幕間4 お姫様と邪神の生贄の話

「どうしてお兄様はよくて、私はついていかないといけなかったの?」


 声音こそ穏やかだが、言い終えるなり頬を膨らませた娘、ツェツィーリアを見やりながら――

 どうにかばれないようにと、ラトールは苦笑した。隠したかったのは笑ってしまったことそのものだ。知れば娘はもっとむくれたに違いない。

 日も落ち始めた夕暮れ時。広い馬車の客室の中、ツェツィーリアはハッキリとすねている。娘にしては珍しい態度ではあるが、それだけに事態は深刻だと言える。


(滅多にワガママを言わない子だからこそ、聞いてあげないといけないんだけどね……)


 まあ今日一緒に出掛けたのは失敗だったな、と認めざるを得なかったが。ラトールはひとまず言い訳した。


「ウール騎士爵家に、君と同い年の娘がいたのを思い出したからだよ。ツェツィもそろそろレディになるからね。友達が必要じゃないかと思ったんだ」


 騎士ウール――ウール・カルは王都の騎士団から、ラトールの命で国境警備隊に配属された男だ。

 当人の出自はシャムロック伯爵家の三男であり、騎士になると同時に家から独立した。気性はがさつだが気安く豪快で、メイスオンリーの風土に合うと判断した。そこそこの名門から騎士になった、身分の保証できる相手でもある。

 だから国境警備隊に送ったのだが、王都の騎士団から田舎に行けと言われれば、都落ちを連想する者も少なくない。騎士団から国境警備隊に送られるものはそう多くないが、だからこそ労いのためにも表敬訪問が必要なのだった。


 ツェツィーリアの友人の話はそのオマケだ。オマケではあるが……ラトールの本心としては、そちらの方が比重が重い。

 ツェツィーリアに人付き合いは難しい。優しいが極端に臆病で怖がりな当人の性質以上に、“力”の片鱗がそうさせる。だからこそ、心を許せる友を探してやりたかったのだが。


「それで、クーリア嬢とはどうだった?」


 表面上はそんな悩みなどおくびに出さずに訪ねると。

 ツェツィーリアは先ほどまでの怒りはどこへやら、しょげ返るように俯いて、囁いた。


「……あの子、嫌いです」

「どうして?」

「……だって、“私”を見ていないもの」

「…………」

「私と仲良くなれば、王都に連れていってもらえるし、ジークフリートお兄様と仲良くなれるんでしょって。だから私と仲良くするふりをするんだって……」


 仮にも王家の娘を前に、本当にそんなことを言ってのける胆力のある子はいないだろう――

 ラトールはため息をついた。これはクーリアがツェツィーリアを粗雑に扱ったということでも、ツェツィーリアが嘘をついているということでもない。

 単に見抜いたのだ。クーリアがツェツィーリアをどんな目で見ているのかを。

 それこそが、ツェツィーリアを臆病にさせ、人付き合いを難しくさせている要因だ。

 

 ――ツェツィーリアは相手の心を読む。


 恐ろしいのは、それがコムニアによって授かった“加護”によるものではないということだ。

 ツェツィーリアのコムニアは、話を聞く限り失敗していた。“祝福”を授かる前に襲撃され、そのままコムニアは中止になった。であるのに、彼女は既に“加護”と遜色ないレベルで人の心を読む力を持っている。

 王族という血がそうさせるのか、あるいはツェツィーリア自身の素質か。過剰に聡すぎるこの娘は、この幼さで人の心が一枚ではないことを既に知っていた。


 相手の語る言葉と本音がイコールでないと気づいたのは、いつのことだっただろう。ふとラトールはそんなことを考えた。大人の甘い言葉、同年代の敬う言葉。その節々に棘が見えるようになったのは。

 少なくとも、ツェツィーリアほど幼い頃ではなかったはずだが……それでも、一般的な他の子達よりは早かったはずだ。


(こんな力、なくても別に困らないんだがね……)


 ラトールが“加護”を授かった時、彼は人の心など信じるに値しないと悟り、絶望した。息子であるジークフリートは力を得て増長の兆しを見せていたが、他者を見下す傲慢さに関してはその前から片鱗を見せていた。

 そして、ツェツィーリアも。聡すぎるが故に臆病になってしまった娘が、さらに力に目覚めた時、どうなるのか。予想がつくからこそ、ラトールは二人の子供たちを案じた。

 このままでは二人とも、自分の力で潰れてしまうだろう。ラトールも、かつては同じ苦しみを抱えた。先代もおそらくはそうだった。その先代も、きっと……ずっと、王族はこの苦悩を受け継いできたのだ。

 だがまだ救いはあると信じられるのは、ツェツィーリアがこう言ったからだ。


「お兄様だけ、ズルいです。私もメイスオンリー邸にいたかった……」

「……随分と、あの子を気に入ったんだね」


 誰のことかといえば、スカーレット・メイスオンリー――友、ヒルベルトの一人娘のことだ。赤い髪、赤い瞳の可愛らしい、だがそれ以上に勇ましい少女。

 彼女のことに触れた途端、急にツェツィーリアの表情が華やいだ。


「はい……! だってお父様、あの方は私を見てくれるの! “お父様の娘”でも、“お兄様の妹”でも、“姫殿下”でもないの! 他の何でもなくて、私だから、私を見てくれるの!」


 パッと顔に笑みを浮かべ、詰め寄ってきそうな勢いで頷いてくる。

 その嬉しそうな様子をラトールも喜ばしく感じる反面、苦しくも感じる。娘にそんな想いをさせなければならないのも、ひとえに血と立場、そして責務のせいだ。

 王となることを望まれ、王になりきらねばならなかった。そのために与えられた力が、今ではただの“人”として生きるのを難しくしている。

 王族などという肩書を取り払ってしまえば、残るのはただの人間だというのに。


(メイスオンリーは……そんな私たちにとっての唯一の救い、か)


 彼らに“加護”の力は効かない――というより、屈しない。“王”という存在そのものには何の興味もない。それが彼らだ。

 かつて初代メイスオンリーが自らに命じた、“ただ武器であれメイスオンリー”という彼らの精神性は、今になってもなお受け継がれている――友からすれば、『お前に尻尾振って何が楽しいのだ?』というだけの話らしいが。

 そんな彼らだからこそ、クリスタニアの王族はメイスオンリーを友としてきたのだ。それがどれほどの救いであるかを、彼らは全く知らないけれど。


「すまないね、ツェツィ。苦労をかける」


 だが娘は今日のことだと勘違いしたらしい。親の想いになど全く気付かず、今日の苦労だけを思ってだろう、ゆっくりと首を横に振った。


「いいの、お父様。いつものことですもの……でも、悪いと思ってくれるのなら、私のお願いを聞いてくれる?」

「いいよ。私にできることならね。なんだい?」


 安請け合いをしたと気づかされたのは、この後娘がこう言ったからだ。

 満面の笑みで――もう願いが叶ったかのように――声を弾ませて、たった一言。


「私、もっとずっと、スカーレット様と一緒にいたい!」

「…………」


 しばし、きょとんと。

 ついで、急いで考えを巡らせる――脳裏をよぎったのは、怒れる大男の顔だった。熊とか獅子によく似ており、娘への溺愛っぷりが大変厄介な、あの。


 娘とスカーレット嬢を一緒にいさせる。それについてどんなパターンがあるか――そしてどのパターンならあの大男が殴りに来ないか――考えて。

 一番マシだと思えたものを、ラトールは呟いた。


「……それはいつか、君の騎士としてスカーレット嬢を王都に呼びたいってことかい?」


 それならまだヒルベルトに殴られなくて済む。かつてのラトールとヒルベルトの関係をなぞるだけだからだ。

 クリスタニアの貴族の子は、ある程度の歳になったら王都に集められ、貴族教育を受けることになっている。その間であれば、娘の護衛として一緒にいさせてやることができるはずだ。ヒルベルトも反対は出来まい。

 が、娘はそれでは不満らしい。


「それもいいけれど……お父様。私、メイスオンリー領で暮らしたいの。スカーレット様ともっと、ずっと一緒にいたい……ダメ?」

「それはさすがにムリかなあ」

「……どうして?」


 落ち込むように、娘は上目遣いで訊いてくる。

 こんな甘え方をツェツィーリアがするというのは――というより、甘えること自体が――珍しいことだ。親としては叶えてやりたくもなるのだが。

 一方で、それができない理由は多々ある。一番の理由は身分だった。仮にも王族である娘が、何の理由もなく特定の領に留まれば、それは政治的なメッセージと受け取られかねない。

 ひいてはそれが派閥争い激化のキッカケにもなりうる。たとえそれが、ただの娘の甘えだとしてもだ。


 娘が納得できる言葉を探し終える前に、娘は攻め方を変えることを選んだらしい。

 妙案が思い浮かんだのか、彼女はまたパッと顔を輝かせて、


「じゃあ私、スカーレット様をお嫁にもらう!」

「……っ!?」


 予想外の一撃に、ラトールは思わずせき込んだ。


「ど、どうして、そんな発想になったのかな?」

「だってお兄様、スカーレット様との結婚、嫌がっていたもの。だったら私が代わりになるわ。スカーレット様のために、私、立派な旦那様になる!」

「ツェツィ……」


 どこまで本気で言っているのだろう。考えて、だがすぐにラトールはやめた。

 子供らしい純真さとひたむきさから、ツェツィーリアは本気で言っている。言い聞かせても無駄だと悟ると、すぐにラトールは卑怯な方向へと思考を走らせた――つまりは、どうすればツェツィーリアをごまかせるかと、あと一つ。

 どうすればあの熊みたいな男に殴られずに済むかだ。


(いっそ、女の子同士のほうがヒルベルトも怒らないか……?)


 ジークフリートとの婚約はたぶんダメだろう。明らかにヒルベルトはジークフリートを気に入らなかったようだし、見た限りスカーレットと相性がいいとも言い難い。

 だが案外、こうした絡めてならあの男にも効くのではなかろうか……?

 と、そんな思考の上から、更に娘からの追撃。


「……私が旦那様だとダメなの? スカーレット様が旦那様ならいい?」

「いや違う。そういう問題じゃない――まいったな。どうやって説得しよう」


 娘の発言が恋愛的なものではなく、憧憬に由来するものなのは間違いない。ただそれにしたってこの入れ込み具合は少々異常ではある。

 だが一方で予想外とも言えない――ツェツィーリアにとってはおそらく、家族以外で心を許せる初めての相手なのだろうから。

 そんな娘を見ているからこそ思うのは、初代国王が初代メイスオンリーを手放したがらなかったのは、おそらくはこれが理由だろうなという教官だった。


 と。


「……うん?」


 ふと、ラトールは顔をしかめた。鳴き声が聞こえた気がしたのだ。馬の――それも、喘鳴に近い。

 衝撃は、その後に訪れた。娘の悲鳴も。


「きゃあっ!?」

「ツェツィ!」


 座席から転びかけた娘を抱きかかえ、衝撃に構える。何が起きたのかはすぐに悟った。

 馬車が急制動をかけた――だがその原因が思いつかない。平地を走っていて事故も何もないはずだ。


「お、お父様……なに? 何が起こったの……?」

「静かに、ツェツィ」


 そっと言い置いて、ラトールは窓の先を覗いた。ここからではまだ何も見えないが、外からは剣戟の音がする。

 つまり、襲撃だ。

 ただわからなかったのは、その相手が誰かということだ。


 メイスオンリー領は統治の行き届いた領地だ。平民が上に苦しむことはなく、盗賊に落ちぶれることはない。

 加えて国境警備隊の訓練の名目込みで治安維持も担当している。彼らを相手に盗賊のようなものが跋扈できる環境ではない。


(となると、邪教か? しくじったな、ツェツィーリアを連れてくるんじゃなかった。警護があっても襲ってくるのか……)


 覚悟か何かは知らないが、敵のことを甘く見ていた。とにもかくにも、ラトールは早々に割り切った。

 まずはこの状況を切り抜けなければ。

 ラトールは座っていた座席の座面に手をかけると、そのまま座面をスライドさせた。下は荷物や武器といったものを隠して置ける空間になっている。馬車の車高が高いのはこれが原因の一つではある――有事の際にはここに隠れることも想定されている。

 中から剣を一振り取り出すと、それを片手に娘を呼んだ。


「ツェツィ、おいで」

「お父様……?」

「君はこの中に隠れるんだ。私が開けるまで、声を出してはならない。いいね?」


 質問の形ではあったが、有無を言わさなかった。娘を抱き寄せ、隠れることを促す。

 不安そうに見上げてきた娘が口にしたのは、それでも他者を案じる言葉だった。


「そんな……お父様は、どうするの……?」


 ツェツィーリアは今にも泣きそうだ。

 こんな顔の娘を置いて、戦いの場になど行きたくはない。何もわからない娘を独り恐怖の底に置いていくことは、何よりの苦痛だ。だが、それでもそうしなければならない。

 せめてもの気休めになればいいと、ラトールは微笑みながら言った。


「私は外を見に行く。何が起こったのか、確かめなければね。なあに、大したことはないさ。こんな危機、私はいつだって――」


 だがその言葉は、最後まで続かなかった。


 ――ズダンと、不意に蹴破られる扉。現れたのは武装した人影――


 侵入者を前に、ラトールは身構えた。まだ娘を隠せてもいない。それなのに、もう敵が来た。

 思わず舌打ちする――それが王の姿としては正しくなくとも。


(まったく、抜けているな――こういう時は、ヒルベルトが羨ましくなる……!)


 彼なら娘一人を守りながら戦うことに、何の気負いもないだろう。ハンデにすらならない。彼に勝てる相手などいない――彼ほどの力が、自分にはない。

 娘を背後に押しやり剣を抜く。ノックもなく現れた無頼漢を相手に、自分がどこまでやれるか。不安はそれだ。


 だがラトールはすぐに構えを解いた。現れたのは、見知った顔だったからだ。

 ただし警戒は解かなかった。


「ニール……! 何故君がここにいる!? ジークフリートに何かあった――……」


 だがその言葉を言い終える前に、ラトールは絶句した。現れたニールの様子だが……尋常ではない。

 彼はうつろな目でこちらを見ている。その眼には何の感情の見えず、ただ力なく目を開いているだけだ。全身を血に真っ赤に染めて……戦闘状態であるというのに覇気もなく、異常な様子なのに、何も言わない。


 だが真の異常は、ニールの首にあった。


 そこからもう一つ――顔が生えている。そこにあるはずのない第三者の、真っ黒な顔が。

 その顔が。

 闇が囁いた。


「ここにおったか、我が神の贄よ。探したぞ……ようやく、これで始められる……」


 それは明らかにニールの声ではなく、しわがれた老人の声だった。

 ラトールは剣を構え直した。ニールは若いが、それでも近衛騎士に選ばれるほどの精兵だ。騎士訓練などとうの昔にやめたラトールでは勝ち目は薄い。

 それはわかるが……それでも、逃げられない。

 と、その時初めてニールは――ニールだったものはラトールを見た。

 闇色の顔に表情は見えないが……ラトールは確かに、侮蔑を感じた。


「おぬし、邪魔だな……“今”はまだ、その時ではない」

「なに?」

「寝ておれ」


 会話はそれで終わりだった。

 そして衝撃が。何をされたのかもわからないまま、ラトールを貫いた。


(なっ……?)

「お、お父様……? い、いやっ。いや――」


 最後に聞こえたのは、ツェツィーリアの悲鳴だった。

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