれでも、声を上げたタイミングは重なった。

 何が起きたかといえば、ニールが動いていた。だがそれはジークフリートを守るためでも、何があったかを問うためでもない。

 ニールは近寄ってくるジークフリートのみぞおちに、自分の拳を叩き込んでいた。

 騎士の、本気の一撃だ。殴りつけられたジークフリートは呆然と……痛みすら忘れたかのように、驚愕してニールを見つめる。


「なん、で……?」

「わからんでよいよ。今回もお主にはどうもできん……どうも、な」


 嘲弄の気配を含ませて答えた声は、若い男のものではなかった。

 ニールの首筋から、先ほどまでなかったのものが生えてくる。にょきりと。キノコのように伸びてくるが……それは人間の頭だった。

 それも、顔のない頭だ。真っ黒に染まった、顔のない頭。目も鼻も口もない。

 痛みにか、気絶したジークフリートの体を担ぐと、今度はその顔をスカーレットに向けて、言ってくる。


「おうおう、我らが姫君よ……此度の異変、貴様、一体何をした?」


 その声にはやはり嘲りの色があるが……同時に怒りと、憎しみも見える。まるでこちらの知己のような振舞いだ。

 だからこそ、わからずにスカーレットは男を睨みつけた。


「……あんた、誰だ」

「ふむ……? 忘れたふり、かね? それとも本当に? ……まあ別によかろう。計画の修正は面倒だったが、この程度なら、些事で済む。あのお方を怒らせずに済む……」


 ニールは――いや、ニールに生えたその顔は、取り合わなかった。

 独り言のように、勿体ぶるように。何もわからないでいるスカーレットを前に嗤っているが――


(こいつが、邪教の司祭……か?)


 人を操る力を持つ敵。襲撃者の異様な様子も、おそらくはその力だろう。だが、それにもまして今のニールの状態は奇妙だった。

 まるで、老人に寄生されているような、そんな様子だ。ニール自身の顔には生気がなく、意思なく眠たげな眼がとろんとしているだけ。涎は垂れていないが、半開きの口からはうめき声のようなものが時折漏れている。

 戦場経験の長かった、“彼”ですら戦ったことのない手合い。どう相手すればいいのか、一瞬だけ思考が迷う――

 だから気づくのが遅れた。


 ハッと、見やったのは背後だ。何から逃げていたのか、それを忘れた。

 気づいた時には遅い――スカーレットが見たのは、三人の男たちが飛びかかってくる、まさにその瞬間だった。


(な、しまっ――)


 悲鳴も上げられない。伸びた手がスカーレットの首を掴んだ。誰の手か。そんなことさえわからない。

 呼吸ができない。暴れようとした手も足も、誰かに捕まれた。もう逃げることさえできない。

 そんなこちらを嘲るように響く、声。


「何度抵抗したところで、運命は変わらん……それは思い知っていると思ったのだがなあ……?」

「――っ!! ――……………………」


 そして何もできないでいる間に――

 スカーレットの意識は、闇へと堕ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る